連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

明譽眞月大姉葬儀写真帖

写真1 表紙

葬儀広告と会葬御礼広告 『都新聞』明治44年2月6日付

写真2 前文

写真3 前文

図5:田園風景模様被衣(本館蔵)

写真4拡大 奥に柩がみえその両脇には蓮華が並んでいる。

写真5 「芝河岸納屋前」蓮華が並ぶ。

いまとなっては、明治期東京の葬儀の様子を描き出すのはなかなか難しい。当時、もっとも重視されていたのが葬列であった。自宅での通夜の後、当日は柩(ひつぎ)を輿(こし)などにのせて、数十人から数百人の規模で葬列を組んで寺院にむかい、本堂で葬儀式をして埋火葬をおこなった。だから黒枠広告も、開式時間でなく、葬列のでる自宅出棺の時間がしるされ、基本的に人々は喪家に集まって葬列から式に参加したのである。

葬列自体の写真はいくつか見ることはできるが、一般の葬儀での出棺前の自宅の様子から葬列、寺での葬儀式まで、その経過をおった写真集は稀有のものであり、当時の葬儀の様子を詳しくうかがえる貴重な資料である。

これは日本橋魚河岸の魚問屋荒木平八氏の老母、照氏の葬儀写真を35日忌法要に際して印刷し冊子にしたもので、どうも関係者に配布したらしい。表紙には20年前に撮影された黒紋付羽織姿の端正で気丈そうな照氏の写真がある。その前書きには「侠風あって江戸児の真面目を存すれども、家事を整理し常に余財を蓄ふるなど(中略)所謂女丈夫まして也」とその人柄が記されている。ご子孫の荒木文子氏によるとやはり照氏が女丈夫であったことを伝え聞いており、また当主の平八氏は宮内省大膳職(だいぜんしき)にもつとめていたという。

照氏は明治44年2月4日に82才で亡くなった。2月6日付『都新聞』に黒枠広告が出されており、7日午後1時日本橋本船町(現中央区日本橋室町1丁目)の自宅を出棺し、深川の常照院(現江東区清澄3丁目)で葬儀をおこなった。
なかでも「荒木自宅棺前の景」(写真4)は貴重である。当時まだ今のような白木祭壇は用いられず、それ以前ははっきりしていなかった。写真では、8畳程度の座敷奥に柩が安置され、白布の長机に位牌、膳を中心に白蓮華、台付香炉、台付の小蓮華が並べられ、前の小机に燭台、香炉などがある。その周囲には大小さまざまな蓮華、菊や梅、牡丹の造花などがあるが、これらはみな白木の台付であり、関係者の供物であることがわかる。このように自宅での飾りはきわめて簡素で、位牌、膳、香炉や燭台のほかは関係者の供物が所狭しと並べられ、ある意味雑然としており、自宅での飾りは人目を意識した祭壇として装飾性を帯びることはなかったことがわかる。

それ以降は自宅周辺に数多くの蓮華が林立している様子である。蓮華には竹筒に挿したものと、白木の台付きの花瓶に挿したものがある。その蓮華には提供者の名前が記された木札がつけられ、「魚がし会」、「小網」、「乙雅」、「虎元」など魚河岸関係の名前がみられる。さらに「尾上菊五郎」、「11代目片岡(仁左衛門)」、「市川門之助・市川男虎」、「中村芝翫・中村児太郎」など数多くの歌舞伎役者からの蓮華も並んでいる。

供えられた蓮華や放鳥、生花などは、木札に小さく「人夫付」と書いてあり、これを運ぶ人夫代もふくめて提供されたことになる。つまりこうした供物も葬列で運ぶことを前提としていた。柩を納めた輿や提灯などは喪家が葬儀社をとおして人夫を手配した。小さな手桶の蓮華や梅の造花など、ほかにもさまざまな造花が飾られている。

葬列の写真では多くの人夫がそれぞれ蓮華などを担いで運び、柩の前には人力車に僧侶や女性、子供たちが乗って葬列に連なっている。

まためずらしい写真が「常照院内棺前読経」とある寺院での葬儀式の様子である。柩を納めた輿が、本堂下陣に本尊と対面する形で安置され、白布の机に、六灯(ろうそくを6本立てたもの)、四花(葬儀に用いられる房状の造花)、香炉などがおかれている。その周囲には運んできた蓮華などが見える。導師は本尊にむかって読経しており、紋付を着た親族が手前に座っている。こうしてみると本堂での飾りもかなりあっさりしており、出棺後の様子であろうか「常照院内」という写真では本尊側に位牌、四花、華足、六灯、その両側に蓮華が並べられている。

こうしてみると、当時は自宅や寺院においては現在の葬儀と異なり、極めて簡素な飾りだけである。それに対して圧倒されるほどの蓮華をすべて、輿とともに運び、練り歩くというところに儀礼の主体をおいた明治の葬式を改めて見いだすことができる。そしてこうした葬列の肥大化の反動により、大正期になると葬列が廃止され自宅での告別式に変わっていくのであった。

写真6 「中河岸納屋前」尾上菊五郎や沢村宗十郎などの名前がみられる。

写真7 「中河岸」花瓶入りの蓮華で後ろにはそれを担ぐ人夫が並んでいる。 写真8 放鳥籠 2メートル以上の籠の頂上には牡丹や藤などの造花が付いている。これは4人で担ぐもので木札には「人夫付」と小さく見える。 写真9 「本船町一番地々先キ」小型の蓮華や梅などの造花がある。

写真10 「深川高橋通り」葬列はまず蓮華が延々と続く。

写真11 「深川高橋通り」僧侶のあと、子供が香炉と位牌を持って人力車に乗っている。後ろには白木の輿が見える。 写真12 「常照院内棺前読経」本堂下陣に輿を安置してある。

写真13 「常照院内」出棺後のようである。東京の場合、葬儀の後に輿だけを担いで火葬場に向かった。

山田慎也(本館研究部)


本稿執筆に際しご子孫の荒木文子氏、常照院住職大河内義秀氏には大変お世話になりました。ここに御礼申し上げます。