町通りに設けられた、下京の北の境の門。戦国時代の京都は、下京、上京、寺社門前などいくつかのまとまりに分かれていたが、それぞれが「構(かまえ)」とよばれる防御施設で囲まれ、出入り口には、木戸、釘貫(くぎぬき)などと呼ばれる門が作られていた。