年度別研究調査報告

2011年7月30日~10月3日

第1回ライデンのシーボルトコレクションに関する日本調査

国立歴史民俗博物館・松井「ブロンホフ・フィッセル チーム」

[調査地]文化文政期工芸品を所蔵する厳選40カ所
北九州市立長崎街道木屋瀬宿記念館、下関市立長府博物館、下関市立長府博物館、竹原市歴史民俗資料館、広島県立歴史博物館、福山市鞆の浦歴史民俗資料館、岡山県立博物館、兵庫県立歴史博物館・書写の里姫路市立美術工芸館、むかし下津井回船問屋資料館、室津海駅資料館・室津民俗館、城崎麦わら細工伝承館、城崎町文芸館、京都府総合資料館、京都府総合資料館、阿蘭陀宿海老宿跡、香老舗松栄堂、水口歴史民俗資料館、関まちなみ資料館、旅籠玉屋歴史資料館、枚方宿鍵屋資料館、淀川資料館、伏見本陣跡、大阪歴史博物館、牛窓・宮島歴史民俗資料館、宮島伝統産業会館、京都市歴史資料館、京都古梅園、京都府総合資料館、桑名市博物館、三重県鋳物工業協同組合、赤坂宿旅籠大橋屋、御油の松並木資料館、豊橋市二川宿本陣資料館、島田宿大井川川越遺跡、島田市博物館、新居関所資料館、旅籠紀伊国屋

[調査目的] ライデン国立民族学博物館所蔵ブロンホフ、フィッセル手稿目録(コレクションをオランダ国王に売却の際に記した目録)刊行のための現地(収集品調達地)調査

[調査担当] マティ・フォラー(ライデン国立民族学博物館)、フォラー邦子(日本博物館シーボルトハウス)

 

[調査目的、概要]
 文化文政期に、オランダ出島商館員が長崎や四年に一回の江戸参府旅行の行程で収集したコレクション(ライデン国立民族学物館蔵)の目録を出版すること。ライデン国立民族学博物館には、合計四万点ほどの文化文政期の日本における収集品がある、年代の古い順から、オランダ出島商館長ヤン・コック・ブロンホフ(1779−1853)、書記官ヨハネス・オーフェルメール・フィッセル(1800−1848)、そして医官フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796−1866)が集めてオランダに持ち帰ったもので、総じて「19世紀(文化文政期)のタイムカプセル」の異名を取る。年間延べ100人の日本人研究者、メディアの間に非常に関心の高い在外日本関係資料であるが、そのほとんどは江戸時代の日常消耗品、工芸品であることをまず留意されたい。
 日本では、シーボルトだけがよく知られており、その研究が先行している。しかしシーボルトはオランダ国王にコレクションを売却する際、目録を記しておらず、その全体像は明らかではない。そのため、研究者がシーボルトコレクションとする物品がじっさいその先の収集家、ブロンホフやフィッセルのコレクションである場合が多々ある。これは過去30年現場にいたものとして残念に思ってきた点である。これはシーボルトが著書『NIPPON』の執筆に際し、ブロンホフ、フィッセルの収集品を手元に借りだし、返さなかったという事実によるが、収集家三人の収集目的、収集経路、嗜好を考慮すれば、ブロンホフ、フィッセル、シーボルトのコレクションを整理し、研究者にツールを提供することはライデン国立民族学博物館としても優先されなければならない作業と認識する。
 幸いブロンホフとフィッセルはコレクションをオランダ国王に売却する際に手稿の目録を記している。まずブロンホフとフィッセルの手稿目録を翻刻、翻訳、精査し刊行することは基本作業その解明をすることは、関心の大きい、また、活発なシーボルト研究の促進のためにも、また、在外日本関係資料の正確な把握のためにも、欠かせない。本プロジェクトはブロンホフ、フィッセルの目録刊行を目的とするが、その際、手稿目録を現存する所蔵品とていねいにつきあわせる作業を進めることが必須となる。またその収集品(日常消耗品、工芸品で)を文化文政期の工芸品生産として位置づけ、その収集経路を特定するには、比較資料を参照することが必要である。
 比較資料は首都圏の美術館、博物館ではなく、オランダ人が収集の機会とした江戸参府の行程(長崎街道、山陽道、東海道)沿いの郷土資料館にあることは事前調査で充分に明らかであり、今回、その調査を実施した。ライデンのコレクションを目録にある通りジャンルごとに分類し、デジタル画像を携えて、項目ごとに収集に関しての必要最低限の情報収集を行うために現地調査を実施した。

[成果]
 台風12号のためまったく動けない日もあったが、おおむね予想以上の新知見を得ることができた。たとえば石細工については、赤間(下関)で収集していることは目録から明らかであるが、集めてきているのは硯の他、小像がある。下関の調査では、この小像の製作に関しては、現地でもすでに知らないことであった。現地資料館にとっては赤間石製の小像がライデンに存在すること自体驚きであったということは、情報の交換・共有という点では意義深いことであった。
 また、麦藁細工として数多くの物品が収集されているが、この入手経路として城崎があがっていた。これはシーボルトの弟子が温泉地城崎に湯治に行っており、その際に麦藁細工(小箱の類い)をシーボルトに紹介したのであろうという推測からであった。しかし麦藁細工はブロンホフやフィッセルのコレクションにも数多くあり、この説には疑問が残っていた。今回、山陽道沿いではない城崎に調査に行ったのはこれを確かめるためであった。じっさい城崎には当時の麦藁細工はなく、城崎がライデンやミュンヘンのシーボルトコレクションを複写した麦藁細工を閲覧し、その情報を得るにとどまった。これは麦藁細工に入手経路は城崎ではないだろうという仮説に繋がる。この立証には江戸名所などにも描かれる間宿大森での調査が必要となるが今回大森は調査対象には入っていない。
 さらに竹細工に関しては、水口にてライデンのコレクションとまったく同じものを閲覧した。水口歴史民俗資料館にとってもこれは驚きであった。郷土史の中では水口の細工は知られるところであったが、同じものがライデンに存在すること、またライデンにとっても収集品が水口産であることを知ることは大きな発見であった。
 これらの新知見はライデンのコレクションを知る上で、また、日本の工芸品製産の変遷を知る上でも大きな事であり、今後の研究が期待される。これは双方にとってまさに今回の現地調査なしでは得られない新知見であった。同時に目録刊行に関しては、オランダ人収集家の記述を相互参照する機会であり、記述の信憑性を確信するものとなった。

(文責:フォラー邦子)

 

 

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