研究活動一覧

科学研究費補助金による研究

平成16~20年度 文部科学省・科学研究費補助金 学術創成研究費:
弥生農耕の起源と東アジア-炭素年代測定による高精度編年体系の構築-

九州における縄文晩期から弥生前期の実年代

はじめに

長崎県南島原市権現脇遺跡と福岡市板付(いたづけ)遺跡34次調査によって出土した突帯文(とったいもん)土器と、晩期系煮炊き用土器(以下、晩期系土器群)に付着した炭化物の14C 年代を測定した結果と波及する問題を報告します。

14C 年代測定

1 晩期系土器群の14C 年代-権現脇遺跡-

突帯文土器を含む権現脇遺跡出土の10個体12試料の 14C年代を測定したところ、2900~2500 14C BPの非常に長期にわたる年代幅を持つことがわかりました。

2 夜臼(ゆうす)Ⅰ式の14C年代-板付34次調査-

夜臼Ⅰ式に比定された5個体7試料を測定しました。突帯文土器は1点で、他の4個体は晩期系土器群です。測定値は2570~2670 14C BPでまとまった数字を示すので、夜臼Ⅰ式の14C 年代として安定した値といえます。δ13Cはすべて-25.0‰より軽いので、陸生の動植物に起因すると考えられます。

3 調査結果- 14C 年代-

権現脇、板付遺跡で測定された 14C 年代と、これまで測定した九州北部の縄文晩期から弥生前期の炭素年代を比較しました。以下はこれまでに得られた当該期の試料54点から得られた型式ごとの 14C 年代で、絞り込む前のデータです。突帯文土器に伴う黒川式新や組織痕文土器は2860~2590 14C BP、山の寺式は2880~271014C BP、夜臼Ⅱa式は2970~2640 14C BP、夜臼Ⅱb式は2660~2510 14C BP、板付Ⅰ式は2590~2520 14C BPです。
2遺跡の 14C 年代をこれらと比較すると、まず晩期系土器群は、291014C BPを示す突帯文土器以前、山の寺式、夜臼Ⅰ・Ⅱa式、原山式に伴う4つのグループに分かれる可能性が出てきます。次にこれまで板付Ⅰ式よりやや古く位置づけられてきた原山式は、 14C 年代が2590~2570 14C BPであることから、夜臼Ⅱb式や板付Ⅰ式の 14C 年代とほぼ同じでした。この結果、原山式が九州北部の夜臼Ⅱb・板付Ⅰ式共伴期に併行する弥生前期の突帯文土器であることは確実です。
晩期から続く粗製鉢や組織痕文土器は、14C 年代を導入する以前であれば、晩期最終末の黒川式か、もっとも古い突帯文土器に伴うものと理解されてきましたが、14C 年代測定の結果、地域によっては弥生前期まで存続することが明らかになりました。
次に板付34次第9層から出土した夜臼Ⅰ式の14C 年代は、山の寺式より新しく、夜臼Ⅱa式と重複していることがわかる。

4 考察

①土器型式を用いたウィグルマッチング法
この方法は、年輪の代わりに土器型式の順番(新旧ではない)を用いて土器型式の実年代を暦年較正曲線上で解析する方法です。
較正年代を算出する前に、各土器型式の位置をIntCal04上で決めておけば、較正曲線が乱れたところに試料の 14C年代がかかる場合でも、較正年代推定域の幅を考古学的に絞り込める方法として活用されています。現在、縄文晩期から弥生中期末まで約140点の 14C年代がプロットされており、型式ごとの位置を±40 14C年の誤差で知ることができます。
図1は晩期系土器群をプロットしたものである。で示した突帯文土器以前の土器に伴う第1群、山の寺式に伴う第2群、夜臼Ⅰ・Ⅱ式に伴う第3群、原山式に伴う第4群に分かれることがわかります。

②年輪年代との照合
学術創成研究グループでは、縄文晩期の始まりを前1250年頃、山の寺式は前10世紀後半、夜臼Ⅱa式は前900年頃、板付Ⅰ式は前810年~前750年のどこかにくると考えてきました。
東広島市黄幡(おうばん)1号遺跡から見つかったヒノキ材は、光谷拓実氏によって年輪年代が出されていますが、本年度、尾嵜大真氏は前8世紀前半部分の 14C 年代を測定したので、較正年代と照合してみましょう。
まずこの木の14C年代はIntCal04と誤差の範囲でよく一致していることがわかりましたので、欧米の樹木をもとに構築された較正曲線が、前8世紀あたりの日本列島の試料でも有効であることを初めて証明するとともに、14C 年代と年輪年代の調和性も改めて確認しました。
その上で付着炭化物から得られた夜臼Ⅱb式や板付Ⅰ式の14C 年代は、年輪年代で前8世紀前半と出た年輪部分の14C 年代結果ともよく一致することを確認できたのです。
したがって土器型式を用いたウィグルマッチング法と年輪年代がわかっているものの炭素14年代を測定すれば、幅広い較正年代推定域をもつ夜臼Ⅱb式・板付Ⅰ式が、2400年問題とは無関係であり、前750年以前にくることを再確認できたことになります。

③山の寺式と夜臼Ⅱ式との関係
九州最古の突帯文土器は、九州中部の山の寺式と九州北部の夜臼Ⅰ式で、両者は時期を同じくする地域差と考えられてきました。
しかし今回の調査で、山の寺→夜臼Ⅰ・Ⅱa→Ⅱb・板付Ⅰ式という 14C 年代結果となり、較正年代はそれぞれ、前10世紀後半、前9世紀前半から中頃、前9世紀末から前8世紀前半となります。
それでは山の寺式と夜臼Ⅰ式が時期差ということになるかというとそう単純ではありません。私たちが測定した土器は、本来の土器型式の存続幅の一部である可能性が残っているからです。
佐賀県東畑瀬遺跡や石木中高(いしきなかだか)遺跡では晩期系土器群に伴って山の寺式が出土しています。炭化物が少なく測定していませんが、伴った晩期系土器群は2800 14C BP代を示すので、同時期の山の寺式が存在する可能性はあります。同様に板付34次の夜臼Ⅰ式は、いわゆる板付縄文水田の最下層である夜臼Ⅰ式よりも新しいという山崎純男の指摘があります。このように両型式とも古相の 14C 年代がまだ明らかでないため、時期差問題は将来の課題にしたいと思います。

5 まとめ

①粗製深鉢や組織痕文をもつ鉢・深鉢類は、山の寺式や夜臼Ⅰ式の器種構成として位置づけられ、島原半島では板付Ⅰ式に併行する段階まで存続することが明らかになりました。これは晩期系土器群の残存と考えるよりは、実態として理解すべきでしょう。なぜなら突帯文土器には炭化物の付着が少ない反面、伴うこれらの晩期系鉢類にはびっしりと付着しているからです。日常的な煮炊き過程における突帯文土器と晩期系鉢類との間に、なんらかの使い分けがあった可能性が考えられます。

②14C 年代の測定結果は、夜臼Ⅰ式が山の寺式に後出する可能性を示していたが、夜臼Ⅰ式古相の測定をおこなっていない現状では、将来の課題といわざるを得ません。

(文責 藤尾慎一郎)