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歴史系総合誌「歴博」歴史系総合誌「歴博」

歴史系総合誌「歴博」 161号

連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

民俗研究映像「平成の酒造り」製造編、継承・革新編

歴博では、映像を用いた共同研究の成果として、毎年一テーマずつ「民俗研究映像」を制作し、公開・保存している。二〇〇九年度は、青木が栃木県の酒造りを対象として、酒造好適米の生産から蔵元における一日の作業工程、火入れ・瓶詰め、販売・顧客サービスを追った「平成の酒造り 製造編」と、栃木県酒造組合の行事、栃木県産業技術センターの技術指導、大吟醸と生酛(きもと)の酒造りをまとめた「平成の酒造り 継承・革新編」の二作品を制作した。

一 後継者不足から

近年、出稼ぎ労働者の数が減っている。全国で一九七二年に約五四万九千人もいたのが、二〇〇三年には約四万六千人に過ぎない(岩手県商工労働観光部『岩手県における出稼ぎの実態』)。この原因は、北海道・東北・北陸地方といった豪雪の出稼ぎ地域において、地元の雇用機会が増大したことや、出稼ぎ労働者を輩出してきた農家戸数が激減したこと、また長期の出稼ぎを回避する風潮が強まったことなどにある。このため、労働力の多くを出稼ぎに頼ってきた関東地方の酒造業と土木建設業は大きな影響を受けた。

とくに酒造業は高度な技術を必要とし、短期間で後継者を養成できないという難しさがある。若い有能な蔵人(くらびと)に話を聞いたところ、入社して二年間は周りが何をやっているのかさっぱりわからなかったという。そのような高度な技術を、蔵元ではなく出稼ぎ労働者がほぼ独占してきた点に、酒造業の特殊性がある。

その原因として、関東地方ではまず大正時代に新潟県の農家が、季節面から農作業に支障のない酒造業の冬季出稼ぎに魅力を感じ、就職を有利にするために技術を身につけ、越後杜氏(えちごとうじ)という巨大な蔵人集団を形成した経緯がある。その後、酒造家は酒造り全般を長く越後杜氏に任せたため、蔵元自体にその技術やデータが蓄積されなかった。一九七〇年代に越後杜氏が減ってくると、酒造家は岩手県の南部杜氏(なんぶとうじ)に切り替えてその場をしのいだ。ところが、一九九〇年代に南部杜氏までもが不足したため、酒造家は通年雇用の蔵人を自社で養成する必要に迫られた。

二 担い手の転換

それでも、酒造家が将来の出稼ぎ労働者不足に向けて、十分な準備をしていたとは言いがたい。むしろ、出稼ぎ労働者を雇う利点があまりに大きかったため、酒造家の対応は遅れた。そして、いくつかの酒造家は、突然出稼ぎ労働者のいなくなる日を迎えた。

代わって酒造りを担ったのは、酒造家の後継者や地元の通勤労働者であった。彼らは下働きをした経験や、酒類総合研究所ないし同業他社における数年間の修行を経て、一足飛びに酒造りの全責任を負うことになった。そのような状況に対して、周囲から本当に造れるのかという疑念の声もあったという。ところが、彼らは早期に鑑評会で金賞を受賞するなど、次々と高い実績をあげていった。何がそれを可能にしたのか、私はそこにまず強い関心を抱いた。

また同じく一九九〇年代から、比較的経営規模の大きな酒造家が将来を見据えて地元の通勤労働者を雇い、越後杜氏や南部杜氏の下で酒造りを学ばせ始めた。その通勤労働者たちが今や一〇年以上のキャリアを積み、地元杜氏として製造責任を負う立場になっている。一方、新潟県外で働く越後杜氏はごくわずかとなり、岩手県の南部杜氏も減少し続けている。このため、現在が越後杜氏と南部杜氏、地元杜氏の三者による酒造りを同時に映像として記録できる最後の機会だと考えた。そこで、関東地方の中で越後杜氏が比較的多く残っており、かつ「下野杜氏(しもつけとうじ)」という独自の認証制度で地元の労働者を養成している栃木県酒造組合と、そこへの技術指導をおこなっている栃木県産業技術センターに撮影をお願いした。

三 撮影と編集を通じて

撮影は一年二ヶ月にわたった。これは、映画会社と単年度契約をして実施される民俗研究映像としては異例の長さで、契約の期間外では私が一人でビデオカメラを回した。そして、契約期間外に行われた大吟醸の酒造りや組合行事の記録を収め、編集用の素材とした。また、この時の経験が複雑な作業工程を学ぶ機会となった。

一つ目の短期間で酒造技術を身につけた要因については、基本に忠実であることとあえて様々なことに挑戦することの混在が印象的であった。越後杜氏や南部杜氏の感覚や経験に代わるものとして、若い下野杜氏は酒造技術書を熟読してその原理を理解し、作業の結果として出てきたデータを丹念に分析している。私に作業工程の意味をわかりやすく丁寧に説明してくれたのも、彼らであった。一方、酒造家の後継者が酒造りを担当している場合に顕著なのが、原料米や造り方を毎年少しずつ変えていることである。とくに、地元栃木県産の酒造好適米や酵母を使い、様々なやり方で出来具合を試すことには、たいへん熱心であった。出稼ぎ労働者任せではなく、経営者サイドが製造に直接関わることで、新たな試みを行い、その結果をデータや経験として蓄積しやすくなっていることは間違いない。

ただし、ベテランの越後杜氏や南部杜氏と較べた場合、まず体と五感の使い方に違いがあると感じた。たとえば、ベテランの杜氏は麹(こうじ)をかき混ぜるのが豪快で、醪(もろみ)の櫂入(かいいれ)では腕をゆっくりと大きく動かす。そして、力を素早く効率的に伝えるため、一つ一つの作業時間が短い。若い下野杜氏と通勤労働者たちは、それよりも丁寧に時間をかけて作業していた。だが、作業効率を向上し、かつ計画通りに仕事を進めるためには、ベテラン杜氏の体の使い方を目で見て覚え、素早い動きについていく経験をする必要があると感じた。また、ベテラン杜氏は浸漬(しんせき)した米の割れ方や麹の香りなどを注意深くみていたが、下野杜氏はむしろ分析値を重視しているようだった。

加えて、ベテランの越後杜氏と南部杜氏には、黙っていても人をたばねられる風格と品の良さがある。酒造りは、従来一つの蔵元で半年近くにわたる集団生活を伴う仕事だったので、長い下積みを経験した人格者でないと、杜氏というまとめ役にはなれなかった。優れた杜氏のもとでは、蔵人が見事に統率されているが、地元労働者による通勤型の酒造りに移行した後、それがどこまで維持できるか、まだよくわからない。おいしい酒は地元労働力だけでも造られているが、越後杜氏と南部杜氏にはそれにとどまらない技と存在感がある。「平成の酒造り」では、若い下野杜氏が挑戦する姿や、ベテラン杜氏の体の使い方と存在感といったものを、映像ならではの研究成果として伝えたいと考えている。

青木 隆浩(本館研究部・民俗学/地理学)

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※写真については総合誌「歴博」本誌をご覧下さい。