刊行物刊行物

歴史系総合誌「歴博」歴史系総合誌「歴博」

歴史系総合誌「歴博」 109号

[連載] 歴史の証人 写真による収蔵品紹介

地震ひと揺れ国さんざん

浅草公園十二階及花屋敷付近延焼之状況
「浅草公園十二階及花屋敷付近延焼之状況」

小学生のころ、「地震ひと(1)揺れ国(92)さん(3)ざん」との語呂合わせで、関東大震災の発生した年を覚えさせられた。1923(大正12)年9月1日午前11時58分、関東地方南部一帯を地震が襲い、死者9万9331人、負傷者10万3733人、行方不明者4万3476人、全壊家屋12万8266戸、半壊家屋12万6233戸、焼失家屋44万7128戸、罹災者数340万という膨大な被害をもたらした(以上『国史大辞典』「関東大震災」の項による)。またその経済的打撃はのちの昭和恐慌の一要因となった。まさに「国さんざん」だったのである。 井戸水の簡易な消毒法
「井戸水の簡易な消毒法」
占い師の広告「料金は絶対に受けません」 バラック用瓦のチラシ(見本付) 「衛生二関スル注意」生水の煮沸、飲食物の衛生を説く。 「関東の戒厳司令官命令」
占い師の広告「料金は絶対に受けません」 バラック用瓦のチラシ(見本付) 「衛生二関スル注意」生水の煮沸、飲食物の衛生を説く。 「関東の戒厳司令官命令」。「通行人二対スル誰何検問ハ軍隊憲兵及警察官二限リ之ヲ行フモノトス」とあり、自警団の行動が問題になった後のものか。

地震の後、人々は明日をも知れぬ絶望的な状況のなか、バラックを建てて不安な生活を送りはじめた。占いにはかない希望を託す人々もいたのではなかろうか。治安・衛生の悪化が懸念され、戒厳令が布かれて、軍隊が治安の維持にあたった。また井戸水の消毒法に関する布告が数多くだされた。「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などというデマが広まり、各地で虐殺が発生した一因は、人々のこの不安にあったのではなかろうか。

『永久に伝ふべき 帝都震災実況絵はがき』 『関東大震災写真帖』表紙
『永久に伝ふべき 帝都震災実況絵はがき』 『関東大震災写真帖』表紙
添田唖蝉坊作「大正大震災の歌」 添田唖蝉坊作「大正大震災の歌」 添田唖蝉坊作「大正大震災の歌」
添田唖蝉坊作「大正大震災の歌」(『新流行唄 大震災の歌』)

地震はあまりに強烈なできごとだったから、人々がこれを記録・記憶にとどめ、永く伝えようとしたのは自然なことであった。震災の凄惨なありさまを描いた写真や歌が多数市販され、流通した。また死者の霊を慰めることも、生き残った者のつとめであった。
だがその一方で、死体を写した絵葉書や「関東大震災大番付」などと題する番付が関東以外の地で作られ、同じように市販されていた(「番付」にも、「殖えたマスクと絵葉書や」とある)。どこか他人事のようであり、興味本位の印象はまぬがれないが、それもまた、人々がいだいた地震の<記憶>のひとつとしてながめるよりない。

本館歴史研究部 一ノ瀬俊也

『関東大震災大番付』名古屋で作られたもの。 『大正震火災回向和讃』。
『大正震火災回向和讃』。
『大正震火災回向和讃』。
『関東大震災大番付』名古屋で作られたもの。

「本所石原方面大旋風之真景」
「本所石原方面大旋風之真景」