年度別研究調査報告

2014年6月22日~7月4日

ボン大学・ボーフム大学所蔵シーボルトおよびトラウツのコレクション調査

国立歴史民俗博物館・宮坂「アレクサンダー・ハインリッヒチーム」

[調査地]ボン大学、ルール大学ボーフム図書館

[調査先担当]湯川史郎(ボン大学専任講師)、レジーネ・マティアス(ルール大学ボーフム教授)

[参加者]宮崎克則(西南学院大学)、オスター・カンプ(ボーフム大学東洋学部教授)

ボン大学ではドイツにおける最初のシーボルト研究者であるトラウツの収集資料を調査した。1938年、京都ドイツ文化研究所の主事を辞したトラウツはドイツの故郷カールスルーヘに戻る。1942年のイギリス軍によるカールスルーヘ爆撃を機に、トラウツはコレクションの一部をバンベルク市の博物館に「貸与」という形で疎開させる。彼の死後の1952年、婦人ヒルダ・トラウツの了解の下、彼のコレクションはバンベルク市の所有となる。その後、1961年にはヒルダ婦人の意向により、バンベルク市へ寄贈されたガラス乾板などの写真資料と日本研究に明確に関連する資料は、整理や展示が進んでいなかったこともあり、ボン大学へ輸送されることになった(これによって、トラウツのコレクションはボン大学とハンベルク博物館に分割されることとなる)。現在、ボン大学が所蔵する「トラウツ・アーカイブ」はそれであり、そのなかにベルリン日本研究所が所蔵していた『NIPPON』が含まれていることを確認した。なお、ボン大学の専任講師湯川史郎氏によると、「トラウツ・アーカイブ」を主体に1930年前後におけるドイツと日本におけるシーボルト研究のあり様を解明するための「科研」をドイツで申請中とのこと。これまでほとんど利用されなかったトラウツ・コレクションの研究利用が進むと思われる。

またボーフム大学のシーボルト・コレクションの調査によって、シーボルトの助手として出島へやってきたビュルガーは、1829年のシーボルト帰国後も出島に残り、シーボルトの日本研究のための動物・植物標本の収集などに協力し、さらに和書も収集していたこと、その和書を1838年にシーボルトへ売却していたことが、オスター・カンプ(ボーフム大学東洋学部教授)氏との共同調査で判明した。次回はボーフム大学図書館が所蔵する和書を再調査する必要がある。

(文責:宮崎)

ボン大学 トラウツ・アーカイブ
ボン大学 トラウツ・アーカイブ
 
ボーフム大学 シーボルト・コレクション
ボーフム大学 シーボルト・コレクション