1291年亀山天皇が離宮を禅寺としたことに始まり、14世紀初めには伽藍が整い、五山の上位に位置づけられたが、14世紀末には火災にあい、また応仁の乱の兵火で焼失して衰えた。この屏風でも本堂などが描かれているだけで、全盛時の有様はうかがえない。