連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

『大石兵六物語絵巻』について

巻子本というかたちはしばしば冊子本と対比的に、その不便さが語られる。巻くという行為がページをめくるより労力をかけるのである。ところがこのかたちは一向になくならなかった。近世後期になっても相変わらず、否、あるいは以前にもまして増えたかもしれない。巻子本とくに絵巻に限ってみても、従来の古典作品・寺社縁起・祭礼・行列・四季・名所などはいうまでもなく、ある事件に取材した『赤穂義士図巻』『夢の浮橋』なども多く作られるようになった。史実に基づかないが、実録風に事件を取上げた物語も絵巻化された。そのなかでも著名なものは『稲生物怪録(いのうもののけろく)絵巻』であろう。本館でも最近『武太夫物語』なる一伝本が入った。旧蔵者の識語によると、安芸の浅野家の侍女が所蔵していたものという珍しい由来をもっている。この物語は7月中、毎晩現れる化物を、怖じ恐れることなく対処する若侍を描いたものである。

『大石兵六物語(おおいしひょうろくものがたり)絵巻』もこの種の一篇ということができる。もっともこちらの若侍は当初の威勢とは裏腹に、化物に出遭うごとに怖れをなしている。舞台は鹿児島。寛永(1624~1644)初年8月下旬、名うての暴れ者の若侍が集り、狐に化かされ坊主にされる者が多いことを話題にしていると、その中の一人、大石兵六が肝試しに出かけることになる。これを聴き知った妖狐どもは様々な妖怪に化けて兵六を脅かすことにする。すなわち宇蛇(うじゃ)・蓑姥(みのば)じょう・三眼猿猴(みつめこうえん)・ぬらりひょん・頬紅太郎(ほおべにたろう)・てれめんちっぺい・このつきとっこう・ぬっぺっぽうなどである。その後、小狐2匹を捕らえるが、父親が突然現れ放してやるよう諌める。この父親というのが実は狐の化けたもので、兵六は馬糞団子も食べさせられる始末であった。ついで狐どもは大勢で人間に化けて兵六を捕え、結局坊主にしてしまう。失意のうちにある兵六は道端の不自然な六地蔵を狐と見抜き、ようやく2匹だけ捕らえることに成功した。兵六はこの顛末(てんまつ)を情けなく思ったが、仲間はこれを讃して朝食を振舞ったということである。

この物語の伝本は、本館所蔵の『兵六物語』のほか、鹿児島県在住の個人、早稲田大学図書館が知られている。また近年、古書肆(こしょし)から新たに一本出た。本館蔵本は個人蔵の一本と本文、絵ともに共通するところ多く、姉妹関係にありそうである。一方早稲田本は1801(享和元)年の奥書をもっている。本文を比べると異同が多いが、先後関係はにわかに決めかねる。新出の一本も、まだ精査していないが、本館蔵本に近似するようなので、見通しとして、絵巻は二系統に大別されそうである。

いずれにしても、この物語は伝統的ではない世俗的物語であっても、絵巻という形式によって受容されていたことが知られる一例といえよう。近世前期に普及した絵入りの冊子本に奈良絵本があるが、中期以降製作されないようになる。それに対して、一見不便に思われがちな絵巻物は多様に展開していくのである。その要因は複数あろうが、一つには幅の大きな紙面を使って描いているため、ダイナミックな表現が楽しめるところにあるのだろう。

ところでこの物語は、のちに薩摩藩士毛利正直(もうりまさなお)(1761~1803)によって改作された。これを『大石兵六夢物語』といい、1784(天明4)年の自序をもつ。『兵六物語』よりもむしろ、改作本『夢物語』の方が、刊本〔1795(寛政6)年刊など〕が出たこともあってか、流布したらしく、伝本も多い。実録体小説にしばしば見られることだが、写本として広く読まれたようである。正直は改変にあたり、時代設定を寛永年間ではなく、1338(暦応元)年としているところからも窺われるように、主として『太平記』を参照して潤色している。ちなみに正直には著作が他にも『移居記』『大福弁』『夫婦論聞書』『夢中の夢』『毛利集』など数多くあり、いずれも薩藩叢書(さっぱんそうしょ)に翻刻されている。しかし代表作はやはり『夢物語』で、この叢書のほか、戦前戦後あわせて四種ほどの翻刻・翻訳本が出ている。

大石兵六は単に物語の世界だけではなく、現実にも芸能や餅などを通して鹿児島の民俗とつながりをもっている。芸能というのは兵六踊りという風流系の踊りである。これは主として鹿児島県下に伝承されていたもので、今日数ヶ所で確認できる。このうち出水郡高尾野町の紫尾(しび)神社で行われるものは県の無形文化財に指定されている。また阿久根市では1981(昭和56)年まで祝い事の際に踊られていたが中絶し、1999(平成11)年9月15日の敬老行事で復活した(『南日本新聞』1999年9月18日)。

それから東京をはじめ各地の土産物店でも売られていることから、比較的名の通った餅菓子に兵六餅というものがある。これは近代になってからのものだが、兵六のように良いものを、土産品としても作ろうとして出来たという。今後は町おこし・村おこしのキャラクターとしても展開する可能性があるように思われる。

兵六と対決する筆頭の妖狐6匹。いずれも土地の名前がついている。
(二里塚の首玉・おろのもとの黒ぼう・びう川のせなはげ・ 菖蒲谷のはな白・三船の赤丸・白かねの尾切)

妖怪に立ち向かう姿は蓑姥じょうの場面だけ。

写真による収蔵品紹介コノツキトッコウ(梟の妖怪)の出現に驚く兵六。

心岳寺の和尚に化けた狐にだまされ剃髪させられた兵六。
心岳寺は鹿児島市内にある曹洞宗寺院。

地蔵に化けたびう川のせなはげ・菖蒲谷の鼻白。

伊藤 慎吾(中央学院大学非常勤講師・中近世文学史)