足利義政が15世紀末に造営した東山山荘が、義政の死後に臨済宗寺院とされたもの。寺名は義政の法号にちなむ。後世、北山の金閣寺に対して銀閣寺と呼ばれた。1555年に兵火で多くの建物を失うが、ここには三棟の堂舎が描かれている。手前の道は坂本へ通じる今道越えか。