刊行物
歴史系総合誌「歴博」
歴史系総合誌「歴博」 114号
[連載] 歴史の証人 写真による収蔵品紹介
銃炮製作技術の謎
鉄炮の製作法
大筒の張立法
鉄炮は小銃であるが、永禄末年ごろから大型砲の大鉄炮が、さらに元亀・天正年間になると、大筒や石火矢が登場した。写真は銃砲史家所荘吉氏寄贈の関流一貫目玉の大筒(口径8.5cm、銃身長90.2cm、全長140cm)は、「江州国友丹波大掾橘宗俊」の銘文があり、筒上面には金象嵌で使用者の「関軍兵衛尉昌信(花押)」とある。江戸初期の延宝2(1674)年、上総国久留里で遠射された確かな史料がある。
幕末の文化10(1813)年8月、関昌信の末裔関信貞は、江戸鉄炮鍛冶の岩田要蔵に300目の大筒を注文した。「信貞覚書」はその製作の次第をつぎのように伝えている。
「中嶋流炮術管窺録」の「張法製法巻」によると、岩田要蔵の張立技術は樋(とい)作りとわかる。関軍兵衛尉昌信は流祖之信の長子であるが、炮術は流祖の教えを忠実に受け継ぐから、一貫目筒もこの技法の可能性がある。なお、「張法製法巻」は大筒の下地として「饂飩」「巻張」「角樋」「金地」の技法を伝えているが、いまはこれを説明する余裕はない。
「中嶋流炮術 目録」中嶋流炮術 管窺録 ![]() |
「張立製法巻」下地饂飩(うどん)作り![]() |
「張立製法巻」下地角樋作り![]() |
「張立製法巻」下地樋作り![]() |
戦国時代、国友や堺のほか東国でも鍛冶が鉄炮を拵えている。全国各地の鍛冶は見よう見まねで鉄の筒を拵えたのである。その結果として鉄炮は全国に普及した。こうした鉄炮製作の技術のなかに西欧の製銃技術の痕跡はみあたらない。
宇田川武久・本館情報資料研究部
参考文献
所荘吉 「中嶋流炮術管窺録」『江戸古典科学叢書』 恒和出版 1978年
宇田川武久 『鉄炮と石火矢』(日本の美術) 至文堂 1997年
同 『江戸の炮術』 東洋書林 2001年









































