保津川の下流、嵐山の麓の渡月橋付近を大堰川と言い、その下流を桂川と呼んだ。貴族らの遊覧の地であり、著名な歌枕として知られた。亀山天皇の命名という渡月橋は、応仁の乱でも戦場となって破壊され、1479年(文明11)に再架された。たもとの一行は紅葉狩りか。