くらしの植物苑観察会

毎月第4土曜日(4月はみどりの日)
13:30に苑内のあずまやに集合
15:30頃までの予定、苑内の季節の植物も観察

  • 8月28日 第77回観察会「平成のアサガオ・ブーム」 仁田坂英二(九大)
    *8月は本館・講堂で行います。13:30~15:00
  • 9月25日 第78回観察会「植物採集文化を考える」 山本直人(名古屋大)

平成のアサガオブーム-豊かさとトランスポゾンが生み出した変化アサガオ-

  • 執筆者:仁田坂 英二
  • 公開日:2004年8月24日

アサガオは奈良時代ごろに、中国から薬草(下剤)として日本に渡ってきたと言われています。渡来した当初は青く丸い花で三つに尖った形の葉の1種類しかありませんでした。また、その後も江戸時代までは、数えるほどの色や形の変化しか起こっていません。

ところが今から200年ほど前の、江戸時代・文化文政期には現在知られている色や形の変わりもの(突然変異体)のほとんどが出現し、アサガオの栽培ブーム(第一次ブーム)を迎えていました。ヒトを含めたほとんどの生物はトランスポゾン(動く遺伝子)とよばれる、遺伝子の機能を変えたり壊すことで、色や形 の変異を生み出すものを持っています。アサガオでもこの時期、トランスポゾンがよく動く系統が選ばれたため、数多くの変異が出てきたと考えられますが、それだけでなく、当時の変わり物を血眼になって探すような園芸文化の発達もあって変異体が保存されたのです。

その後ブームも飢饉や幕府の財政危機等で沈静化したようですが、幕末に近い嘉永安政期になると、アサガオ熱が再燃したようです(第二次ブーム)。第一次ブームと違ってこのころは、複数の変異を組み合わせた、より複雑なアサガオを観賞していました。

明治維新で、伝統的な日本の文化や品種等は顧みられなくなりアサガオ栽培も衰退しますが、明治中後期ごろからまた次第に栽培熱が高まり、人工交配も駆使して、昭和初期まで江戸期をしのぐすばらしいアサガオが作られました(第三次ブーム)。

アサガオの最大の危機は、国民生活に暗い影を落とした第二次世界大戦です。このころは観賞用のアサガオなど栽培できる環境でもなく、ごく少数の、しかし熱心な愛好家の方が種子で保存して戦後復活させました。これらのアサガオを展示・研究の目的で収集したのが、国立遺伝学研究所で、その後これらの系統は九 州大学に移管され、これが現在、展示や研究に使われているのです。これまであまり一般には知られていなかった変化アサガオも、歴博で1999年に始まったアサガオ展を期に一般の人にも知られるようになってきました。果たしてこれを第四次ブームと呼んでいいのか、それは後の園芸家が判断してくれることだと思 いますが、過去の歴史を振り返ると、ブームが起こり、熱心な栽培家が生まれたことが現在までアサガオを残すことができた原動力になっているということを忘れないようにしたいと思います。

獅子咲牡丹