浄土宗四ヶ本山の一つ。「百万遍」の号は、後醍醐天皇の命を受けて疫病鎮めの七日念仏百万遍を修したことによるという。足利義満の相国寺造営に際して、一条油小路北に移転。応仁の乱などで焼失したが、1519年幕府によって再建されたのが本図の姿である。秀吉の京都改造などでさらに移転している。