刊行物
歴史系総合誌「歴博」
歴史系総合誌「歴博」 165号
連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」
広東(かんとん)漆器 中国の輸出漆器
アジア特有の工芸品である漆器は、一七世紀以降のヨーロッパで人気を博し、大型のキャビネットをはじめとする西洋人向けの漆器が各国の東インド会社や個人の貿易商を通じて輸出された。最も高い評価を受けたのが、金銀をふんだんに用い精巧な技術に定評のある日本製の蒔絵漆器であったが、中国からもコロマンデル(漆塗の面を下地に達するまで彫り下げてできた凹みに様々な色の顔料を充填する技法。中国では「款彩(かんさい)」と呼ばれる)や螺鈿(らでん)(貝殻の真珠層を嵌め込んで装飾する技法)、そして、日本製の蒔絵漆器を模倣した「描金(びょうきん)」漆器が輸出された。
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楼閣人物描金(ろうかくじんぶつびょうきん)ゲーム箱 |
蒔絵の模倣
描金の漆器は、日本の特産品としてもたらされた蒔絵技法をまねて、明代頃から盛んに製作されるようになったようだが、技術的には大きな違いがある。明末の一六三五(天啓五)年に黄成が著した漆工技法大成書ともいうべき『髤飾録(きゅうしょくろく)』(木村蒹葭堂(けんかどう)旧蔵・東京国立博物館)によれば、描金は、「泥金画漆(でいきんがしつ)」とも呼ばれ、日本でいう消粉(けしふん)蒔絵に相当するものと、箔絵(はくえ)に相当するものとの双方が認められる。消粉蒔絵とは、通常の蒔絵に用いられる丸粉(まるふん)より、遙かに微細な消粉(金箔を粉末化したような蒔絵粉)を用い、漆で文様を描いたあと、粉筒(ふんづつ)に蒔絵粉を入れて蒔くかわりに、綿に消粉を含ませて付着させる技法である。いわば、「蒔かない蒔絵の技法」が消粉蒔絵といえる。箔絵にいたっては、漆で文様を描いた上から金箔を付着させ、余分な金箔をぬぐい取る技法で、蒔絵粉じたいが用いられない。
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楼閣人物唐草描金(ろうかくじんぶつからくさびょうきん)ゲーム箱 内部にトランプやゲーム・チップを入れる小箱や小皿を納めている。 |
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楼閣人物描金八角箱(ろうかくじんぶつびょうきんはっかくばこ) 複雑な曲線を組み合わせた箱で、蓋を背面で蝶番留めとする。同形体の箱には、茶箱の例があり、内部には紅茶の缶二つを納めていたと推測される。 |
広東から輸出された描金漆器
一七世紀後半頃には広東の名産品として定着していた描金漆器は、西洋向け中国製輸出漆器の主流となり、一九世紀にいたるまで継続して輸出された。一七五七(乾隆二二)年、中国の海禁政策により、外国貿易が広州一港に限定された後は、広東を窓口にイギリスを初めとするヨーロッパ各国に輸出されたため、これらの漆器は、「広東漆器Canton ware」の名称で親しまれている。
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楼閣山水人物描金衝立(ろうかくさんすいじんぶつびょうきんついたて)・表面 (全図および部分図) 『三国志』より、「曹操(そうそう)大いに銅雀台(どうじゃくだい)で宴を催す」の場面、赤壁(せきへき)の戦い前後における意気盛んな曹操群の権勢をうかがわせるエピソードである。建安15年(210)曹操によって築かれた巨大な楼閣銅雀台の落成記念の華やかな宴席、中央に曹操、前庭では武将たちによる武芸比べの様子が表される。 |
中国製輸出漆器は、安価さに加え、屏風などきわめて大型の家具を含んでいたこと、当時の家具の流行に合わせて多種多様な形態の漆器を用意したことから、日本製輸出漆器を脅かす存在となっていった。こうした中国漆器のシェアを奪還すべく、一九世紀になって日本から輸出される長崎製の青貝細工(あおがいざいく)の漆器では、値段の割に見栄えのする螺鈿装飾を用いて、複雑な形態の家具類を登場させている。広東漆器と長崎漆器には、裁縫机、ゲーム箱、折り畳みのテーブルなど共通する品目が少なくない。日本と中国の漆器輸出競争の果てに両者が繰り出した商品は、広東漆器が日本の蒔絵の模倣である描金技法、長崎漆器の方は中国のお家芸ともいえる螺鈿技法を用いるという皮肉な結果となったのである。
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楼閣山水人物描金衝立・裏面 (全図および部分図) 水上に、二艘の竜頭の舟が浮かび、それぞれ「天后元君」「三聖社 帥」の旗を掲げることから、媽祖(まそ)信仰にまつわる祭(天后節)の様子を描いたものらしい。海上の安全・交易の繁栄を祈願する図像であろう。 |
日高 薫(本館研究部・美術史)





























