企画展示をより楽しく、より深く鑑賞していただくため、本館の広報担当職員が担当者から展示の見どころや作り手の気持ちを取材します。

今回は企画展示「時代を作った技-中世の生産革命-」の代表者である村木二郎准教授(本館研究部考古研究系)にお話をうかがって来ました。

時代を作った技-中世の生産革命-

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中世は暗い時代じゃない

村木二郎准教授

今日はよろしくお願いします。

村木:こちらこそよろしくお願いします。

まず、今回の企画展示をやろうと思ったきっかけについてお伺いしたいと思います。

村木:もともと技術史の研究を科学研究費補助金でやっていたのですが、技術史ですと考古学に偏りがちになるし、ちょっと展示までは難しいかと思っていました。そうした中、慶應義塾大学の中島圭一先生から「展示までやろう」というお声をいただいて。館外の方からそこまで言われたら「やるしかない」と思ったのがきっかけですね。

外部の先生の一言がきっかけだったんですね。

村木:熱く語られちゃいましたから、お酒の席で(笑)。で、考古学と文献史学のメンバーがちょうど半々くらい集まって、共同研究をスタートさせました。そうすると面白いことに、当初考えていたのとは全然違うものが描けてきたんです。

面白そうですね。それは具体的にどんなところですか?

村木:もともと技術史の研究はここしばらく停滞しているんですよ。

そうなんですか!?

村木:ええ。技術の歴史は文献と風俗史がメインでしたので。考古学で中世の遺物がこれだけ大量に発見されている現状とつじつまが合わなくなってきていたんです。

はい。

村木:で、一方考古学は、焼き物を研究している人、鋳物(いもの)を研究している人、と細分化していて、それぞれの変化については分かっているのですが、あまりトータルで見てこなかった。今回全体を見渡してみて、12世紀と15世紀にはっきりと画期があるということが分かったんです。今回の展示ではそれを「中世の生産革命」と呼んでいます。

企画展示の副題はそこから来ているんですね。

村木:そうです。そもそも中世という時代にどういうイメージをお持ちですか?

南北朝の争いとか、応仁の乱とか、内乱が多くて殺伐としていたイメージがあります。戦国時代もあるし、戦争ばっかりやっていたような印象が…。

村木:一般的にはそういう悲惨な、暗いイメージがありますよね。でも本当はそうじゃないんです。例えば、戦争が起こって家を燃やされても、中世の人々はすぐに復興してしまうんです。ただでは起きない連中なんです。
それに、中世はものすごい消費社会なんです。発掘調査をしても古代と中世では出てくる遺物の量が全然違います。古代は一軒の家から出てくる遺物の量はそれほど多くはないんですが、中世になると一般庶民の家からでもかなりの量が出てくるんですよ。これは中世にものを大量に生産するシステムが出来上がったことが大きいと思います。

中世は暗い時代なんかじゃなく、実際には大量生産・大量消費の豊かな時代だったんですね。

中世の生産革命-2つの画期

漆器(鎌倉市教育委員会蔵)
瀬戸の窯道具(愛知県埋蔵文化財調査センター蔵)

先ほど中世には12世紀と15世紀に画期があるとお聞きしましたが、具体的にどのような画期だったんでしょうか?

村木:まず12世紀中頃から遺物の量がぐっと増えるんです。古代ですとものを作る人々が役所やお寺に付随して、特定の人に向けて作っている感じなのですが、中世になると不特定多数に向けて作っているのが明らかで、ものが商品として流通します。

古代とはもの作りががらっと変わるわけですね。

村木:そうです。特に漆器が顕著なんですが、古代では漆器は高級品で、一般の人々が使うものではなかったんです。ところが、中世になると安物漆器が開発されるんです。漆器って耐久性と防水性さえ保証されれば、あとはいいんですよ。ケヤキの代わりに雑木をつかったり、漆の代わりに柿渋を下地に使ったりして、安く仕上げるんです。それが大量に出回るんですよ。

なるほど。

村木:11~12世紀になると、特に東日本で遺物の中から土器のお椀がなくなるんですが、昔はこれがなぜだか分からなかったんです。でも遺跡から漆器が発見されるようになって、この謎は解けました。つまり、使い勝手のいい安価な漆器が出てきたので、そちらを使うようになったんです。土器は水がしみ込むし、もろいですからね。

安くて丈夫な方がいいですよね。

村木:そうです。安物漆器を作る技術が人々の生活を変えてしまったわけです。12世紀の画期は普及品をつくるようになるところがポイントですね。

それでは15世紀の画期はどのようなものだったんでしょうか?

村木:15世紀ではシステムとして大量生産をしていくようになります。特に焼き物がそうですね。いろんな所にあった窯が淘汰されていって、一つの窯で大量に焼くようになるんです。ただ、瀬戸なんかは釉薬を使うので、大量に焼こうとして重ねてしまうと、焼き物が引っ付いちゃうんです。そこで匣鉢(さや)という植木鉢のような箱に焼き物を入れて、それを積み重ねて焼く技術が開発されます。そうすると1回で何千という数を焼くことが可能になるんです。

すごい効率的ですよね。

村木:15世紀にそういう技術が開発されていくので、戦国時代になると飛躍的にものが増えていきます。

大量生産により拍車がかかっていくんですね。

村木:そのとおりです。焼き物以外にも石塔なんかもこの時代に量産化が進んでいったと考えられています。16世紀になると身分がそれほど高くない人でも墓石を持つようになりますからね。そういった量産化の結果、戦国時代にはものすごい量のものが流通していますし、人々の物質的な生活は豊かだったと考えられます。そのことを実感していただこうと、企画展示の冒頭には草戸千軒の遺物を展示しています。当時の一般民衆の豊かな暮らしぶりを見ていただければと思っています。

展示場風景 展示場風景

第2回に続く