連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

漆資料の年代を測る

漆は、樹液であり炭素の塊である。また、漆の木を傷つけ、樹液として採取したのちは、日を置かずに漆製品を製作していく必要がある。そのため、漆液の採取年と漆製品としての製作年が合致していると捉えることができる。こうした点から、年代測定の上ではもっとも良好な測定対象の一つとなる。

国立歴史民俗博物館を中心とした年代測定研究グループでは、永嶋正春を中心に、漆技術の年代的整理を目的として、年代研究のスタート時より、多くの漆資料をAMS14C年代測定の対象としてきた。

縄文時代に属する歴博の館蔵資料については、まだ年代測定を行った資料は実はない。複製品を作成し常設展に展示している資料の中には、多くの年代測定試料が含まれている。今回は、その中から縄文時代の漆に関連した資料について、漆工芸としての位置づけと年代測定の結果を紹介したい。

本館第1展示室より

島根県夫手(それて)遺跡漆容器(松江市教育委員会)

付着漆片を永嶋が採取し、当館研究部坂本稔・今村峯雄が担当して、ベータアナリィテック社で年代測定した。結果は、5910±3014C BPであり、較正年代では4845-4715cal BC(紀元前)に95.4%の確率で含まれる。これは、これまでの測定結果に照らすと縄文時代前期の前半段階に相当する。日本の漆文化は、北海道函館市垣島(かきのしま)B遺跡にて縄文早期に相当する墓穴から漆製品が出土しているが、残念ながら年代測定を行えないまま事故により焼失した。最近、佐賀県東名(とうみょう)貝塚において早期後葉とされる漆製品も見つかっているが、現時点では確実に日本での漆製作の存在が遡るのは、漆製作の直接的な証拠である夫手遺跡の本例をもって、ということになる。縄文前期には、漆製品自体も山形県押出(おんだし)遺跡漆塗土器など多くが知られている。

漆の14C年代測定値の較正年代確率分布

漆液の断面撮影

新潟県分谷地(わけやち)A遺跡漆器(胎内(たいない)市教育委員会蔵)

ヤマザクラ製木胎漆器(『分谷地A遺跡2』図版270図2) である。朱漆塗りの木胎漆器の漆塗膜片を永嶋が採取し、小林が担当して試料処理を行った。結果は、3480±5014C BPで、較正年代では、1930-1685 cal BCの間にあたる可能性が最も高く95.4%の確率である。これは、ともに測定した同遺跡出土の南三十稲場(みなみさんじゅういなば)式土器付着物とおおよそ合致しており、これまでの年代測定研究に重ねると、縄文時代後期前葉ころといえる。縄文時代後期前葉は、火焔土器など中期までの立体的な装飾を持つ深鉢中心の土器組成から、磨消縄文などを特徴とし、注口土器など器種分化を複雑にする土器組成へと変化する時期であり、ダイナミックから繊細へと価値観が移る時期である。この漆器もまさに繊細な美しさが光っているといえないだろうか。

漆の14C年代測定値の較正年代確率分布

漆膜の断面撮影

青森県是川(これかわ遺跡木胎漆器(八戸市教育委員会)

是川中居遺跡1(八戸市教育委員会2002)に20図12、木胎漆器Bとして報告されている鉢形容器である。漆塗膜について坂本稔が試料処理を担当し、名古屋大学年代測定総合研究センターで中村俊夫が測定して2895±3014C BPとの測定値を得ている。較正年代では1135~995cal BCの間にあたる可能性が最も高く約80%の確率である。これは、これまでの年代測定研究に重ねると、大洞B式の終わり頃から大洞C1式はじめ頃にあたり、大洞BC式に最も良く重なる。縄文晩期には東日本を中心に、漆工芸が精微を極め、西日本にも東日本系の漆製品が搬入されている。居徳遺跡の木胎漆器については、中国との関係を示唆する部分もある。これらの年代測定を進めて、時間的な併行関係を整理し、相互の交流を明らかにしていく努力が必要であろう。

漆膜の14C年代測定値の較正年代確率分布

漆膜の断面撮影

永嶋正春(本館研究部・文化財科学)
小林謙一(本館研究部・先史考古学)