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歴史系総合誌「歴博」歴史系総合誌「歴博」

歴史系総合誌「歴博」 129号

[連載] 歴史の証人 写真による収蔵品紹介

東アジアの煌き

図1:青磁袴腰香炉 図2:青磁牡丹文酒海壷 図3:鉄釉天目茶碗

中世。そこにミステリアスな響きを感じるかもしれない。しかし、広くアジアを見渡せば、そこは光り輝く煌(きらめ)いた世界でした。
12世紀から16世紀にかけてのアジア地域では、宋・元・明といった中国王朝を中心としつつも、地域と地域が多様に結びついた世界が広がっていました。その様子を最も明瞭に示してくれるのは、青磁や染付、華南三彩といった中国製の陶磁器です。青磁袴腰(はかまごし)香炉(図1)は、やや青みがつよく透明度の低い釉薬(うわぐすり)を厚くまとい、青磁牡丹文酒海壷(しゅかいこ)(図2)は、緑味のつよい釉薬が厚くかかるものの、その透明度は高く、生地に彫り込んだ牡丹文や蓮弁文などの文様が浮かび上がる佳品です。

これらは、いずれも13世紀から14世紀にかけて(南宋~元頃、鎌倉~室町頃)に、浙江省の龍泉窯あるいはその影響を受けた窯で製作された陶磁器です。この他にも、福建省の建窯で製作された鉄釉天目茶碗(図3)や江西省の景徳鎮窯で製作された青白磁渦紋梅瓶(めいびん)(図4)を挙げることができます。こうした資料は、14世紀に中国の慶元(現浙江省寧波(ニンポー)市)を出港し、日本に向う途中韓国の西南海岸近辺で沈没した新安沈没船の積荷にも見えますし、鎌倉の今小路西遺跡などの往時の大都市、その政治的中枢からも出土しています。また、華南三彩と呼ばれる、緑・黄色に発色する釉薬を基調とした色鮮やかな陶磁器も、東アジアの各地域の結びつきを髣髴(ほうふつ)とさせてくれます。華南三彩(図5・6・7)は、中国の南部で15世紀から16世紀にかけて(明代、室町~戦国頃)に製作された陶磁器なのですが、主に東南アジア地域へと広がってゆきます。当時、商品と得意先は明確に分かれており、華南三彩は当初、日本へはあまり流入しなかったのですが、16世紀にヨーロッパ人を介して、日本が東南アジア世界と結びつく頃になると、大量に流入するようになります。大友氏の城下町であった豊後府内、あるいは国際港湾都市の堺では、この頃から華南三彩が他の東南アジア系の陶磁器とともに増加します。こうした陶磁器の広がりから、東アジア各地の結びつきをみてとることができます。
図4:青白磁渦紋梅瓶
図5:華南三彩水注 図6:華南三彩盤 図7:華南三彩壷

陶磁器だけでなく、中国よりもたらされた舶来品は、威信財として武士・公家・僧侶といった支配者達の生活において重要視されます。武士社会における唐物荘厳として、新たな価値が付与され、新たな伝統が形作られました。そこには、茶道具、飾り道具、宴会の道具といった用途の違いだけでなく、材質・器形・つくりによる格差・ランクも存在しました。『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』(図8)には、座敷飾りの作法が示されていますが、こうした作法書あるいは絵画資料によって、往時の使用の様子をうかがい知ることができます。
こうした舶来品への憧れが、東アジアの交易を揺り動かしたのです。そして、そこに生じる富を求めた海商たちの動きが、交易にさらなる拍車をかけました。この欲望渦巻く東アジアの海を渡ったのはものだけではなく、情報・知識も行き交いました。中国ではすでに現存しない、南宋時代に製作された宋版『後漢書』(慶元刊本)などの典籍資料(図9)は、この時代の交流の賜物なのです。

図8:君台観左右帳記 図10:玉取獅子(備前焼)
図9:後漢書(慶元刊本)

東アジアの煌きは、今なお我々の身近に感じられます。獅子は東アジア各地に伝統意匠として存在していますが、東アジアの中世海道を通じて、龍・獅子といった中国的なシンボルが各地に波及し、地域ごとで変容した結果であるといえるでしょう(図10)。ここにも、中国を中心としながらも地域と地域が多様に結びついた、東アジア世界をみてとることができます。
「東アジア中世海道」では、ご紹介した館蔵品資料だけでなく、ここで触れた新安沈没船などの関連資料が、展示されます。さまざまな視点を通して写し出される、中世という時代の東アジアの煌きを感じていただきたいと願っております。

上野祥史 (本館研究部)