国立歴史民俗博物館 新収資料の公開

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三都の古地図 ―江戸・東京・大阪―映画関係資料松本チエ子旧蔵理容具明治~昭和期マッチラベルコレクション金沢地方近代生活資料コレクション前田青邨・上田綱次郎武器武具コレクション蹴鞠装束陶磁器コレクション落合計策考古資料コレクション正倉院流出文書夾さん山城国葛野郡班田図断簡四季農耕図屏風シカとイノシシを描いた銅鐸木曽義仲合戦図屏風七十二候図押絵貼屏風歴博とレプリカ資料長崎青貝細工

三都の古地図 ―江戸・東京・大阪―

近世に入ると,地図の印刷が普及する.とりわけ,三都(江戸,東京,大阪)については,民衆のニーズに合わせて多種多様な地図が大量に印刷された.
このコーナーでは,三都それぞれの全図のほか,京の御所の内部を詳しく書いた内裏図や,江戸の観光地などを記した名所案内図を展示する.

  • 天明改正細見京大絵図
  • 華洛一覧図
  • 内裏図
  • 改正摂州大坂之図
  • 武州豊島江戸庄図(再版)
  • 実測東京全図
  • 四季遊観江戸名物図絵
  • 江戸全図
  • 東都花暦名所案内
  • 江戸名所独案内

映画関係資料

映画は大衆娯楽の王様であった.映画ポスターやチラシは大衆を映画に誘う効果抜群の宣伝材料でもあった.
歴博第5展示室「都市と大衆の時代」では,戦前日本の都市大衆文化を象徴するものとして,当時の映画館を復元し,映画の上映も行っている.本資料は,それに伴って歴博が収集してきた映画ポスターをはじめ,チラシ・映画スターブロマイドのコレクションの一部である.いずれも近代日本の大衆文化のたどった足跡をしのばせる資料である.

  • 映画ポスター
    • 「怪盗夜叉王・金色夜叉」
    • 「剣法吉岡染・大名古屋行進曲」
    • 「清水の次郎長・紅蝙蝠・そら実感よ」
    • 「妻吉物語・遠州長脇差」
    • 「柳生月影抄・江戸の朝霧」
    • 「パンチネロ」
    • 「二重結婚」
  • 映画チラシ(21点)
  • 映画スターブロマイド(14点)

松本チエ子旧蔵理容具

昭和30年(1955)から約30年間,東京都目黒区で理容店を営んでいた松本チエ子氏の理容道具一式である.昭和6年(1931)から58年(1983)にかけて製造されたものであるが,昭和30年代のものが最も多い.
これらの理容具が使用されたのは,戦後の高度経済成長期直前から初期の段階にあたり,この頃の理容店の様子や国民生活の一面を知ることの出来る格好の資料である.

  • 理容バサミ 荒切り用
  • 理容バサミ 仕上げ切り用
  • 理容バサミ 断髪用
  • 手バリカン 三分刈り用
  • 手バリカン 一分刈り用
  • 手バリカン 一厘刈り用
  • 刈り櫛
  • 顔剃り用レザー
  • 髭皿
  • ヘヤーアイロン
  • パーマ用クリップ
  • 床屋いす(2点)
  • カウンター他.理容具道具(一式)

明治~昭和期マッチラベルコレクション

この資料は,明治から昭和期の2500枚に及ぶカフェー,化粧品などのマッチラベルコレクションの一部である.
近代生活において,マッチは必要不可欠なものであった.様々なデザインに彩られたマッチは,宣伝用とは言え,当時の世相,大衆文化のあり方の一端を示す資料として利用価値が高い.

  • マッチラベル(139点)
  • マッチラベルスクラップブック(4点)

金沢地方近代生活資料コレクション

約2500件にわたる石川県金沢市内とその周辺の山村,漁村の生活関係資料コレクションである.
時代的には,明治から昭和初期のものが多い.今回はその中から特に薬品・食品類の看板をピックアップして展示することにした.いずれも当時の民衆の消費生活文化のあり方をかいま見せてくれる貴重な資料である.

  • 郵便ポスト
  • 看板 両替屋
  • 看板 ともえ足袋
  • 看板 質屋
  • 看板 百毒下し
  • 看板 健脳丸
  • 看板 宇津救命丸
  • 看板 桜正宗
  • 看板 恵比寿ビール
  • 五重饅頭いれ
  • 算盤
  • 銭箱
  • 銭枡(4点)
  • 冷やし飴
  • 酒樽
  • 徳利(2点)
  • 貧乏徳利(2点)
  • サクラビール瓶

前田青邨・上田綱次郎武器武具コレクション

武士の姿を好んで描いた日本画家前田青邨画伯,及び大阪にあって,古武器収集家として著名であった上田綱次郎翁の収集した武器武具類が本館に所蔵されている.
ふだん,目にふれない珍しい陣道具,甲冑矢を盛る容器などをここでは紹介する.

  • 前田青邨写生帖(前田青邨旧蔵武器武具類)
  • 小笠原家御武具帖
  • 銀装黒漆塗床几(上田綱次郎武器武具コレクション)
  • 楯形肩懸陣太鼓(同上)
  • 竜虎蒔絵胴背負陣太鼓(同上)
  • 筋兜鉢(同上)
  • 黒漆塗一ノ谷張懸冑(同上)
  • 鉄一枚張南蛮鎖冑(同上)
  • 鉄六枚張桃形前付臥蝶冑(同上)
  • 銀箔押張懸兎耳形冑(同上)
  • 鉄三枚張峯界形張懸冑(上田綱次郎武器武具コレクション)
  • 黒漆塗置手拭張懸冑(同上)
  • 鉄八枚張椎形眼鏡付冑(同上)
  • 黒地剣酢漿文蒔絵矢筒(同上)
  • 蔦蒔絵微塵貝空穂(同上)
  • 逆頬箙(同上)
  • 筑紫箙(同上)
  • 狩箙(同上)
  • 札仕立陣羽織具足(同上)
  • 黒韋肩裾取威腹巻(同上)

蹴鞠装束

蹴鞠は,古来貴族社会で行われた鞠を蹴る遊びで「しゅうきく」の異称を持つ.その装束は鞠水干と通称されるが,一般には直垂に転じている.
本資料は,三領の鞠水干をはじめ,鹿皮製の鞠,鞠挟み台,鴨沓,鞠袴,撥,扇,鞠伝書,蹴鞠神像などからなり,江戸時代中期から後期にかけて製作・資料化されたものと思われる.近世に溯りえる蹴鞠関係の遺品はあまり例がなく,皆具の状態で伝存している本資料は好個の遺例といえよう.

  • 鞠伝書(3点)
  • 鞠袴
  • 鞠水干(2点)
  • 鴨沓
  • 鞠ハサミ台
  • 蹴鞠に関する古文書
  • 扇(2点)
  • 蹴鞠神像掛け軸

焼き物が語る中世社会史

中世(11から16世紀)の食器を構成する飲食具は,漆器・土器と豊富に輸入された中国磁器をとりあわせて用いた.一方,貯蔵・調理具は復活した国産の陶製甕・壷に,新たに擂り鉢を加えたセットが特産地で生産された.

今回紹介する貯蔵・調理具は,日本列島を一周する廻船のネットワークが整い,アジアの「海洋国家」の仲間入りをした12世紀半ばごろから,農・山・漁村の開発資材としてくまなく流布し,京都・鎌倉などの都市部でも大量に消費された.中世前期に西国全域に市場を開拓した播磨東部の諸窯(東播窯),後期の備前窯,東国で太平洋と日本海の中央に突出した能登半島と知多・渥美半島を基地に商圏を分け合った常滑・渥美窯と珠洲(すず)窯,後期の越前窯が代表的な広域窯で,各地の陶磁窯と複合して地域経済圏を形成した.

中世陶器の生産技術は,古代の須恵器と同じく叩きしめて造形し,暗灰色に焼き上げる東播・珠洲系と,叩き技法を用いず赤焼きとする常滑系に大別されるが,ともに量産向けに技術を改良し,叩き目も装飾化している.また,これと別に上級武士や寺社の宴の器など『ハレの器』として欠かせなかった中国産の四耳壷(しじこ),瓶子(へいし)類を忠実に写し釉(うわぐすり)を施した瀬戸焼きも,東国を中心に広く流通した.中世陶器は,地域論,生産・流通論,環アジア論などと関わらせて,民衆の生活史を語ってくれる.

  • 灰釉印花文四耳壷 瀬戸
  • 灰釉鉄釉流し掛け印花文梅瓶 瀬戸
  • 灰釉鉄釉掛分印花文香炉 瀬戸・美濃
  • 鉄釉花瓶 瀬戸・美濃
  • 鉄釉四耳壷 瀬戸・美濃
  • 大甕 常滑
  • 三筋文壷 常滑
  • 擂鉢 常滑
  • 灰釉水注 渥美
  • 広口瓶 常滑
  • 経外容器 猿投
  • 櫛目波状分叩大壷 珠州
  • 大甕 珠州
  • 四耳壷 珠州
  • 擂鉢 珠州
  • 片口小壷 越前
  • 小甕 信楽
  • 擂鉢 備前
  • 大壷 備前
  • 大甕 亀山
  • 黄褐釉四耳壷 中国
  • 青磁陽刻牡丹文大花瓶 中国・竜泉窯
  • 青磁手付水注 中国・越州窯

落合計策考古資料コレクション

北海道上磯町に在住した落合計策(1896-1968)が,昭和初年から収集した考古資料のコレクション.上磯町の茂辺地(もへじ)遺跡,同町久根別遺跡・同町添山遺跡・函館市女名沢(めなさわ)遺跡など,北海道渡島半島南部の縄文時代後期・晩期(約3000-2500年前)の遺跡から収集者自身が発掘した土器・石器・土製品などが大部分を占める.特に,東北地方の縄文晩期に栄えた亀ヶ岡文化と同時代の資料が大半であり,同文化の北海道でのあり方を考える上で重要な資料である.

千島エトロフ島やサハリン,カムチャッカの遺跡出土品を含み,合計45遺跡のの出土品からなる.収集資料には朱書きで出土遺跡の名前と採集年月日が書いてあるので,古い時期に採集された資料であるにもかかわらず,出土遺跡などか特定できる点は資料的価値を高めている.

北海道上磯町茂辺地遺跡出土遺物

  • 注ぎ口のついた土器(5点)
  • 狩や祭りに使った石器(24点)
  • 土製耳飾(21点)
  • 土偶(2点)

北海道上磯町添山遺跡出土遺物

  • 土偶

北海道上磯町女名沢遺跡出土遺物

  • 土偶

北海道上磯町久根別遺跡出土遺物

  • 様々な形の土器(6点)
  • 狩や祭りに使った節季(23点)
  • 土偶

樺太南浜通二丁目貝塚出土遺跡

  • 土偶

正倉院流出文書

无下雑物納帳 奈良時代

正倉院の庫外に流出した文書のうちの一点.文中に宝亀4年(773)の年号が見える.早く『大日本古文書』(1936年刊行)に収録されており,その存在は知られていたが,近年は所在不明であった.
文書の上部はかなり破損しており,内容については慎重な検討が必要であるが,造東大寺司(ぞうとうだいじし)が東大寺の屏風・袍などを出納する際に作成した帳簿の一部であろう.本文書は「宝亀4年无下雑物納帳」の墨書がある往来軸を伴っており,貴重な研究資料である.

  • 雑物納帳(一巻) 展示期間:1月18日~1月30日
  • 正倉院文書 塵芥文書 第二十五巻 複製(一巻)
  • 正倉院文書 塵芥文書 第二十九巻 複製(一巻)

夾さん

夾算(きょうさん)とは何か

夾算とは,除目(じもく:諸司諸国の官人の任命の儀式のこと.最も規模が大きく重要なものが春除目の県召除目あがためしのじもくと呼ばれるもので,正月に行われた)の,直物(なおしもの:除目において召名めしな:任官すべき人たちの名を列挙した文書の記載に,姓名・官職などの誤りがあった場合に,それを書き改める儀式,およびその訂正された召名のこともいう.二月から三月に行われた)の訂正箇所を表示するために用いられた文具.竹製で長さ三寸ばかりで紙を挟むようになっている.一般には巻子や冊子の読みさしの箇所に挟んで用いられることも多かった.

夾算(きょうさん)から栞(しおり)へ

夾算(きょうさん)は後世の栞(しおり)の役目を果たしたものであるが,夾算から栞へという変化の背景には,書籍の装丁の巻子装から冊子装へという変化があった.巻子本,つまり巻物の形式から冊子本へという書籍の装丁の変化のなかで,仁和寺所蔵の国宝聖教三十帖冊子が最古の冊子本とされているが,その形態は「粘葉装(でっちょうそう)」である.そして,その後における冊子本は「胡蝶装(こちょうそう)」が一般的となる.室町期以降の冊子本は一般的な「袋綴本(ふくろとぢほん)」が主流となるが,その袋綴本の最初期のものとしては,東大寺所蔵の鎌倉時代の宗性上人の自筆本『本朝高僧伝要文抄』があげられる.

  • (参考資料:荻野三七彦氏のメモ等,3点)

山城国葛野郡班田図断簡

平安時代
天長五年(828)の班田(国家による口分田の班給)にあたって作られた班田図をもとに,康和3年(1101)に作成された荘園図の断簡.現在の京都市右京区嵯峨および西京区嵐山の地域の図である.
これまで「山城国葛野郡班田図」は14断簡の存在が知られており,いずれもがかつて京都東寺に伝来したものである.このうちの12断簡は京都府立総合資料館及びお茶の水と書簡に所蔵されてきたが,残る2断簡は1世紀以上もの間,所在不明であった.今回それが発見され,ここに展示した.現状は糊離れのため,3枚の断簡になっている.

  • 山城国葛野郡班田図断簡(3点) 展示期間:2月1日~2月13日

四季農耕図屏風

江戸時代中期
右隻に牛使い・田均し・田植えなどの春の耕作風景を描き,苗運びの男や昼飯持ちの女子供も登場する.つぎに,舟から網をかけて川魚を採る夏の景物を描く.
左隻には,稲刈り・蔵入など秋の収穫風景を描く.川の向こうにでは鳥を追う男たちや柿を取る男の姿もみえ,猿回しが訪れて芸を演じている.
1年間の農作業の手順と働く農民の姿や表情,村の景観や季節感を生き生きと表現している.絵師は狩野永翁.

シカとイノシシを描いた銅鐸

出土地不明 前一世紀(弥生時代中期)

吊り手(鈕ちゅう)の片面にシカ,反対面にシカとイノシシを同じ向きに列状に描いた4区袈裟襷文の銅鐸.身の区画内に描く絵を吊り手に描いたのは,気比けひ銅鐸の影響であろう.角のないシカは土地の精霊,イノシシは山の精霊をあらわすか.石の鋳型で作っているから,絵も文様も石に刃物で彫ったものである.

木曽義仲合戦図屏風

平安末期の武将で,自らを「旭将軍」と称した源(木曽)義仲の平氏追討の挙兵後から晩年までの生涯を『平家物語』における事蹟をモチーフとして描いた合戦図屏風である. 右隻は巻第七「清水冠者」「願書」「倶利伽羅落」「実盛最後」を中心とし,左隻は巻第八「法住寺合戦」から近江国粟津で敗死する巻第九「木曽最後」までの内容に基づいて表現している.本屏風はこれまであまり公開されておらず,美術史的な考察がまだ充分に行われていないが,制作年代は17世紀前半に位置づけられるものと推定される.

七十二候図押絵貼屏風

江戸時代(17~18世紀)
七十二候とは,一年を七十二等分し,自然現象や動植物の季節変化を示す名称をつけたもの.二十四節気に較べて一般化しなかったが,貞享年間(1684-1688),渋川春海により,中国の七十二候を日本の風土に合わせて修正した「本朝七十二候」が考案されている.絵画化の例はまれ.中国の暦法や季節感が日本に伝えられ,どのように受け入れられたかを知るうえで貴重な資料である.冊子,もしくは画帖仕立てであったものを,後世に押絵貼の屏風に改装している.

歴博とレプリカ資料

歴博では,資料収集や展示のためにレプリカ(複製品)の製作を行っている.これによって,原品を持たなくても理想的なテーマ展示を構成することができ,また,資料の色あせなどを気にせずに常時展示できる,復元複製を作ることができるといった利点もあげられる.
ここではその製作工程を示し,レプリカ資料とはどういうものなのかを理解していただきたい.

  • 職人歌合絵巻(高松宮家本) 1巻
  • 職人歌合絵巻(高松宮家本) 復元複製 1巻
  • 広島県草戸千軒町遺跡出土木簡 複製 5点
  • 長岡京跡出土木簡 複製 5点
  • 紀伊国井上本庄絵図 複製
  • 広島県草戸千軒町遺跡出土木製品 複製 7点
  • 兵庫県生駒出土袈裟襷文銅鐸
  • 兵庫県生駒出土袈裟襷文銅鐸 複製
  • 愛知県伊那3号銅鐸 複製
  • (参考資料)―レプリカの出来るまで―
    • 1.製作道具等(立体物の複製)[提供 株式会社京都科学](一式)
    • 2.製作道具等(紙や布にかかれたものの複製)[提供 株式会社便利堂](一式)

長崎青貝細工

19世紀に入ってから大量に輸出された伏彩色の螺鈿による漆器は,薄い貝片の裏側に赤・青・黄などの彩色を施し,黒漆塗の器面に象嵌する「青貝細工」という技法を用いている.長崎で製作されたものと考えられ,西洋では,“Nagasaki ware”の名称で親しまれている.日本の伝統的な調度品にはみられない大小様々のヨーロッパ家具の形態に,エキゾチックで彩り鮮やかな螺鈿の装飾が映えている.

  • 花鳥螺鈿大型円卓