このページの目次
第300回「出土鏡からみた古墳時代の東国」第299回「染織文化史-日本と韓国-」第298回「楽器と装飾-紀州徳川家伝来楽器コレクションを中心に-」第297回「季語と民俗」第296回「『伝統の朝顔』展10年のあゆみ」第295回「女たちの伊勢参り」第294回「旅から旅行へ」第293回「1200画面との格闘-第3展示室タッチパネルの秘密-」第292回「里山と民俗学」第291回「日本の銅鐸と北米の銅板」第290回「歴史研究の中の自然科学、自然研究の中の歴史学」第289回「日本列島古代の考古学-都城・城柵・碑(いしぶみ)・帯(かたい)」

第300回「出土鏡からみた古墳時代の東国」

開催要項

日程 2008年12月13日
講師 上野祥史(考古研究系)

開催趣旨

古墳時代には、北は岩手から南は鹿児島まで前方後円墳を築造します。墳形が代表するように、古墳にはこうした強い共通性がある一方、各地の特色も存在したのです。鏡は古墳に副葬した主要な副葬品の一つですが、その多くは倭王権中枢から地域へともたらされました。鏡を授受した背景には、鏡を配布する倭王権の思惑と鏡を受容する地域社会の主張が交錯しているのです。3世紀から7世紀まで、古墳時代を通じて鏡の副葬は継続しますが、両者のバランスによって、日本列島での分布状況は時期ごとに姿を変えます。今回は、関東地方で出土した鏡を紹介し、全国の様子と比較することで、東国における共通性と特色を整理します。その先に、古墳時代における東国の位置づけやその変化の様子を探ってみたいと思います。

第299回「染織文化史-日本と韓国-」

開催要項

日程 2008年11月8日
講師 澤田和人(情報資料研究系)

開催趣旨

日本の染織史研究には、壁として立ちはだかる二つの障害があります。一つは、物証があまりにも乏しい、という問題です。染織品は基本的には消耗品であり、しかも、脆弱な材質のため、後世まで伝存することは稀です。そのため、編年研究を進めることが困難になっています。もう一つは、東アジアにおいては中国が染織技術の圧倒的な先進国であった、ということからくる問題です。中国の近隣に位置する諸国の染織技術は、中国から多大な恩恵を受けています。世界規模で染織品が交易されていたこともあり、産地の比定が困難になっています。そうした壁の扉を開く鍵として、「[染]と[織]の肖像-日本と韓国・守り伝えられた染織品」展では、日本と韓国で守り伝えられてきた時代の基準作となる染織品に注目しました。展覧会の出陳品および準備のために調査した資料によって、新たに浮かび上がってきたことを、日本と韓国に伝来した染織品を比較しつつ考えていきます。

第298回「楽器と装飾-紀州徳川家伝来楽器コレクションを中心に-」

開催要項

日程 2008年10月11日
講師 日高薫(情報資料研究系)

開催趣旨

本館が所蔵する紀州徳川家伝来楽器コレクション(159件)は、主として紀州藩の第十代藩主徳川治宝(とくがわはるとみ・1771~1852)によって収集されたものと伝えられます。雅楽の楽器を中心に、吹きもの(管楽器)・弾きもの(弦楽器)・打ちもの(打楽器)などの各種楽器や、楽譜、調律具を含めて総数159件、213点におよびます。点数や楽器種の多彩さ、その内容から、楽器史や音楽史上きわめて重要な資料とみなされてきました。

本講演では、開催中の第3展示室ミニ企画展示に関連して、本コレクションの概要を紹介するとともに、コレクションの魅力のひとつである楽器に施された美しい装飾と、収納袋や箱など華麗な附属品の数々に注目します。楽器装飾に用いられたさまざまな素材や高度な工芸技術、楽器に装飾を加えることの意味などを通じて、江戸後期の大名家を中心とした文化のあり方について考えます。

第297回「季語と民俗」

開催要項

日程 2008年9月13日
講師 小池淳一(民俗研究系)

開催趣旨

季語を欠いても俳句が成立するかどうかは近代の俳句にとっての大きな問題でした。有季定型という命題のなかにこそ、俳句が成り立つという考え方も根強くあります。今回は、さまざまなかたちで論じられてきた俳句における季語の問題を民俗と民俗学の視点から改めて捉え直し、季語の成立過程、季語に現れた民俗、季語の深みを民俗学的に考えるといった問題についてお話してみたいと思います。

第296回「『伝統の朝顔』展10年のあゆみ」

開催要項

日程 2008年8月9日
講師 仁田坂英二(九州大学)
平野恵(文京ふるさと歴史館)
岩淵令治(歴史研究系)

開催趣旨

「変化朝顔と作り手」 (岩淵)
「19世紀文化史からみた変化朝顔流行史」 (平野)
「遺伝子に書き込まれていた朝顔の歴史」(仁田坂)

『伝統の朝顔』展10周年にちなみ、3人の展示プロジェクト委員より、この間の成果をご紹介致します。岩淵講演は、展示のあゆみと変化朝顔の歴史を簡単にふれ、とくに作り手やその変化をご紹介します。つづく平野講演では、変化朝顔の流行の形態、文化が上方から江戸に移った点や、量産化された印刷物における定型化など具体例を示し、他の19世紀に流行した文化と多くの共通点を持つことをお話します。最後に、仁田坂講演では、『あさかほ叢』の朝顔から、現在も見られるような複雑な変化朝顔はどのようにして作られ、保存されてきたか、ということをわかりやすく解き明かします。とくに、遺伝子の配列に当時の栽培家が努力して変化朝顔の系統を保存してきた経緯まで書き込まれていることや、江戸で最初に刊行された”朝顔図譜”である『あさかほ叢』に収録されている朝顔の解析もこころみます。

第295回「女たちの伊勢参り」

開催要項

日程 2008年7月12日
講師 山本志乃(旅の文化研究所)

開催趣旨

江戸時代の後期は、社寺参詣をきっかけとして、多くの庶民が旅を楽しんだ時代でした。なかでも伊勢参宮は、講と代参のシステムによって数ヶ月に及ぶ全国周遊の旅を展開させるなど、その旅のスタイルが近代以降にまで影響を与えるほどでした。

18世紀末に刊行された『伊勢参宮名所図会』には、そうした伊勢参りの旅を楽しむ人々が描かれていますが、そのなかに、旅姿の女たちを数多く見ることができます。江戸時代は、「物まいり、遊山すきする女房は離縁すべし」という慶安御触書の文言に集約されるとおり、女の物見遊山を否定した時代のはずでした。しかし、それが建前でしかなかったことは、これらの絵を見れば、一目瞭然といえます。近年、女が書いた旅日記の分析などから、これまで旅に出る機会などなかったと思われてきた江戸時代の女たちが、積極的にこれを楽しんだようすがしだいに明らかになってきています。徒歩で数百キロの道のりを歩きとおした時代に、女たちの旅にはどのような困難があり、またどのような楽しみがあったのでしょうか。現代にもどこか通じる、元気な女たちの旅を、ご一緒に追体験してみたいと思います。

第294回「旅から旅行へ」

開催要項

日程 2008年6月14日
講師 山本光正(歴史研究系)

開催趣旨

テーマを「旅から旅行へ」としましたが、ここでは旅は主として徒歩による移動の時代、旅行は鉄道等交通機関による移動の時代のことです。但し旅と旅行を厳密に分けるなどということはできませんので旅行の時代であっても旅と表現することがあることを断っておきます。

旅から旅行を語る素材は様々ありますが、ここでは旅行案内を中心に述べていこうと思います。旅行案内書は大きく[1]広域案内・[2]地域案内・[3]限定地域案内・[4]特定施設等の案内に分けることができます。[1]は東海道あるいは東海道線案内や日本全国案内などで、[2]は関係地方・湘南といった地域の案内です。[3]は東京・京都・大阪などの案内です。[4]は寺社や行楽施設等の案内で小冊子や一枚刷のパンフレットが多いです。

近世において最も重要な案内書は[1]の広域案内書でした。徒歩による移動の時代においては、自分が今どこにいるのか、次の宿場までどのくらい歩けばよいのかを知っておく必要がありました。そのため東海道や中山道をはじめとする街道の案内書が多数出版されています。その内容は主要街道の模式図を一枚の紙に刷ったものから冊子仕立ての詳細なもの、絵地図形式のものなどがあります。

近代に至り鉄道旅行の時代に入ると、東海道線案内のように鉄道沿線案内が出版されるようになりますが、近世の旅と異なり鉄道に乗れば目的地まで行けるため、次第に民間出版社からの広域案内書の観光は少なくなり、国鉄出版のものが主流となりました。昭和4年から9年にかけて旅行案内書の名著といわれる『日本案内記』全8冊が刊行されています。広域案内書の出版が少数派になっていくのに対し、地域案内書や限定地域案内書が盛んに出版されるようになりました。鉄道により歩く必要がなくなったため、旅行者は目的地の情報を得るだけで事が足りたのです。さらに旅行の多様化により、温泉案内やハイキング・登山・海水浴場など旅行の目的に即した案内書も出版されるようになっています。

現在では旅行案内の著者など気に止めることもありませんが、かつては旅行案内書作家ともいうべき人たちがいました。その代表が田山花袋です。彼は小説家として活躍する一方、多くの旅行案内書を著しています。旅行案内書は現在では旅行後廃棄される運命にありますが、旅行案内書は読むものであり、旅の記念として保存されるものでした。以上本講演においては旅行案内書を通して旅から旅行へについて述べることにします。たかが旅行案内書されど旅行案内書です。

第293回「1200画面との格闘-第3展示室タッチパネルの秘密-」

開催要項

日程 2008年5月10日
講師 鈴木卓治(情報資料研究系)

開催趣旨

3月18日にリニューアルオープンした第3展示室には、28台のコンピュータが置かれ、87の番組が提供されており、1730画面分の情報を来館者のみなさんにお楽しみいただいています。これらの番組は実はいまでもデータの追加や修正が行われており、じつは講演のタイトルである「1200画面との格闘」は「1700画面と格闘中」と修正しなければいけません(笑)。本講演では、あしかけ4年にわたって準備された(そしていまも続いている)タッチパネルを利用した情報端末とコンテンツの秘密について、その舞台裏をご紹介します。いつもの講演会と違って、歴史学の話ではなく、コンピュータやデジタル技術の話が多くなってしまいますが、みなさんがご想像されるよりはるかに人間臭い話がいっぱいありますので、お楽しみいただけることと思います。

第292回「里山と民俗学」

開催要項

日程 2008年4月12日
講師 安室知(民俗研究系)

開催趣旨

現在、都市に暮らす人でも、里山の水田風景に“自然”を感じるという人は多くいます。日本人は人を寄せつけない大自然には“自然”は感じないといえます。そのことは、日本人の自然観は歴史的に培われたものであることをよく示しています。なぜ日本人は沖積平野に広がる大規模な水田ではなく、里山に古くからあるような箱庭的な水田風景に“自然”を感じるようになったのかを考えると、それはもっとも高度にそして長期にわたって人の手が加えられてきた空間だからだといえます。 里山やその水田を維持してきた民俗技術は“自然”を改変するだけではなく、改変した中にいわゆる“新たな自然”(二次的自然)を生み出します。日本人の自然観はそうした“新たな自然”に影響されているといえます。里山やその水田を維持してきた民俗技術が“自然”との共生関係を維持するうえで重要な意味を持ち、その共生関係に日本人は強く“自然”を感じるようになったといえましょう。そうした点を、里山に伝承されてきたさまざまな民俗技術を手がかりに考えてみたいと思います。

第291回「日本の銅鐸と北米の銅板」

開催要項

日程 2008年3月8日
講師 春成秀爾(考古研究系)

開催趣旨

銅鐸は、前4世紀~後2世紀ころ、弥生時代中期~後期の人びとが稲の祭りで神を招くカネとして、あるいは近畿や東海地方の人びとが政治勢力の象徴として使った青銅器です。その一方、銅板Coppersは、後18~20世紀に北アメリカ(カナダ・アメリカ)の北西海岸先住民がポトラッチで富と威信の象徴として使った銅器です。私は銅鐸を30年余り、銅板を2005年以来3年調査してきました。両者を結んでいるのは、私がどちらにも同等の関心をもち、実測図を作成し、年代的変遷や地域・民族のちがいを明らかにして、歴史を解明したいという共通の課題をもったことにすぎません。しかし、比較という観点からみると、最後のところで両者はつながるかもしれないと思っています。 今日は、銅鐸、銅板と私といった内容で、これまでの私の研究の過程の一端を話すことにしたいと思います。

第290回「歴史研究の中の自然科学、自然研究の中の歴史学」

開催要項

日程 2008年2月9日
講師 今村峯雄(情報資料研究系)

開催趣旨

現在、学術研究における文理融合が新しい局面を開く方法として期待されています。歴博において自然科学をバックに研究してきた1研究者として、あらためて、歴史研究と自然科学の関係を考えてみました。まず、日本の歴史における砲術における「実験科学」的発想について紹介します。その事実はあまり注目もされず知られてもいないようにおもいますが、所荘吉による解説書を基にそのエッセンスについて紹介します。対象に働きかけて「実験」を行い、その結果をフィードバックするという、現代的な考え方の芽生えが西洋に先んじて行われていたことが注目されます。次に、演者が歴博でおもに携わってきた年代研究について多くの事例をもとに紹介します。また、歴史研究における年代測定が「実験科学」としての様態を持っていること、研究の試行錯誤とその成果の関連分野へのフィードバックが将来への発展に繋がるであろうことを理解していただければ幸いです。

第289回「日本列島古代の考古学-都城・城柵・碑(いしぶみ)・帯(かたい)」

開催要項

日程 2008年1月12日
講師 阿部義平(考古研究系)

開催趣旨

日本列島の3分の1ほどを占めて成立した古代の日本国だけでなく、共通の基層文化から発した日本列島全体の古代の歴史を、考古学的に展望してみると、その実像はどう描かれるでしょうか。北域・中域・南域の三つの主要文化とその広い領域に、歴史と文化が分離する時期があり、各領域は伸縮を重ねながらも、一千年程度あるいはそれ以上の歴史を刻みました。また各域間の交流史が、各域の分離文化形成と深く関わっていたことも知られるに至りました。これらのことを5点ほどの話題にしぼって考えてみたいと思います。