刊行物
歴史系総合誌「歴博」
歴史系総合誌「歴博」 128号
[連載] 歴史の証人 写真による収蔵品紹介
和宮ゆかりの雛と人形
上巳(じょうし)(3月3日節)に雛祭りを行うようになったのは、江戸時代以降のことである。文献では『お湯殿の上の日記』1625(寛永2)年3月4日条が初見となり、主催者は後水尾(ごみずのお)天皇の中宮・東福門院和子(とうふくもんいんかずこ)であった。1640年代にもなると一般に広まり定着をみせたが、「雛祭り」という言葉が確認されるのは18世紀初頭からであり、それまでは「雛あそび」と呼ばれている。遊びから祭りへの言葉の変化は、儀式的側面の深化を物語り、行事は豪華さを増していった。雛人形も装飾性を強め、様々な種類が案出された。中には多くの支持を集めて流行の波に乗ったものもある。寛永雛(かんえいびな)、元禄雛(げんろくびな)、享保雛(きょうほうびな)、次郎左衛門雛(じろうざえもんびな)、有職雛(ゆうそくびな)、古今雛(こきんびな)と俗称される種類が、その代表例となろう。
本館が所蔵する和宮所用品として伝来した雛人形(図1)は有職雛に属する。有職雛とは、その名の如く、有職に則した装束を着けた雛人形であり、創始は18世紀後半に遡る。本品の場合、男雛が直衣(のうし)を着けていることから、特に直衣雛とも呼ばれる。下膨れの輪郭に「引目鉤鼻(ひきめかぎはな)」に通ずる目鼻立ちは、貴族イメージにかなう面貌であり、気品を湛(たた)えている。近似した作風を示す例には、矩姫(かねひめ)(尾張徳川家慶勝(よしかつ)夫人、1831-1902)所用と伝える数々の雛人形のうち、直衣雛(徳川美術館蔵)と衣冠雛(同)とが挙げられよう。江戸末期の一典型と言え、上層階級の需要を満たした人形師の一人によって作られたものと見做し得る。
『和宮様御雛満留(かずのみやさまおんひなまんとめ)』(宮内庁書陵部蔵)や『静寛院宮御側日記(せいかんいんのみやおそばにっき)』(同)などからは、上巳には和宮はあちこちと雛人形を贈りあうのが慣わしだったと知られる。また、『和宮様おひゐな御道具』(内閣文庫蔵)によると、和宮の雛飾りには15対もの雛人形が並べられていた。和宮の手元には数多くの雛人形があったわけだが、個々の詳細を伝える資料は見出されず、従って、本品についても和宮が入手した経緯やどのように扱っていたかは判らない。尾張徳川家伝来品に近似した作例が見られることからすれば、あるいは徳川家が関与している可能性も考えて良いのかも知れない。
雛人形・雛道具とともに、御所人形13躯と三ツ折人形2躯とが、和宮の所用品として本館の所蔵に帰している。
御所人形は、およそ三頭身のふくよかな肉付きの真白い肌をした子供の姿に作った人形で、19世紀に入ってからの創案とされる。
13躯のうち4躯には箱が附属しており、それぞれには箱書が伴う。3つには、1867(慶応3)年に和宮が兄の孝明天皇より拝領した旨が記されている。孝明天皇は前年の12月25日に崩御しているから、それらが遺物(ゆいもつ)の形見分け品であったと知られる。そして、1つの箱書のみ異なり、単に和宮の所用品である旨のみ記されている。この1躯(図2)と孝明天皇形見の3躯(図3)とを比較すると、作風が相違していることに気付く。分かり易いのは眼の表現であろう。後者の眼は下瞼(まぶた)が直線的で櫛形をしているが、前者の眼は下瞼が孤を描き杏仁形(きょうにんがた)をしている。素性の相違が作風に反映されていると言えよう。残る箱のない9躯の人形を見ると、いずれも櫛形の眼をしていて、孝明天皇の形見分け品と近似した作風を示す。これらも孝明天皇の遺物であった可能性が高い。
三ツ折人形(図4)は御所人形から派生したもので、腕や足の付け根、膝、足首などが動くように作ってある。御所人形よりも写実性を帯びており、頭と身体のバランスは実際の子供に近く、鼻には孔(あな)が穿(うが)たれ、眼にはガラスを入れたものも多い。着物を着せ替えることもできる。
2躯とも箱を伴っており、やはり箱書によって、ともに孝明天皇の遺物であったことが判る。1躯(図4の右側)はすこぶる上質な振袖を着ているが、この振袖用とみられる畳紙(たとう)が遺されている。その畳紙は「越後屋」のものである。越後屋は1895(明治28)年に三井呉服店と改称するから、それ以前に誂(あつら)えたものとなろう。また、電話番号も記されているが、電話機が日本に導入されたのは1877(明治10)年以降のことである。和宮は1877年9月2日に逝去しているので、和宮が誂えたとは考えにくい。しかしながら、人形の着物とはいえ精緻な作で正に子供の振袖の雛形をなし、しかも制作地とおおよその年代がわかる点、高い資料価値を有している。
澤田和人(本館研究部)
牡丹唐草文蒔絵雛道具
雛人形にともなって伝来する雛(ひな)道具は、約80点を数え、その内容は、狗張子(いぬはりこ)・屏風・雪洞(ぼんぼり)のほか、家具・化粧道具・文房具・飲食器・楽器・遊戯具などに大別される。大半は、雛道具に通例の黒漆塗牡丹唐草文蒔絵の装飾によるもので、茶弁当・挟箱(はさみばこ)の赤羅紗(あからしゃ)の覆いにのみ切付(きりつけ)(アップリケ)の葵紋が施される。江戸末期の工芸技術の水準をうかがわせる精巧なつくりで、江戸上野池之端にあった雛人形店、七澤屋製と推測される。

図B:手拭(てぬぐい)掛・鏡立・櫛台・盥(たらい)・鼻紙台・角盥(つのだらい)・嗽椀(うがいわん)・鉄漿(かね)道具
日高薫(本館研究部)
































