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歴史系総合誌「歴博」歴史系総合誌「歴博」

歴史系総合誌「歴博」 113号

[連載] 歴史の証人 写真による収蔵品紹介

館蔵資料による 変化朝顔の世界

江戸時代の巨大都市では、高度な園芸文化が発達した。とくに18世紀後半になると、都市の武士や富裕な町人、僧侶などの間で「奇品」(奇抜なもの)の育成が流行した。この「奇品」の代表の一つが、突然変異で生じた奇花・奇葉を持つ朝顔(変化朝顔)である。
1999年より本館では、現存する変化朝顔と関連する歴史資料を特別企画「伝統の朝顔」として展示してきた。この企画に関連して系統的に収集してきたものが、朝顔関係資料である。ここではその一部を紹介したい。

あさがほ叢(文化14<1817>年) 図2 三都一朝(嘉永7<1854>年)
図1 あさがほ叢(文化14<1817>年) 図2 三都一朝(嘉永7<1854>年)
朝顔図説(明治36<1903>年)
図3 朝顔三十六花撰(嘉永7<1854>年) 図4 朝顔図説(明治36<1903>年)

江戸時代、変化朝顔ブームは二度到来した。この流行に大きな役割を果たしたのが朝顔図譜である。第一次ブーム(文化・文政期1804~29年)の図譜は、図鑑的な性格が強く、作者の名前は知られていない(図1)。これは、ブームの中心が、巨大都市の知識人たちにあったためであろう。こうした人々が、同好会(「連」・「花連」)を組織して、花を競っていたのである。これに対して、第二次ブーム(嘉永・安政期1848~60年)の図譜では、品評会で評価された優秀作品が、作者の名前とともに紹介されている。(図2・3)。これは江戸周辺の町場などにも流行が広がり、作り手が増えたことによると思われる。また、花の好みもかなり変わったことがわかる。

変化朝顔図(明治~大正時代 高橋其堂画)
図5 変化朝顔図(明治~大正時代 高橋其堂画)一番右は、中の原画を実際に印刷したものである。

変化朝顔図(明治~大正期)
図5 変化朝顔図(明治~大正期)

あさがほ錦之露 牽牛花通解(明治35<1902>年) 種の蒔き方の項
図6 あさがほ錦之露(明治35<1902>年) 図7 牽牛花通解(明治35<1902>年) 種の蒔き方の項

変化朝顔ブームは、明治に入るとしばらくなりをひそめる。ブームの再来は明治20年代のことで、種の交換を行い、品評会で各自の作品を競う愛好会が、大阪・京都・東京を皮切りに各地で設立された。図5は、こうした愛好会の会誌に掲載される優秀作品の図の原画である。また新たな図譜や(図4)、栽培法を紹介した図書も刊行されている(図6~8)。このほか、図11は江戸時代の図譜を再編集して刊行したものである。じつは、この図譜は、原図の改変など不正確な情報が多かった。にもかかわらず、この図譜は当時の愛好家の間で流通していたのである。当時の熱狂ぶりがうかがえよう。

図8 あさがお手引草(明治35<1902>年)右が双葉、左が本葉。いろはの記号で対応する。
図8 あさがお手引草(明治35<1902>年)右が双葉、左が本葉。いろはの記号で対応する。

なお、本年も本館では、8月6日より8月25日まで、系統保存されてきた変化朝顔をくらしの植物苑において展示している。本年は植物のみの展示であるが、ご興味のある方は是非「変化朝顔の世界」をご覧いただきたい。

岩淵 令治(本館歴史研究部・日本近世史)

「都鄙秋興」 図11 「都鄙秋興」(安政4<1857>年)から採録したものと思われるが、色が変わっている(右が原本、左が明治期の都鄙秋興)。
都鄙秋興 図11 都鄙秋興(明治時代)
明治期の再刊本。内題と序文の題(左頁「両地秋」)が異なっていることからわかるように、この本は江戸時代の数冊の図譜を編集して作られた。
舟形植木鉢 図9 舟形植木鉢
変化朝顔や菊人形で有名だった植木屋惣吉が使用した植木鉢。
朝顔押花(明治~大正時代) 図10 朝顔押花(明治~大正時代)
四寸咲の「大和錦」。通常の五弁であることから、大輪の品種が開発される直前のものと思われる。