原本は関東大震災で消失し、写本しか伝来していないため誤記と思われる箇所がかなりみられます。
活字体でも明白な誤りは訂正され、推定部には「○○カ」と表記されていますが、このデータベースでは
その推定が正しい判断される場合は訂正し、なお疑問が残る場合のみ活字本の記載を(「○○カ」)と表記しました。
また活字本に誤記の記載がない場合でも、訂正を加えています。たとえば「旧高旧領取調帳」東北編では
「磐城国蕪田村」(同4頁)と表記されていますが、これは「蕪内村」であるため、訂正しています。
このような誤記は約300件にのぼりますが、単純な誤記であるため、特に注記はしていません。後掲の参考表をご参照下さい。
関東・中部には次のような誤記が多くみられます。
武蔵国葛飾郡の項 | 上内川村 | 代官小笠原甫三郎支配所 | 832.8440 | 葛飾県 |
女体社領 | 0.1200 | 〃 | ||
代官小笠原甫三郎支配所 | 681.7740 | 〃 | ||
広島村 | 地蔵院領 | 0.4693 | 〃 | |
自性院領 | 1.2027 | 〃 | ||
蓮花院寺領 | 0.0350 | 〃 |
上内川村と広島村の村高から考えると、上内川村は代官小笠原甫三郎支配所と女体社領、 広島村は代官小笠原甫三郎支配所・地蔵院領・蓮花院寺領と判断されます。 この種の誤記についても可能なかぎり訂正しています。
活字本では異本が残されている場合、両者を収録した例があります。
たとえば下総国葛飾郡はひとつの村について二種類のデータが示されていますが
(「旧高旧領取調帳」関東編、269頁以降)、このデータベースでは重要な差異が認められた場合のみ、
( )で異本の記載事項も注記しました。これは同一村が重複して検索されることを避けるためです。
原本に忠実な活字本では、「島田」と「嶋田」のように同一名でありながら、表記が異なる場合があります。これは検索には適さないため、明らかに同一とみなされる文字の
場合は現行の通例に従って統一しました。たとえば「嶋」は「島」と表記しました。
旧領主名の項は同一領主の場合でも、たとえば「内藤金一郎領分」と「挙母藩領分」のように
異なる表記がされている場合があります。そこでこのデータベースでは前者に「挙母藩」という
文字を並記しました。そのため「○○藩領分」で検索すると両方のデータが得られ、「何某領分」
で検索すると必ずしも全データを得られないことがあるので注意してください。
同一人物でも「山城守」とも「半左衛門」とも表記されている場合があります。この場合は( )
で別称を表記するように努めています。
「旧高旧領取調帳」写本が現存しない場合、活字本は適宜「天保郷帳」を利用しています。
この場合、郡ごとに一括して領主名を表記していますが、このデータベースでは活字本の解題を参考に、
各村ごとに領主名を表記しました。また「旧高旧領取調帳」但馬団の項は生野代官所領と
久美浜代官所領の表記が欠けている場合が多いので、注意してください。
地名・旧領主名には入力不可能な文字がいくつかあります。この場合、たとえば「」は「*〔金房〕」とし、
それも困難な「高
」のような場合は「*〔高オカミ〕」としました。
地名読み仮名・現行故地名は原則として『角川日本地名大辞典』の表記を用い、一部
『平凡社 日本地名歴史体系』に依りました。
近世には地域の慣行で一村として把捉されていたものや特別な呼ばれ方をしていた場合があります。
とくに旧村の前後に付された文字は、地名辞典では確認できないものが多くあります。
そこでこれらの文字については次のように読みました。
受 うけ | 新 しん |
浦 うら | 添作 そえさく |
奥 おく | 外新田 そとしんでん |
方 かた | 中 なか |
上 かみ | 西 にし |
北 きた | 東 ひがし |
組 くみ(ぐみ) | 開 ひらき |
郷 ごう | 分 ぶん |
郷総(惣)分 ごうそうぶん | 分郷 ぶんごう |
興野 ごうや | 本 ほん |
越右 こしこく | 本郷 ほんごう |
古新田 こしんでん | 南 みなみ |
下 しも | 元 もと |
宿 しゅく | 除地 よけち |
出作 しゅっさく | 里 り |
庄 しょう | 割 わり |