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第411回「日本の中世文書を考える」第410回「太上天皇の『詔勅』」第409回「書かれたものとのつきあい方-民俗研究の新視点-」総研大 大学院講演会「古墳時代における日本列島と朝鮮半島の技術交流」第408回「書かれたものとのつきあい方-民俗研究の新視点-」第407回「世界の王墓、日本の古墳」第406回「中世日本の国際交流-船舶・航海の視点から-」

第411回「日本の中世文書を考える」

開催要項

日程 2018年11月10日(土)
講師 小島 道裕(本館歴史研究系)

開催趣旨

開催中の企画展示「日本の中世文書―機能と形と国際比較―」の代表者として、企画の趣旨や展示内容について、具体的な文書を取り上げてご説明します。

文書は、言葉を文字にしたものです。背後には、誰かの「何かを伝えたい」という意思があり、その伝達のために作られたツールです。原初的な文書の後、古代中国で作られた官僚制とそれに基づく文書の体系をいったんは受け入れますが、やがて「官」の文書は形骸化し、手続き文書や下文、そして書状様式の文書が、公文書としても使われるようになります。武家文書においても、個人が出す文書である書状様式の文書が次第に卓越していきます。
一方で、庶民も律令文書の書式を相対の契約書類に応用し、また寺院では集団の組織に応じた文書が作られ、公家の世界では中世的に変容した文書の作成が行われました。時代や社会のあり方と共に文書の「形」も変わり、新たな様式が作られていきます。

戦国大名の文書は大部分書状様式で、「印判状」に押された印も花押代わりのものが多いのですが、北条氏やその影響を受けた千葉氏など関東の大名には、当時の「東アジア標準」とも言える印の用法が見られます。それは近世には受け継がれなかったのですが、明治に入ると、王政復古を掲げた新政府は、印のある公文書を復活させます。しかし、それは「東アジア標準」の様式を模倣したもので、しかも実名+花押という武家の署判的なものに変質してしまいます。

今日用いられている文書の様式は、このような長い「日本文書史」を反映したもので、その特徴はアジアの文書と比較することで明らかになる、と言えるでしょう。

第410回「太上天皇の『詔勅』」

開催要項

日程 2018年10月13日(土)
講師 仁藤 敦史(本館歴史研究系)

開催趣旨

2016年8月8日「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」がテレビなどで公開されました。戦後七十年が経過したにもかかわらず、日本国憲法に規定された象徴天皇制の内実が必ずしも十分には定まっていなかったことを国民に強く印象づけました。万世一系、男系男子、終身在位や元首的立場にこだわってきた近代天皇制と、生前譲位、太上天皇さらには女帝も許容した古代以来の天皇制度との差異がこれにより明らかとなりました。

世界史的に類のない前君主の地位を制度的に認めた二重王権としての譲位制および太上天皇制も、天皇の絶対的権威を弱めるものとして近代には採用されませんでした。

筆者は、かつて太上天皇についての考察をおこなった際に、以下のように論じたことがあります。「太上天皇の存在は、永遠不変の原理と考えられがちな天皇制を相対化する素材として大きな意味を有し、天皇制を時代に即して変容していく制度として位置づける可能性が太上天皇の研究には秘められている」。この提言は、図らずも「おことば」以降においては、より現実的な意味を持つようになったと考えます。

この太上天皇制を考える場合、一つの焦点となるのは、太上天皇が「二人目の天皇」として天皇と同質の詔勅を発出する主体として本来的に構想されていたかどうかという問題です。この点について、古代古文書論の重要な問題としても位置づけ考察します。

第409回「おみやげからみる日本文化の特質とその広がり」

開催要項

日程 2018年7月14日(土)
講師 川村 清志(本館民俗研究系)

開催趣旨

おみやげを買ったことがない、という人はほとんどいないでしょう。おみやげをもらったことがないという人はさらに少数派かもしれません。全ての国民が一年に一度は旅行に行くとされる現代において、おみやげの贈答もまた、日常的なやりとりの一つとなっています。ここでは、企画展示『ニッポンおみやげ博物誌』に合わせて、近世から近・現代にかけて展開した「おみやげ」という贈答文化から、日本文化の特質とその背景について考察していきます。

日本のおみやげには、お菓子を中心とした食品が多く、自分以外のために購入することが多いといった特徴があるとされます。また、食品であれ工芸品であれ、モノは何らかの移動を経て、誰かの思いや記憶が付与されることでおみやげになると考えられます。このようなおみやげを考える上で注目するのが、広い意味での物語とコレクションです。オミヤゲには様々な物語が付着してきました。近年、観光の文脈で明示的に語られる「物語」の位置付けは、おみやげが商品展開する過程で行ってきた戦略の焼き直しという側面もあるかもしれません。

物語とともに本講演のもう一つのテーマとして、オミヤゲを集めるという行為、すなわちコレクションやコレクターにも目を向けなければなりません。コレクションは人とモノとの関係を検討するうえで非常に重要なリソースですが、その広がりや傾向を紹介することで、モノをより体系的に蒐集する博物館の今日的な役割まで考察を進めたいと考えています。

総研大 大学院講演会「古墳時代における日本列島と朝鮮半島の技術交流」

開催要項

日程 2018年6月9日(土)
講師 高田 貫太(本館考古研究系) 他

大学院講演会の詳細はこちら

第408回「書かれたものとのつきあい方-民俗研究の新視点-」

開催要項

日程 2018年5月12日(土)
講師 小池 淳一(本館民俗研究系)

開催趣旨

民俗学は日常のくらしのなかで、文字に頼ることなく、からだを通して受け継がれてきた文化を対象とする学問としてスタートしました。そうした伝承のなかに、わたしたちの過去とつながりを見いだし、さらには未来を考える材料があると考えたのです。

しかし、日本列島各地から、フィールドワークによってたくさんのデータが集められるようになると、それらとよく似たものや、深く関わるであろうと思われるものが文字にも記されていることがわかってきました。文字記録も民俗学のたいせつな資料となることが理解されるようになったのです。

この講演では、くらしのなかの文字が、記憶をおぎなったり、想念を固定するばかりでなく、伝承と向きあい、それらを取り込んだり、生み出したりしてきた様相について考えてみたいと思います。文字は歴史を考えるときにもっとも重要な材料ですが、くらしのなかの文字にはさまざまな意味があり、またその積み重ねが、新しい民俗を生み出していく場合もあります。

ここでは当館の第4室(民俗)で開催中の特集展示「お化け暦と略縁起―くらしのなかの文字文化―」で提示した暦や略縁起に関連する資料にも言及しながら、文字文化を意識した民俗学の可能性についてお話ししたいと思っています。

第407回「世界の王墓、日本の古墳」

開催要項

日程 2018年4月14日(土)
講師 松木 武彦(本館考古研究系)

開催趣旨

今から約1,800年前の紀元後3世紀から約350年間、日本列島には巨大な王の墓-古墳-が築かれました。その規模は、エジプト古王朝時代のピラミッドや中国・秦の始皇帝陵に匹敵します。古代エジプトや秦帝国ほどの広域支配や専制体制をもたなかった古墳時代の日本に、なぜこれほどまでのスケールをもつ王墓が築かれたのでしょうか。世界の王墓と比較することによって、日本列島に巨大古墳が登場した理由とメカニズムに迫ってみたいと思います。

人類初の巨大な王墓はアフリカ大陸で発生しました。エジプト古王朝時代のピラミッドですが、比較的短期間で衰退し、後にはつながりません。南北アメリカ大陸では、石造や土築の神殿がたくさん築かれ、その中には王の埋葬を含むものがありますが、日本の古墳と同じような王墓プロパーの建造物は発達しませんでした。

王墓がもっとも長期間、大規模に発達するのはユーラシア大陸です。紀元前3千年紀に中央アジアで発生したクルガンは、地表や地下に墓室を作って王を埋葬し、その上に墳丘を築きます。これが各地に伝わり、トルコでは径350mという想像を絶する大きさに発達しました。ヨーロッパに伝わったものはケルトの王に取り入れられ、墓室にたくさんの財物を副葬するので有名です。

中国では戦国~秦・漢の時代にかけて、王・諸侯や皇帝の墓が大きく造られました。紀元後2~3世紀に漢が衰退して滅亡すると、今度はそれに乗じて台頭し始めた周辺諸民族の国々が、王の墓を大きく造るようになります。日本列島の古墳もその一つで、高句麗・百済・新羅などの朝鮮半島諸国の王墓と競い合い、影響を与え合いながら発達しました。都市の形成が遅れ、海に囲まれて防御施設もあまり必要としない特殊な歴史的環境の中で、墓づくりに莫大なコストが投入された結果、世界にも類をみない規模と密度で、日本列島の王墓は発展したと考えられます。

第406回「中世日本の国際交流-船舶・航海の視点から-」

開催要項

日程 2018年1月13日
講師 荒木 和憲(本館研究部)

開催趣旨

中世の日本は自由闊達な国際交流が花開いた時代です。東アジアの中国・朝鮮・琉球はもちろんのこと、東南アジア、遠くヨーロッパとも交流しました。そうした日本の国際交流は、列島をとりまく海、そしてその海を越えるための船と航海の問題を抜きにして考えることはできません。

造船史の分野では、絵巻物に描かれた船をもとに、中世は準構造船から構造船へと発展した時代であるとされます。その代表例が中国(明)に渡る遣明船や東南アジアに渡る朱印船に使用された大型船です。こうした大型船が外洋船として使用され、国際交流の範囲を拡大させた意義は大きいのですが、大型船だけが国際交流に使用されたかといえば、そうでもありません。

中世の日本は朝鮮と活発に交流していました。とくに15世紀後半からは対馬が貿易権の独占化を図り、対馬と朝鮮との間では小型・中型の和船が頻繁に往来しました。もちろん大型の遣明船に比べれば、船1艘あたりの積載量は取るに足らないのですが、遣明船団がおおむね10年に1回のペースで往来したのに対して、遣朝鮮船は多いときには1年間に150回ほどのペースで往来しました。こうした朝鮮との日常的かつ頻繁な貿易が日本の経済に与えた影響は無視できないものがあります。

そのような見方をすると、対馬と朝鮮との間を往来した小型・中型の和船がどのような船だったのか、そして実際にどのような航海をしていたのかを考えてみる価値は十分にあるでしょう。

今回の講演会では、現在進行中の歴博共同研究「中世日本の国際交流における海上交通に関する研究」の最新成果の一端を紹介しつつ、地味ながらも堅実に中世日本の海外貿易を支えた小型・中型の和船の実態に迫りたいと思います。