連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

大塚集古資料館旧蔵コレクションについて

一 二つで一つのコレクション
当館には、「大塚集古(しゅうこ)資料館旧蔵コレクション」が二つある。一つは「飛騨路(ひだじ)の民具」(F-169)で、一九九〇(平成二)年二月に購入したものである。もう一つは、一九九三年度と一九九四年度の二期に分けて購入した「大塚集古資料館旧蔵墨壺(すみつぼ)コレクション」(F-235、以下「墨壺コレクションと略)である。両者は、ともに岐阜市に在住していた故大塚佑二(ゆうじ)氏が収集したコレクションの一部である。

大塚氏は、一九一七(大正六)年に岐阜市で生まれ、商業学校を卒業後に一九〇八(明治四一)年に創業した家業の木材業に従事し、一九四五(昭和二〇)年からはそれを大飛(たいひ)木材株式会社として組織改編して自ら社長に就任した。彼は、高度経済成長によって「木材の価値観、人と木の結びつきが一変したことを痛感し」、一九七〇年代から飛騨(ひだ)地方および奥美濃(おくみの)地方を中心に木材資料や木材業関連道具を収集し始めた(大塚、一九八六、一頁)。そして、一九七九(昭和五四)年には、同社の創業七〇周年を記念して、岐阜市日置(ひおき)の事務所に「大塚集古資料館」を設立した。そこに集められた資料は、約二〇〇〇件にも及んだという。

その目的は、「忘れられ消えてゆく木で作られた民具、道具のなかで、木材資料として価値あるものを少しでも保存することに、小さな使命感を見出した」ことにある(大塚、一九八六、一頁)。しかし、大塚氏は一九八八(昭和六三)年に七一歳で他界し、資料館は後継者がいないために閉鎖された。そこで当館は、木材の専門家によって収集された価値の高い資料が散逸するのを防ぐため、その一部を購入した。

内訳は、箪笥(たんす)や長持(ながもち)、衝立(ついたて)、机、看板、算盤(そろばん)、銭升(ぜにます)・銭箱(ぜにばこ)、自在鉤(じざいかぎ)、燭台(しょくだい)、行燈(あんどん)、煙草盆(たばこぼん)、枕、鍬(すき)、臼(うす)、杵(きね)、木鉢(きばち)、桶、杓(しゃく)、菓子型、木槌(きづち)、山樵(さんしょう)用具、カンジキ、ソリ、木馬、ハシゴ、木挽(こびき)用具、大工道具、屋根葺(ふ)き道具、滑車(かっしゃ)、仮面、獅子頭(ししがしら)、岐阜提灯(ちょうちん)製作関係資料などである。一括資料を一件として数えているため、実際には膨大な量がある。例えば、当館の館蔵資料データベースによると、「飛騨路の民具」は六〇九件に過ぎないが、実物を確認すると、菓子型(F-169-226)は一件で四一点、山樵用具(F-169-307)は三一点、道具箱(F-169-424)は八六点、同じく道具箱(F-169-426)は七八点、版木(F-169-494)は一八九点もあり、岐阜提灯製作関係資料(F-169-497)に至っては一六八五点にのぼる。つまり、大塚集古資料館旧蔵コレクションは、データベースでは表現しきれない、一括資料の豊富な大コレクションなのである。今回は、その中でも資料点数の多い墨壺と大工道具、岐阜提灯製作関係資料について紹介しておきたい。

写真1 亀の形をした李朝の墨壺(F-235-28)

写真2 竹で作った李朝の墨壺(F-235-55)

写真3 一文字型の墨壺(F-235-185)

 

二 墨壺コレクション
墨壺コレクションは、一九九六(平成一四)年夏の企画展示「失われゆく番匠(ばんしょう)の道具と儀式」で展示された。この展示では、墨壺の造形と建築の儀式用具としての役割に焦点を当てた。大塚氏も、墨壺の造形と宗教的な要素に惹かれ、飛騨地方と奥美濃地方にとどまらず、日本各地や朝鮮半島のものを収集した。その内訳は、朝鮮半島のものが五八点、近世以来の日本のものが二三三点、墨さしが一件一五点、現代の墨壺が二点である。

朝鮮半島の墨壺はほとんどが李朝(りちょう)時代(一三九二~一九一〇)のもので、亀や虎、リス、鳥といった生物をデザインした造形の複雑なものが多い(写真1)。また、日本の墨壺がおもに欅(けやき)を材料としているのに対し、李朝の墨壺は竹や金属、石、白磁(はくじ)など、様々な材料を使用している点が特徴的である(写真2)。

一方、日本の墨壺は、李朝のものよりもデザインがシンプルであり、墨を含ませた壺綿(つぼわた)を入れる墨池(すみいけ)が両側に広がっているものを「関東型」、長方形のものを「関西型」、すっきりとした直線状のものを「一文字型」と区別している。これらのうち、収集者の地元である飛騨地方で用いられていたのが、「一文字型」である(写真3)。「一文字型」は関東型と比べて墨池が小さいので、墨が乾燥しやすい欠点があるが、持ちやすさに優れていた。

写真4 鑿と鉋の多い道具箱(F-169-422)

写真5 道具箱の中の大工道具(F-169-423)

写真6 道具箱の中の大工道具(F-169-424)

写真7 道具箱の中の大工道具(F-169-426)

三 大工道具
大塚集古資料館旧蔵コレクションにおける大工道具の特徴は、道具箱に入った一括資料が多いことである。その数は六箱であり、それ以外に道具箱に入っていない一括資料が一件四十四点、鋸の目立てをするための道具箱が一箱ある。使用年代は、確認できる範囲で、天保年間(一八三一~一八四五)のものが古く、それ以外の大半は近代以降のものだと思われる。

道具箱に入った一括資料の面白さは、箱ごとに道具の種類が異なっており、それがおおよそ作業工程ごとにまとめられていることと、細部を調整するための道具の多様性を把握できることにある。例えば、F-169-422の道具箱では鑿と鉋(かんな)が多く(写真4)、F-169-423·425·427のそれには鉋が多い(写真5)。F-169-424の道具箱は錐と鑿、ヤスリが多く(写真6)、F-169-426のそれはドリルの替刃やドライバーなどの近代工具が多い(写真7)。

中でも、鉋の形状と機能は多様である。荒削りをするための長台(ながだい)鉋、最も基本的な平(ひら)鉋、表面に丸みをもたせるための内丸(うちまる)鉋とそれとの対をなす丸鉋、敷居などの溝を彫るために使う決(しゃくり)鉋などがあるが、大塚集古資料館旧蔵コレクションは、それらの構造の違いをじっくりと比較できる資料群である。

写真8 提灯の口輪(F-169-497-26-35)

写真9 ハリコミとツメ(F-169-497-7)
右下3つのハリコミは、爪を差し込んだ状態

写真10 手板や脚の製作道具(F-169-497-22)

 

 岐阜提灯製作関係資料
岐阜提灯は、細い竹ひごで作った骨格に、薄くて丈夫な美濃紙を貼った火袋に絵を描いたもので、おもに盆提灯として重宝されてきた。この製作工程には、上下の輪を製作する口輪(くちわ)師、下絵を作成する絵師、それをもとにして絵紙を作成する摺込(すりこみ)師、ヒゴ巻きと絵紙の張りを担当する張師(はりし)などの専門的な職人が関わるが、大塚集古資料館旧蔵コレクションとして収蔵されているのは、口輪師の製作道具である(写真8)。

口輪師とはいわば木地師のことで、上輪(かみわ)や下輪(しもわ)のみならず提灯を吊すための手板(ていた)や蝋燭立(ろうそくだて)のついたげす板、行灯(あんどん)の脚なども製作する。そして、提灯には盆提灯の他、五月節句用提灯や行灯、豆提灯などいくつもの種類があるため、それらに必要な道具は膨大となる。中でも、和紙を貼った火袋を口輪に差し込むのに、その形を凹型にするため、外側のハリソトと内側のハリウチをクチと呼ばれる天板を挟んで圧着させるためのハリコミの型とツメは重要で、数が多い(写真9)。また、手板や脚を作るための鉋や毛引は、滑らかな曲線を出すために、様々な種類がある(写真10)。このように、岐阜提灯製作関係資料は仕事場の臨場感あふれる貴重な資料である。

〈引用・参考文献〉
○大塚佑二『墨壺』、大塚集古資料館、一九八六年
○国立歴史民俗博物館編『失われゆく番匠の道具と儀式』、国立歴史民俗博物館、一九九六年

青木 隆浩 (本館研究部/地理学・民俗学)