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歴史系総合誌「歴博」歴史系総合誌「歴博」

歴史系総合誌「歴博」 135号

[連載] 歴史の証人 写真による収蔵品紹介

『貿易陶磁器コレクション』

1 白磁碗 15世紀後半~16世紀 2 青磁蓮弁文碗 15世紀後半~16世紀

 中世は、商品と都市の時代ともいえる。東アジア的規模で商品が行き来し、売買に大量の中国銭が流通した。遺跡を発掘すると、都市は言うまでもなく、日本列島各地の村々にまで中国から輸入された陶磁器が出土し、使われたことがわかる。こうした中国陶磁は、特別なモノではなく、日常的に使われる碗や皿が主体で、その1例がこれらの染付や白磁の品々である。

3 白磁皿 15世紀後半~16世紀
4 染付飛馬文碗 16世紀中葉 5 染付芭蕉文碗 15世紀後半~16世紀

遺跡での陶磁器出土量や組み合わせをみると、いくつかの消費の画期が認められるが、特にこの染付が使われはじめる15世紀後半は、各地にできた城下町や港町などの都市が牽引力となり大量消費の到来ともいえる大きな画期となった。碗皿などの日常什器でみると、国産の瀬戸製品などよりも多く普通に使われ、瀬戸が盛んにコピーする商品モデルともなった。また写真の染付皿と同程度と推定される皿が、首都圏では35文(1576年)であり、同じ頃の「ほうろく」(土鍋)が3文とか5文、鎌が35文、包丁が50文、などと比較しても、意外に安かったらしい。因みに大工さんの日当が100文の時代である。つまり、流通量でも質でも、さらに安い価格でも、消費を牽引したのが中国陶磁であったといえる。

町通りの唐物陶磁を売る店
6 町通りの唐物陶磁を売る店(「洛中洛外図屏風」) 16世紀

7 染付皿 15世紀後半~16世紀
8 染付魚藻文皿 15世紀後半~16世紀 9 染付玉取獅子文皿 15世紀後半~16世紀

一方、特別に高価な中国陶磁も存在した。それらが天目茶碗や青磁の香炉、花生、酒海壺、盤(大皿)、青白磁の梅瓶などで、その用途は、茶の湯、花、香などの道具や室禮とよぶ座敷飾り、あるいは宴会などに使われた道具類である。例えば、1492年に京都北野社が、細川政元をもてなすために1週間前に購入した建*(中国製天目茶碗)は、台付きで8000文もしている。同様に通常の鉄鍋は100文が相場だが、茶の湯釜は2000文(1582年)と約20倍もするのである。
発掘ではこうした高級品を持つのは、城とか館、あるいは寺院のような場所で、なかでも来客をもてなすための会所や茶室などの建物をもつことが特徴である。それらの道具は、儀礼や宴会の場を必要とする階層の人々のステータスシンボル的な持ち物だったといえる。また同じ品物でも鎌倉期の骨董品が多いことも特徴である。

10 青磁袴腰香炉 14世紀 11 青磁算木文花盆 14~15世紀
12 青磁牡丹文酒海壺 14世紀 13 青磁牡丹文稜花盤 14世紀

彼らはこうした品々を、どこで購入したのだろうか。
 奈良興福寺搭頭の多聞院は、長い時代にわたって「多聞院日記」という記録を残したことで知られるが、ここには事細かに買い物も記される。この多聞院の1478年から1567年までの30年間の買い物を分析した藤田裕嗣さんの研究があり、興味深いことを教えてくれる。買い物は、広く京都、堺、大坂の都市や郡山、筒井、今井などの市に及ぶが、各町の特徴を活かした買い物が示されている。奈良以外、京都では高級品や「誂えもの」を、堺では、蜜、砂糖、薬(漢方薬)など輸入品を中心に、大坂では材木、塩といった具合である。残念ながら、唐物の陶磁器はここには出てこない。
 京の都「洛中洛外図屏風」には、通りの一軒に、まさに青磁の花生、水盤などの唐物陶磁器を見世棚に並べた店屋が描かれる。実際に堺の町の中心部では、青磁の香炉や天目台、脚の付いた馬上盃など、高級品ばかりが10個くらいずつセットで出土し、何かの事件があり唐物商いの商品を廃棄したと推定できる場が発掘されている(SKT82地点)。言い換えれば、洛中洛外図屏風は、こうした海外からの高級品を扱う店を描きこむことで、都のにぎわいを象徴しているのだともいえよう。
 1543年、越前一乗谷へ祖父清原宣賢を訪ねた枝賢は、着くなり城下の「阿波賀見物」をした。阿波賀には湊や市があり、また唐物商いをする「唐人の在所」もあった。にぎやかで、どこか怪しげな繁華街の雰囲気である。先の「多聞院日記」にも、「今在家店屋見物しおわんぬ」(1567年)とある。今も昔も市場は人々を集め、楽しませる場でもあった。

14 白磁牡丹文輪花皿 12世紀 15 青磁龍耳花生 13~14世紀
16 天目茶碗 13~14世紀 17 青白磁渦文梅瓶 13世紀

ところで、1538年、39年と2度の遣明船に乗った副使の策彦周良は、明国で唐物の漆器や銅器、陶磁器などたくさんのおみやげを購入した。最も多いのが、「酢塩皿」、おそらくさきの染付の皿などで687個にのぼる。銀による支払いだが、同じころのレートで銭に換算すると、およそ皿1枚が1文とか5文とかになる。貿易は儲かるものと理解できる。 

小野 正敏 (国立歴史民俗博物館研究部・考古学)