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歴史系総合誌「歴博」歴史系総合誌「歴博」

歴史系総合誌「歴博」 152号

[連載] 歴史の証人 写真による収蔵品紹介

近代のキモノ-倉田家服飾資料

捨てるに捨てられないものがある。慈(いつく)しみ大切にしてきたもの。思い出がたくさんつまったもの。自分で管理できるうちは手元に置いておける。でも、もし、自分がいなくなってしまったら…?

そうした思いに動かされてか、歴博に資料を寄贈したいという申し入れが、しばしばある。そのご厚意は大変有り難く、永久保存を願う気持ちもよく分かる。しかし、残念ながら、全ての申し入れをお受けできるわけではない。収蔵するに値するか否か、判断される。

「倉田家服飾資料」は、二〇〇七(平成一八)年度に受贈した資料である。大正時代から昭和二〇年代頃までのキモノ・帯・帯締(おびじ)めなどから成り、総数は二八五点にも及ぶ。着用者が明らかであること、品質が高いこと、稀少な伝存価値を有すること、保存状態が良いことなどから、受贈することに決めた。

寄贈者は東京在住の倉田陽子さん(一九二〇:大正九年生)である。陽子さんの姉には、女優の長岡輝子さんがいる。「倉田家服飾資料」は陽子さんの一家が用いた服飾品である。陽子さんは、日本のチェリストの草分け的存在である倉田高(たかし)氏(一九一三~四五年)と結婚したが、高氏の父親の耿介(こうすけ)氏は、日本耐火防腐株式会社の社長であった。

倉田家は大森八景園にあり、陽子さんと高氏は臼田坂上に新居を構えた。つまり、「倉田家服飾資料」は近代の東京で使用されていた服飾品となる。近代東京の風俗資料は、震災や戦火によって、とかく散逸しがちである。その点、本資料は高い資料価値を有する。また、三越・伊勢丹・笠仙(ちくせん)・ゑり円・道明(どうみょう)などといった老舗や一流店の畳紙(たとう)やラベルが付属しており、一流品であった傍証もある。

ここでは、そうした中から、いくつか紹介してみたい。

花立湧水葵花束模様振袖 花立湧模様丸帯
図1 花立湧水葵花束模様振袖 図2 花立湧模様丸帯

陽子さんが倉田高氏と結婚したのは、一九四二(昭和一七)年のことである。戦時下の花嫁であった。「花立涌水葵花束模様振袖(はなたてわくみずあおいはなたばもようふりそで)」(図1)は、婚礼のお色直しの衣裳である。高氏の母親の順子氏が用意したものであるという。模様は、江戸後期のお屋敷風(武家風)意匠にもとづく古典柄。技法も刺繍と型鹿の子が主体で、お屋敷風意匠に準じている。一見すると華やかで、戦争の影は感じられないかも知れない。しかし、子細に見ると、技術が簡素に傾き平板化しているのは否めない。綸子(りんず)の白生地は、部位によって黄ばみを生じている。黄ばみは仕立て前からと見られ、大切に保存していたまさに‘とっておき’の生地を用いたかと推察される。「花立涌模様丸帯(はなたてわくもよう)」(図2)は、この振袖と取り合わせて締めた帯。なお、高氏は終戦後間もなく結核でこの世を去った。三年余りの短い結婚生活であった。

流水撫子模様着物 杜若模様着物
図3 流水撫子模様着物 図4 杜若模様着物

女物のキモノは、義母の順子氏から陽子さんが受け継いだものが多い。一個人のキモノには、時代の流行だけでなく、個人の好みも強くあらわれている。順子氏遺愛のキモノは、ブルーやグレーの地色で、上前(うわまえ)の裾(すそ)にのみわずかに模様を置いたものが多い。こうした意匠が順子氏の好みであったと知られる。「流水撫子模様着物(りゅうすいなでしこもようきもの)」(図3)はその好例である。白上がりの流水線に、白い絵の具・金泥・黒漆で撫子の花を描きあらわしている。

「杜若模様着物(かきつばたもようきもの)」(図4)は、順子氏のキモノとしては艶やかなもの、と言えるのかも知れない。洋画風の陰影をつけて友禅染(ゆうぜんぞめ)で彩色した花柄の裾模様は、明治から大正にかけて流行した意匠である。類例に比べると、裾模様の高さが低めであり、やはり控えめな模様を好んだ様子が窺える。

水辺風景模様単衣 流水松竹梅模様振袖
図5 水辺風景模様単衣 図6 流水松竹梅模様振袖

西洋からの機械技術の導入を機に、大正から昭和にかけて、生地の織り方は多様化していった。特に、夏用の薄物(うすもの)の生地には、様々な工夫が試みられた。「水辺風景模様単衣(みずべふうけいもようひとえ)」(図5)にはそうした生地が使われている。平織(ひらおり)の地組織に太めの糸を絵緯(えぬき)として織り込み、筋をあらわすが、緯糸(ぬきいと)の密度を調整して、波線状のうねりをつけている。模様は水辺の風景を友禅染であらわしたもの。地を青く染めて、ちょうど海の波を思わせる生地となっている。

陽子さんと高氏が結婚した翌年の一九四三(昭和一八)年、澄子さんが誕生した。澄子さんは父親の才覚を受け継ぎ、チェリストとして活躍している。日本の女流チェリストの草分け的な人である。「流水松竹梅模様振袖(りゅうすいしょうちくばいもようふりそで)」(図6)は、澄子さんが七五三の祝のときに着た振袖である。七五三にふさわしく、永遠や不老長寿を象徴するモティーフばかりを集めた模様である。

松模様丸帯 上代模様名古屋帯 牡丹唐草模様名古屋帯 百合模様名古屋帯
図7 松模様丸帯 図8 上代模様名古屋帯 図9 牡丹唐草模様名古屋帯 図10 百合模様名古屋帯

近代は図案の時代であった。図案家たちが活躍し、古今東西の様々な美術工芸品に意匠の範を求めた。帯にはそうした状況が良く示されている。例えば、「松模様丸帯(まつもようまるおび)」(図7)の模様は、尾形乾山(おがたけんざん)(一六六三~一七四三年)の著名な作品「染付金銀彩松波文蓋物(そめつけきんぎんさいまつなみもんふたもの)」(重要文化財、出光美術館蔵)にもとづく。また、「上代模様名古屋帯(じょうだいもようなごやおび)」(図8)の模様は、正倉院に伝わった奈良時代の﨟纈(ろうけち)(蝋防染(ろうぼうせん))の古裂(こぎれ)をまねたもの。「牡丹唐草模様名古屋帯(ぼたんからくさもようなごやおび)」(図9)は、白地に墨で牡丹唐草の模様を描く実に粋(いき)な帯であるが、これは、中国陶磁の名窯の一つである磁州窯(じしゅうよう)に特徴的な模様である。

その一方で、倉田家ならではの人との交わりから生まれた帯もある。「百合模様名古屋帯(ゆりもようなごやおび)」(図10)はもともとは無地の黒絽(ろ)の帯であった。百合の花は、ある日、一家と親交のあった日本画家の加戸五郎(かどごろう)が訪問してきた際に、陽子さんのイメージに合わせて描いたという。

帯締め 帯締め
帯締め 帯締め
図11 帯締め

おしゃれの要(かなめ)は帯締めにあった。そう思わせるほど、四段の箱に整然と並べられた組紐(くみひも)の帯締めを眺めていると、わくわくとして楽しい(図11)。大半は義母の順子氏から受け継いだもの。多くは組紐の老舗、道明の製品である。色違いがいくつもあり、気に入った柄を色違いでとりそろえ、キモノと帯にぴったりの色を、その都度選びとっていた様子が目に浮かぶ。

帯締めには未使用品も多く、使ったものも、道明の職人に新品のように手入れして包装し直してもらったという。陽子さんのこのような行き届いた整理の良さのおかげで、倉田家の服飾は、今日もなお人々の眼を楽しませてくれる。

澤田和人(本館研究部・美術史)

[参考文献]
鈴木美代子 『長岡輝子の四姉妹-美しい年の重ね方』、草思社、二〇〇五年