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歴史系総合誌「歴博」歴史系総合誌「歴博」

歴史系総合誌「歴博」 104号

[連載] 歴史の証人 写真による収蔵品紹介

木戸家資料について

木戸孝允肖像(1873年3月28日)欧米滞在中に撮影されたもの
木戸孝允肖像(1873年3月28日)欧米滞在中に撮影されたもの

欧米巡回使節団委任状(1872年)明治天皇の全権委任状 欧米巡回使節団委任状(1872年)明治天皇の全権委任状
欧米巡回使節団委任状(1872年)明治天皇の全権委任状
木戸孝允意見書(部分、1873年か) 「内治優先」の立場から、征韓論に反対して書かれた意見書の控え 木戸孝允意見書(部分、1873年か) 「内治優先」の立場から、征韓論に反対して書かれた意見書の控え
木戸孝允意見書(部分、1873年か) 「内治優先」の立場から、征韓論に反対して書かれた意見書の控え
木戸孝允辞令(1876年) 同辞令の裏書き
木戸孝允辞令(1876年)
内閣顧問に任命されたときのもの
同辞令の裏書き

木戸孝允アルバム
木戸孝允アルバム

木戸家資料は、明治の元勲木戸孝允(1833~77)、その子孝正、孫幸一(1889~1977、内大臣)の三代にわたって形成された膨大な資料群である。近代の日本が歩んだ激動の歴史を示す、貴重な資料を多く含む。国立歴史民俗博物館は1984、87、98年にわたって、幸一の子息孝彦氏より寄贈を受けた。
内容は多岐にわたるが、今回紹介するのは孝允、幸一が国政に参与した際にのこした数々の文書類である。孝允は大久保利通・西郷隆盛とともに維新の三傑と称され、欧米巡回使節団に参加(1871~73)し、帰国するや西郷・板垣退助らの征韓論に反対して彼らを辞職させるなどの足跡を残した。また幸一は昭和天皇にもっとも近い側近として、太平洋戦争の開戦・終戦を補佐する役割を果たした。戦後東京裁判の被告となり、終身禁固の判決を受けたが、1955年仮釈放となった。
なお、同家資料をご寄贈くださった木戸孝彦氏は、今年8月15日に逝去された。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

一ノ瀬 俊也(本館歴史研究部)

木戸幸一肖像
木戸幸一肖像

「昭和二十年二月 時局ニ関スル重臣奉答録 天皇が戦争遂行の方針を重臣に尋ねた際の記録
「昭和二十年二月 時局ニ関スル重臣奉答録 天皇が戦争遂行の方針を重臣に尋ねた際の記録
近衛文麿(元首相)が、敗戦はもはや必至の情勢と答えている
「極東国際軍事裁判 木戸幸一宣誓供述書」 1941年、木戸が東条英機を総理大臣に推薦した際の部分
「極東国際軍事裁判 木戸幸一宣誓供述書」 1941年、木戸が東条英機を総理大臣に推薦した際の部分
木戸幸一日記(1941年12月8日)天皇の側近として日米交渉に参与していた 木戸幸一日記(1941年12月8日)天皇の側近として日米交渉に参与していた
木戸幸一日記(1941年12月8日)天皇の側近として日米交渉に参与していた