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第448回「オホーツク文化とは何か―東京大学文学部と北海文化研究―」第447回「陰陽道と伝承文化」第446回「推定不能―樹木に刻まれた太陽巨大爆発の謎―」第445回「絵画史から見た江戸の妖怪絵巻」第444回「顔・身体をもった縄文土器」第443回「『聆涛閣集古帖』と近世好古家の世界」

第448回「オホーツク文化とは何か―東京大学文学部と北海文化研究―」

開催要項

日程 2023年12月9日(土)
講師 熊木 俊朗(東京大学大学院人文社会系研究科教授)

講演趣旨

本講演では、特集展示「北の大地が育んだ古代―オホーツク文化と擦文文化―」で取り上げる「オホーツク文化」についてお話しします。

日本史で古代と呼ばれた時代、北海道ではオホーツク文化と擦文(さつもん)文化が展開していました。北海道の北方から南下してきたオホーツク文化は、5世紀から9世紀の間、北海道の東北部のオホーツク海岸沿いに展開します。海獣狩猟と漁労を生活の基盤とし、クマを中心とする動物儀礼がみられるなど、その特徴は東北北部の強い影響で成立した擦文文化とは大きく異なっていました。二つの文化は北海道の北と南で棲み分けながら併存していましたが、擦文文化の勢力拡大に伴い、オホーツク文化はそれに飲み込まれ、吸収されていきます。

北海道北見市に設置されている東京大学常呂実習施設では、これらの文化を対象とした発掘調査を現地で50年以上も続けてきました。施設の歴史と遺跡発掘の様子も紹介しながら、「北の大地の古代」の知られざる姿をお伝えします。

第447回「陰陽道と伝承文化」

開催要項

日程 2023年11月11日(土)
講師 小池 淳一(本館民俗研究系教授)

講演趣旨

伝承文化は民俗文化あるいは生活文化と類似の術語ですが、歴史的に遡及し、分析できるものとして用いてみたいと思います。すなわち聞き取りが不可能な歴史的な世界における民俗をとらえるために、民俗の継承を意識して、伝承という語をここでは用います。

陰陽道は広義の日本宗教ですが、明治初めの陰陽寮廃止によって、その命脈が断たれて陰陽師は姿を消しました。この点が仏教民俗における僧侶、修験道研究における修験者などと異なります。葬送儀礼や墓制、登拝習俗といった現代の民俗を対象とし、それをよりどころとする民俗研究の方法は、陰陽道においては通用しないのです。民俗的陰陽道研究は必然的に文字資料を対象とし、そこに伝承を読み込むこととなります。
そうした方法意識や対象認識をふまえて、講演者が、1992年以来、民俗のなかの陰陽道をどのようにしてとらえてきたか、具体的な事例に即してお話してみたいと思います。特に、『三国相伝陰陽管轄簠簋内伝金烏玉兎集』(簠簋)という書物を軸として、民俗事象や伝承文化と陰陽道との関係をとらえ、さらにそこから照射することのできる問題群についても考察を進めてみたいと思います。

企画展示「陰陽師とは何者か―うらない、まじない、こよみをつくる―」は、陰陽道の通史がその柱のひとつです。それをふまえることで民俗研究がどのような可能性と展望を持つことができるのか、についても言及する予定です。

 

第446回「推定不能―樹木に刻まれた太陽巨大爆発の謎―」

開催要項

日程 2023年9月9日(土)
講師 箱﨑 真隆(本館研究部准教授)

講演趣旨

本講演ではREKIHAKU 9号(2023年6月刊行)にて特集した「太陽巨大フレア」についてお話しします。

歴博や名古屋大学は、樹木年輪の炭素14分析によって、炭素14年代法の精確度の向上や、数千年にわたる太陽活動復元を行なってきました。名古屋大学の三宅芙沙氏は、そのような研究のなかで、西暦775年の屋久杉の年輪に、平年の20倍にも及ぶ炭素14濃度の急増を発見しました。この発見はNatureに発表され、世界中を騒がせ、その後、全世界の樹木の775年の年輪で再現されました。何故、樹木年輪の炭素14が急に増えたのか、その原因は様々な分野の専門家によって検討されていますが、最も有力な仮説は、我々の最も身近な恒星である「太陽」で巨大フレアが発生したこととされています。

そのフレアの正確な規模は「推定不能」。観測史上最大の太陽フレアの数十倍から百倍の規模とも言われています。近年、太陽フレアは、大規模な停電や通信障害を引き起こす、危険な自然災害として認識され始めています。もし、高度に文明が発達した現代社会において、775年と同規模の巨大フレアが発生したとしたら、想像もできないような大災害が起きる可能性があります。樹木年輪の記録から、その謎に迫ります。

 

第445回「絵画史から見た江戸の妖怪絵巻」

開催要項

日程 2023年8月12日(土)
講師 大久保 純一(本館情報資料研究系教授)

講演趣旨

第3展示室特集展示「江戸の妖怪絵巻」(8月1日~9月3日)の展示作品を適宜取り上げつつ、江戸時代における妖怪表現を主として絵画史的な視点から考察します。江戸時代、狩野派を中心に中世以前の絵巻を模写することが積極的に行われていましたが、その中には「百鬼夜行絵巻」や「土蜘蛛草紙」などの怪奇表現豊かなものも含まれます。そうした古画学習の活動がもととなり、さまざまな類作や新たな絵巻作品を生み出しただけでなく、それらの版本化なども通して絵巻の中の妖怪図像が読本や黄表紙・合巻などの小説挿絵など浮世絵師らが描く作品にも広がっていき、さらには「百鬼夜行」という言葉のイメージの浸透が江戸末期の風刺画の成立へとつながっていったことを概観します。

 

第444回「顔・身体をもった縄文土器」

開催要項

日程 2023年7月8日(土)
講師 中村 耕作(本館考古研究系准教授)

講演趣旨

本講演では縄文土器の特徴である顔・身体装飾をもった土器を、丁寧に順番に並べていった時に分かってきたことをお話しします。

約5000年前の縄文時代中期中葉の中部高地周辺には、「顔面把手付土器(がんめんとってつきどき)」とよばれる一群がありますが、これが盛行する時には、先行する系統である「土偶装飾付土器(どぐうそうしょくつきどき)」は、足から順に土器の器体の文様に融合してしまいます。同時に、土器の上に顔から腰までの土偶が付いた「土偶付土器」が出現し、やがてその土偶に尻、脚が伸びていきます。つまり、土偶のような顔が付いた、一見よく似た土器群は、互いにその盛衰の時期を補い合いながら、また顔・半身・全身という表現を変えながら、変化していったのです。

約2000年後、後期後葉の東北・北海道には、注口土器(ちゅうこうどき)や香炉形土器(こうろがたどき)に、時には複数の顔が付きます。これも、もう少し前から順に追っていくと面白いことが分かります。後期中葉の注口土器にはまだ顔はありません。注口土器自体が土器群の中で別格の存在だったのです。しかし、その後、他の土器と同じ文様をもつ標準的な注口土器に加えて、微隆線という特殊な文様をもち赤彩したもの、さらに環状注口土器や巻貝形注口土器などの特殊な形態が出現し、新たに香炉形土器が出現し、そして顔が付くに至るのです。ここからは、「より特別な土器」を目指して次々に形が複雑になっている、その頂点に顔が付くということが分かります。縄文人も「顔」を特別な存在と考えていたのでしょう。

第443回「『聆涛閣集古帖』と近世好古家の世界」

開催要項

日程 2023年3月11日(土)
講師 三上 喜孝(本館研究部教授)
一戸 渉(慶応義塾大学附属研究所斯道文庫教授)
藤原 重雄(東京大学史料編纂所准教授)

講演趣旨

三上 喜孝(本館研究部 教授)
企画展示「いにしえが、好きっ! ―近世好古図録の文化誌―」でとりあげる『聆涛閣集古帖』(本館蔵)は、江戸時代後期に神戸・住吉の豪商吉田家が三代にわたり編纂した古器物の一大図録集で、考古資料、古文書、美術工芸品など、じつにさまざまなジャンルの歴史資料が約2400件ほど模写されています。そのなかにはいまに伝わる文化財も数多く含まれ、それらが大切に伝えられてきたことがわかります。この講演では、『聆涛閣集古帖』の魅力や、この企画展示の意図、さらには展示のみどころなどを解説しながら、近代的な博物館が生まれる以前の、「好古家」(いにしえ好き)たちの歴史資料への情熱と豊かなまなざしについて考えたいと思います。

 

一戸 渉(慶応義塾大学 斯道文庫 教授)
いにしえの文物を愛し、その実物や情報をあつめようとする好古家たちは、18世紀末以降の日本に陸続と登場しました。企画展示「いにしえが、好きっ!―近世好古図録の文化誌―」の主人公である吉田道可(1734~1802)もまた、そうした好古家のひとりです。道可以来吉田家三代にわたる編纂書『聆涛閣集古帖』は近世期の好古図譜として最大規模のものですが、その成り立ちはどのようなものだったのでしょうか。また歴代の吉田家では同時代の文人墨客や貴顕らとさまざまな関りを持っています。そうした人的交流と好古趣味との間の関係をどのように捉えるべきでしょうか。現在判明している資料を読み解きながら、近世日本における好古のいとなみをいま一度捉え返してみます。

 

藤原 重雄(東京大学史料編纂所 准教授)
吉田家による古物蒐集の対象は幅広く、現在の資料分類でいう考古遺物・美術工芸品に加え、主に文献史学が扱う古代・中世の古文書も多数含まれました。公家・大名家・寺社を除いた、江戸時代の民間における蒐集文書として屈指の史料群であり、その一端をご紹介します。また、見どころの多い『聆涛閣集古帖』ですが、近代以降の学問分野からは狭間に落ちてしまったジャンルを掘り起こす契機ともなります。とくに「乗輿」帖について、貼られている絵図の正体を探りながら、同時代的な復古意識に及んで、本展全体の理解を深めていただければと思います。その背後には、持てる財力を活かして社会へ働きかけるような吉田家の人々の姿も浮かび上がります。