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なぜ火山学に進んだか日本の火山学の歴史ハザードマップの方法と課題火山学と火山防災日本の火山観、世界の火山観インタビューを終えて

今回は東京大学名誉教授で火山学がご専門の荒牧重雄さんにお話をおうかがいします。荒牧さんは浅間山火山の専門家で、戦後火山学をリードしてこられ、海外の研究動向にも深い造詣をお持ちです。火山学の立場から本共同研究「歴史資料と災害像」にのぞむことなどをお聞きしました。(聞き手、北原糸子、寺田匡宏)

なぜ火山学に進んだか

●まず先生のご経歴からおうかがいしたいと思います.

○生まれたのは1930(昭和5)年,東京都板橋区生まれです.戦争は学徒動員された世代ですね.1945年3月10日の東京大空襲は体験しました.終戦時は7年制の旧制武蔵高校の中学2年生でしたが,軽井沢に疎開し学徒動員で陸軍気象部で天気図を書いていました,詳しくいうと書く前のデータの整理ですが.

●火山学に興味を持たれたのはそれがきっかけでしょうか.

○もう少し前からです.中学のクラブ活動では気象部でした.理科で気象が好きだったということはあります.大学では地球物理学をやりたいと思っていました.しかし,気象学は数学が必要だ,といわれ地質学に転向しました.その後,大学で勉強するうち火山学へ自然に進んでいったという感じです.もっとも,知的世界にすすむ条件付けのようなものはあったかもしれませんね.父親が旧制武蔵高校で英語学を教えていました.「荒牧の英文法」などをご存じかもしれませんが(笑).文化的な素養があったのだと思います.

●「荒牧の英文法」は,覚えています(笑).さて,火山学に本格的に進まれたのはなぜですか.

○地質学の学生時代に伊豆大島が噴火しました.1950~1951年ですが現地を見に行きました.これが研究生活に足を踏み入れるきっかけです.ちなみに伊豆大島はその後私が定年になる直前まで噴火しませんでした.人の一生と比べて火山は時間のスパンが異なることは印象的です.
実際に研究対象に選んだのは浅間山です.学位論文も浅間山で,1961年に”Geology of Asama Volcano”(浅間火山の地質)で学位を取りました.1953年から研究を開始しましたので,7年間取り組んだことになります.現地に何度も行き,何回頂上に登ったか分かりません.

日本の火山学の歴史

●先生のご論考は英語論文が多いですが,日本の火山学は国際的に見てどのような位置にあるのでしょうか.また日本の火山学はどのように発展してきたのでしょうか.

○きちんとした論文は英語で書かないとまずいと言われますね.理学というのは世界共通ですから,外国人が日本の火山を分析しても結果は同じになるわけです.それから日本の火山学者のコミュニティは大きくないので外に向かって発信しなければ意味がないということもあります.
日本の火山学は,世代でいうと私で5代目ということになるでしょうか.日本の火山学の歴史は諸説ありますが,第1世代が明治に活躍したお雇い外国人のミルンなどで,その時ルネッサンス以来の近代自然科学の成果が輸入された.次が第2、第3世代で津和野藩出身の小藤文治郎(初代東大教授)や坪井誠太郎(人類学者坪井正五郎の血縁)ら,4代目が終戦前後に活躍した久野久(くのひさし)など,それから私どもが第5世代ということになるかと思います.
古典的な地質学,火山学は死につつある学問といえるかもしれませんね(笑),だんだんおとろえている.天文物理は勢いがあり程度も高い,しかし地質学は「記載の学問」といわれあまり人気がありません(笑).

●そうでしょうか.環境という切り口で考えると,火山学も地質学も近年重要性を増していますし,災害という側面からみても,いよいよ必要になってくると思います.さて,先生の研究生活は浅間山からはじめられたわけですが,そのほかの火山で印象的な噴火はありますか.

○東大の地震研究所にいた関係で,たいていの噴火は見ています.有珠山の1977年の噴火,1983年の三宅島噴火,1986年の伊豆大島噴火,1991年の雲仙普賢岳の噴火,2000年の有珠山と三宅島,どれも印象的です.それから富士山のハザードマップに携わるようになったのも印象的です.

ハザードマップの方法と課題

●近年ハザードマップが脚光を浴びていますが,先生はどのようにかかわってこられましたか.

○ハザードマップに関わるようになったのは1986年ごろからです.国の動きのきっかけは1986年伊豆大島の噴火で,それまで防災対策は市町村レベルでやることになっていましたが,伊豆大島では国が動き,結果としてその後国が動くことになった.ハザードマップの必要性もその時提言されはじめ,私はマニュアルのガイドラインを作る委員になりました.
実際に作ることになったのは,12の火山でしたが,当時どの自治体も積極的だったわけではありません.たとえば,富士山では1982年に「富士山大爆発・運命の9月X日」という本が出て富士山爆発の危機感があおられた出来事がありました.そのとき,富士山の観光客は10%減ったと地元では言われています.これが悪夢として定着していて,「寝た子を起こすな」といわれていました.ただ風向きは変わってきていますね.2000年に低周波地震が起こってからは富士山でも地元の対応が変わり,積極的にハザードマップを作ろうという雰囲気になりました.私は現在,富士山ハザードマップの委員長をしていますが,10年前を考えると感慨があります.

●ハザードマップの課題というのはどこにありますか.

○ハザードマップには実績図や予想図等いろいろな種類がありますが,自治体は一般住民向けの広報マップを作りがちです.しかし,実はこれが一番作るのがむづかしい.それからハザードマップを作る際に,基礎データを収集することはあまり行われませんし,研究が新たに行われることもありません.そのお金も出ません.これは最大の問題点です.

火山学と火山防災

●先生は火山防災と火山学研究の役割の違いについて論文を書かれていますが(「地震予知と火山噴火予知-理学と工学のはざま-」日本学術会議学術の社会的役割特別委員会『学術の社会的役割』日本学術会議,2000年,「火山災害予想図(ハザードマップ)の方法論」『月刊地球』号外7,1993年),防災のあり方についてどのようにお考えでしょうか.

○防災の専門家が必要ということですね.気象には気象予報士という職業がありますが,防災には防災の広報を専門とする職業はない.このことは火山防災に関して顕著な問題です.火山噴火予知連絡会という組織がありますが,体制がマチュアになっていない.基礎研究者が引っぱり出されている状況で,解明されていないことでも付け焼き刃で言及しなくてはならない.有珠山がよい例で,これは今までのパターンですべて噴火したので予測が成功した,しかし三宅島は最初はうまくいったがその後は,世界中どの教科書にも書いていないような現象が起きたので対応に苦慮しています.火山学には気象予測のように投資がされておらずデータ蓄積が十分でない中で,火山学者は発言せざるをえない.地震工学のように火山工学という学問を作ろうとした動きがありましたが,ニーズがないからうまくいきませんでした. 理学と工学の違いもありますね.工学というニーズがあるからやるという学問に対し,逆に理学をやっている連中というのは人にやれといわれたらやらないというタイプが多い.だからそんなやつらに金を出す必要はないといわれるのですが,理学というのは学問の基礎には必要だと声を大にして言いたい.理学の知識を正しく生かす必要があると思います.そのためには学術的な理解を持った層を社会に作らなければなりません.

●私たちも歴史学をやっていて,ニーズがないという悲哀は十分味わっています(笑).火山学研究と現実の災害との直接的な関係についてはいかがですか.

○災害の現場はとてもインパクトが強く,火山学の学生を災害の現場につれていくとそこにはまりこんでかなりの人が「私はこれをやります」と言いはじめます.私はそう簡単にいくのかと疑問もありますが,一方でこれは理学教育の問題を示しているでしょうね.優秀な研究者で,研究は社会と関係ないという人がいますが,その人が突然災害に目覚める.これは今までのシステムがどこか間違っているということではないでしょうか.

日本の火山観、世界の火山観

●先生は外国の火山学と防災の状況にも深い造詣をお持ちですが,外国ではどうでしょうか.

○アメリカは危機管理がうまいですね.それからイタリアは,ひらめきがいい.ミケランジェロ,ダビンチの子孫だけあります(笑).ところがシステム作りのアイディアはうまいが実際には動いていない.海外だとうまくいっているようにみえるかもしれませんが一概にはいえません.学ぶべきところを学ぶということでしょうか.いずれにせよ,災害の対応ということになると文化の問題,社会構造の差が重要になります.

●日本と外国では火山に関する文化の違いはどのような違いがあるでしょうか.火山のハザードマップが日本で普及しない理由は,ヨーロッパの場合だと火山に自然のダイナミズムを見る視点が定着しているからだとも聞きますが.

○ヨーロッパに行って驚くのは火山が観光にうまく組み込まれていることです.ポンペイなどがそうです.外国の先進国のインテリの火山に対する関心は日本の10倍以上です.一方,日本では関心がない.日本では自然と一体となる心はありますが,自然を客観化して科学として観察するのは下手だと言っていいでしょう.富士山が世界遺産からはずれたのはあまりに環境破壊がひどいことが原因だそうです.
本の出版も同じですね.日本には知的な科学として火山をとらえるものはあまりないように思います.無関心か,あるいはあってもセンティメンタルなものが多い.たとえばフランスで本屋に入っても,タジェフやクラフトの火山写真集があり,テレビでもクストーのような科学者が活躍しています.自分の国に火山がないからエキゾチズムであこがれているのかもしれませんが,ヨーロッパ風の高等教育を受けた人の火山学の知識は高く,火山への関心も多くの人が持っています.その底にはヨーロッパ人の原因を究明したい,事実を知りたいという関心があると思います.

●私たちの展示もその側面をどうしようかと思っています.災害という観点だけで火山をとらえてよいのか.火山の魅力をどう打ち出せばよいのか,それから日本が伝統的に持ってきた富士講のような火山観と近代科学の火山観がつながっていない.それらは質が違うのかどうなのか.

○ぜひ北原さんにお聞きしたい(笑).展示でお願いします.

●これは私たちで答えが用意できるという問いではないので,どうしてなのだろうということを展示を見に来た人に問いかけてもよいと思います.昔はこうだったが今はこうなっているということを示す.今回の展示はそのような方向性もあるのではないかと思っています.本日はどうもありがとうございました.

(2001年10月29日荒牧重雄氏邸にて)

インタビューを終えて

この展示企画に荒牧先生が参加されて以来、歴史学者に突きつけられた課題がいくつかある。一つは歴史資料はどこまで事実を伝えているか、二つ目はインタビュー記事にもあるように、なぜ日本では科学への社会的関心が低いのかという問題だ。一つ目の問題は、資料の価値を引き出すための検証の方法を個々に開拓していくことで道が付く筈だと思っている。しかし、二つ目の問題は、西欧型市民社会の社会モデルを日本に当てはめることではなく、まず、日本における歴史的実態から災害対応の歴史を導き出す努力してみようとしか答えられない。それも確かな回答があるわけではないが、現実に社会が存続してきたという事実を歴史の中から引き出す努力をしてみようという「学」になる以前の段階だ。災害展示の意味もそこにある。

インタビューは短時間であったが、重い課題を与えられた。
(北原糸子)


あらまき・しげお 東京大学地震研究所名誉教授 共同研究「歴史資料と災害像」第1回・第4回研究会ゲストスピーカー編著に『火山の辞典』(朝倉書店、1995年)など