刊行物
歴史系総合誌「歴博」
歴史系総合誌「歴博」 159号
連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」
桜に寄せた心-月輪寺略縁起と時雨の桜
略縁起というものをご存じだろうか。
縁起はもともと仏教で用いられてきたもので、宇宙のさまざまな縁によって物事が生起するという哲学的な意味合いを持つ言葉である。そこから転じて、日本では寺社の開基、発祥の由来をめぐる説話的な伝承を縁起というようになった。略縁起とはそうした寺社、祠堂の縁起を人々に広く知らせるために江戸時代に印刷されたものである。
現代でも有名な寺社に参拝すると参詣のしおりやそれに類するパンフレットを入手する機会は多い。それによって、われわれは目の前の建築物や仏像だけではなく、それらにまつわる歴史や物語を改めて認識し、受け止めることになる。略縁起はそうした信仰のありかたが近世以来、長く続いてきたことを示す資料なのである。
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| 写真1 『月輪寺略縁起』表紙(本館蔵) | 写真2 『月輪寺略縁起』本文 |
もっともよほどまめな人でないと参拝した寺社のパンフレットを丁寧に保存するということはなかなかしないだろうし、それらを集めてみようとすることも稀だろう。江戸時代の略縁起も多くもまた消耗品として扱われ、失われてしまったものが少なくないと推測されている。略縁起は、長くても十数頁で一枚物と呼ばれる紙片に過ぎないものも多いのでそうした扱いは仕方のないことだったのかもしれない。
ところが近年、中野猛氏や稲垣泰一氏あるいは略縁起研究会の諸氏の尽力によってこうした日常的な庶民信仰に関わる資料である略縁起が集成され、容易にその内容を確認することができるようになった。それらの多くは、全国各地の図書館に収蔵されている略縁起を複数集めて合冊したものに着目し、偏りや重複を厭わずに分析、検討を重ねるという気の遠くなるような作業の上に成り立っている。
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| 写真3 『月輪寺略縁起』本文 | 写真4 『月輪寺略縁起』本文 |
このことは、先に述べたような寺社のパンフレット、小冊子である略縁起を集め、保存した、まめな人が江戸時代に何人かは存在したことを示している。略縁起の研究はそうした江戸時代人のこだわりを引き継ぐことによってスタートし、ようやく現代における研究の俎上にのせられるようになったといえるだろう。
もっとも集成され、合冊された略縁起は調査、研究の最初の段階としてはきわめて便利ではあるものの、略縁起を発行した個別の寺社とその時代的状況はもちろん、そこに参拝し、略縁起を手に入れた人のことを個々に考えるには不充分である。中野猛氏の研究を引き継ぐかたちで、略縁起研究に新生面を開きつつある久野俊彦氏は「参詣者は、略縁起を授かると、御影や御守と同様に扱い、家々の仏壇や神棚に収められたのであろう。」と推測し、さらに「寺社経営の社会的な機能を直接的に担いながら、民衆の手中に至って受容された縁起説話であり、これによって近世に高揚した寺社信仰の具体的な言説を」知ることができると主張している(久野俊彦『絵解きと縁起のフォークロア』、二〇〇九年、森話社)。久野氏の指摘を引き受けて、今後は略縁起の民俗信仰誌(史)とでもいうべき、個々の略縁起の受容と展開のプロセスを追求していかねばならないだろう。
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| 写真5 『月輪寺略縁起』本文 | 写真6 『月輪寺略縁起』本文 |
さて、本館には略縁起を合冊したかたちでの資料はまだ収蔵されていない。しかし、共同研究「唱導文化の比較研究」(代表/林雅彦・明治大学教授)を進める過程で略縁起の重要性も議論され、個別の略縁起には検討が加えられている。ここでは本館の資料のうち、旧蔵者の想いが付け加えられた略縁起を紹介してみたい。それは『月輪寺略縁記』(内題は「月輪寺略縁起」)(写真1)である。
京都の愛宕山の山腹にある月輪寺は光仁天皇(在位770~781)の時代の創建と伝えられ、空也上人によって感得された龍女を守護神として祀るという縁起を持っている。さらに境内には鎌倉時代、法然上人に帰依した九条(藤原)兼実が、流罪となった法然、親鸞らと境内の桜の木の下で別れを惜しんだ際に、それに感じて桜の葉先から涙のように時雨が降り注いだという伝説を伴う、通称「時雨の桜」がある。『月輪寺略縁記』はこうした月輪寺にまつわる縁起と宝物とを六葉にわたって記しているのである。
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| 写真7 『月輪寺略縁起』本文 | 写真8 表紙裏に貼りつけられた紙片 |
縁起本文の記述量は多くはないが、末尾には兼実が臨終の床にあって、孫の道家に念仏停止を廃し、法然、親鸞を都に呼び戻すことを遺言した旨の記述もある。法然、そして親鸞による鎌倉新仏教の転機が刻まれた場として、この寺の歴史的な性格が意識されていたことが示されている。月輪寺に参詣した人々は本尊に手を合わせ、境内の桜の木を見て、そうした阿弥陀仏を対象とする念仏の信仰や浄土宗や真宗の祖師への讃仰の想いを新たにしたことだろう。
館蔵の『月輪寺縁記』には刊行年は記されておらず、また紙縒(こより)で簡略に綴じられた単体のままの状態で、引き出すことのできる情報は多いとは言えない。しかし、この略縁起の表紙の裏には「月輪寺/時雨の桜」と書かれた紙片が折られて貼りつけられており(写真8)、それを開いてみると桜の花と葉とが封じ込められているのである(写真9)。
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| 写真9 封入されていた桜の押し花 |
これはこの略縁起の旧蔵者が実際に愛宕山を登り、月輪寺にたどり着き、参拝して、略縁起を入手し、併せて「時雨の桜」の花の一片を持ち帰ったであろうことを示している。おそらく『月輪寺略縁記』はかなりの数が版行されたことだろう。しかし、実際に桜の時期に月輪寺に赴き、そこで時雨の桜の花びらとともに略縁起を持ち帰った人はそれほど多くはないものと思われる。今日でも「時雨の桜」の開花期はごく限られており、その花に接するのは容易ではないのである。
あるいは、想像をふくらませると、この略縁起とそれに封入された桜の花は、そうした山奥の寺院にまで参拝できない人のためのもので、参拝した人からのみやげ話とともに届けられたものかもしれない。参拝者とその人との関係は、親子、兄弟であったか、夫婦であったか、単なる友人かもしれないし、あるいは恋人同士であったかもしれない。
そうした真相まではこの略縁起は語ってはくれないが、月輪寺の桜の花を愛で、それをこの寺にまつわる縁起とともに伝えようとした先人の心を感じることはできるのである。
小池 淳一(本館研究部・民俗学、信仰史)

































