刊行物
歴史系総合誌「歴博」
歴史系総合誌「歴博」 117号
[連載] 歴史の証人 写真による収蔵品紹介
『水滸伝』の幕末維新
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| 図1 岡島冠山訳『通俗忠義水滸伝』揃い 宝暦7(1757)~寛政2(1790)年 |
岡島冠山訳『通俗忠義水滸』 巻一之上 口絵 |
中国の古典と言えば、四書五経のような聖人君子のための“お堅い漢籍”だけではない。人間の悩ましき金欲・色欲を描いた『金瓶梅(きんぺいばい)』や『紅楼夢(こうろうむ)』などのような文学書もあれば、『三国志』などの歴史書もある。 なかでも元代漢人のインテリの施耐庵(したいあん)・羅貫中(らかんちゅう)が、民衆芸能の元曲を基盤に編んだ『水滸伝』は、四書五経の大真面目さとは大違いの、叛乱と猥雑に満ちたアウトローの稗史(はいし)の書であった。当然叛乱を教唆する賊書であると禁書にされたが、なかば公然と識字層は読書で、他は民間の京劇で知悉された。
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| 図2 通俗水滸伝豪傑百八人之一個・智多星呉用 歌川国芳画 大判錦絵 文政10(1827)年頃 |
図3 通俗水滸伝豪傑百八人之一個・金鎗手徐寧 歌川国芳画 大判錦絵 文政10(1827)年頃 |
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| 図4 通俗水滸伝豪傑百八人之一個・花和尚魯知深初名魯達 歌川国芳画 大判錦絵 文政10(1827)年頃 |
図6 船火児張横 歌川国芳画 中判錦絵 嘉永(1848~54)初期 |
17世紀長崎から入り込んだ『忠義水滸伝』は、一部が享保13(1728)年岡島冠山によって訓点が施され刊行されたが、以降これを皮切りに翻訳から翻案が次々となされ、幕末には水滸伝の英雄豪傑を知らぬ者がいないという人気を博するに至った。
定本となったのは、宝暦7(1757)年から岡島冠山が翻訳した『通俗忠義水滸伝』である(図1)。これを翻案した立て役者は曲亭馬琴や山東京伝らの流行作家であった。馬琴は英雄豪傑の男は女に、女は男に取り違えたベストセラー『傾城水滸伝』を生み、独自に『南総里見八犬伝』に発展させた。本格的な水滸伝ブームに火を付けたのは浮世絵師歌川国芳の「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」(図2~4)の錦絵シリーズである。異形の怪僧花和尚魯知深(かおしょうろちしん)、知恵の固まりのような智多星呉用(ちたせいごよう)など、力量冠にあふれた描写は庶民の人気を沸騰させ、江戸の髪結床の暖簾はすべて国芳の水滸伝の絵柄となり、火消しや鳶の若者の間に彫り物(刺青)が大流行した。

図5 当世好男子伝・唐犬権兵衛、団七九郎兵衛、奴ノ小万
三代歌川豊国画 大判錦絵3枚続 安政6(1859)年
こうした水滸伝ブームの背景には、日本のアウトロー、博徒・侠客の蠢動(しゅんどう)があったことを見落としてはならない。水滸伝の豪傑を日本の侠客に見立てた役者絵のシリーズ「近世水滸伝」が、三代歌川豊国によって描かれ、組定重次(国定忠治)らの男伊達が登場することになる(図7)。また大蘇芳年(たいそよしとし)は下総の博徒争闘に着目し、「近世侠儀伝」と銘打って「飯丘捨五郎」(実は飯岡助五郎)らを取り上げた(図8)。水滸伝の豪傑の紅三点のなかでも美人の誉れ高いのが一丈青扈三娘(いちじょうせいこさんじょう)であるが、彼女を大坂浪花の女侠客の「奴の小万」になぞらえているのも面白い(図5)。
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| 図7 近世水滸伝・組定重次 市川団十郎 三代歌川豊国画 大判錦絵 文久2(1862)年 |
図8 近世侠儀伝・飯丘捨五郎 大蘇芳年画 大判錦絵 慶応元(1865)年 |
図9 水滸伝豪傑相撲合 墨摺番付 江戸時代末期 |
輸入書の禁書『水滸伝』は幕末社会を迎え、さまざまなヴァリエイションを形成する。そのひとつが番付である。百八人の豪傑を相撲番付に見立てたものである(図9)。
このように舶来の『水滸伝』は、日本のアウトローの活動と一体となって民衆の内面にまで浸透し、幕末維新の激動のイメージを増幅させていった。
本館歴史研究部 高橋 敏

































