5 水田の立地
横市川流域の水田が,川の流域全面に広がらなかった理由は、この地の沖積丘陵や沖積低地に大雨がふると水が氾濫し,制御が困難だったためだと考えられます。また,シラス台地上に広がらなかったのは,水を得ることが難しかったということが挙げられます。一方,伊那谷の場合は11も段丘があり,水田を展開していく上で,選択の幅がはるかに多かったのでしょう。弥生時代中期の遺跡は氾濫原に展開しますが,その後は段丘上に移動するのも,はじめは「実験的」に水田を作ったのですが水害の危険率が高く,段丘上へと安全を求めた結果だったのかもしれません。
参考文献
・桒畑光博2008「シラス地帯に根づいた弥生農耕−南九州の水田と畑について−」 『財団法人大阪文化財センター他2006年度共同研究成果報告書』大阪府文化財センター。
・飯田市上郷考古博物館1999『段丘に住む弥生人の土地利用』。

2014 国立歴史民俗博物館