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開催概要関連の催し物その他の催し物広報用素材の提供について問い合わせ先

謹啓 時下益々ご清祥のこと、お慶び申し上げます。平素より、当館の運営等につきましては、格別のご配慮を賜り、厚くお礼申し上げます。
本館では10月3日から11月26日にかけて、企画展示「歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-」を開催いたします。展示の柱となるのは、最近の研究で明らかになった鉄炮伝来の真相、いくさと鉄炮の関わり、鉄炮の製作に従事した鍛冶職人の技術と社会、幕末維新の動乱期における銃砲の大きな変革です。
当館は開館以来、展示代表者の宇田川武久教授が中心となって、銃砲史の研究を継続して進めるとともに銃砲資料の充実に努めてきました。日本の3大銃砲コレクションとして定評のある吉岡新一(よしおかしんいち)銃砲コレクション・安齋実(あんざいみのる)炮術関係資料・所荘吉(ところそうきち)銃砲コレクション(一部)を蒐集し、実物資料・文献史料は質量ともに日本最大級です。今回の企画展示は、長年にわたるこれら蒐集資料の紹介と研究成果の集大成となります。
本館の研究成果についてご理解いただき、本館へのより一層のご支援をいただけたらと存じます。
つきましては、この展示開催を貴媒体にてぜひ多くの方々にご紹介くださいますようお願い申し上げます。

敬具

開催概要

企画展示「歴史のなかの鉄炮伝来 −種子島から戊辰戦争まで−」
The Introduction of Guns in Japanese History - From Tanegashima to the Boshin War -
開催期間2006年10月3日(火)~11月26日(日)
開催期間 2006年10月3日(火)~11月26日(日)
会場 国立歴史民俗博物館 企画展示室
料金 一般 830円 (560円)
小・中学生 250円 (130円)
高校・大学生 450円 (250円)
*( )内は20名以上の団体料金
※常設展もあわせてご覧になれます
※毎週土曜日は小・中学生、高校生は入館無料です。
開館時間 9時30分~16時30分(入館は16時まで)
休館日 10月10日(火)・16日(月)・23日(月) ・30日(月)・11月6日(月)・13日(月)・20日(月)
主催 国立歴史民俗博物館(大学共同利用機関法人 人間文化研究機構)

趣旨

前近代の銃砲の歴史は、1543(天文12)年の鉄炮伝来に始まり、1868(明治元)年の戊辰戦争で幕を閉じますが、今回の展示は、その3世紀の間に、外来文化であった銃砲が、わが国の政治・社会・軍事・技術など多方面に影響をおよぼしながら独自の発達を遂げ、さらに幕末維新に欧米の軍事技術を取得しながら変革するまでの過程を、新発見のものを含む膨大な資料を駆使し、3部構成でみていきます。 
展示される資料点数は約300点です。

なお、現在「てっぽう」「ほうじゅつ」には「鉄砲」「砲術」の字をあてますが、江戸時代の文献史料には通常「鉄炮」「炮術」と書かれていますので、本企画展示ではその表記を使用します。

第一部 鉄炮の受容と定着(鉄炮伝来から近世の初めまで)

これまで鉄炮伝来は、「ポルトガル人が」「種子島に伝え」「たちまち戦に投入された」というストーリーで語られてきました。しかしこれは、最近の研究で見直しを迫られています。 
まず、当初は贈答品や狩猟の道具として使われ、戦で主要な武器となったのは伝来から十数年経ち、戦国大名が鉄炮衆を創設してからでした。種子島に流れ着いた船にポルトガル人は乗っていましたが、それは中国のジャンク船で、指揮をとっていたのは倭寇(わこう)の大頭目・王直(おうちょく)(五峰(ごほう))でした。伝えられた鉄炮も、発火機(はっかき)の構造や銃床の形などからみて、ヨーロッパ製ではなく東南アジア製と考えるのが妥当です。また、16世紀中ごろのものとして「南蛮筒(なんばんづつ)」とよばれる外国から伝来した鉄炮や、それを真似て日本で作られた「異風筒(いふうづつ)」とよばれる鉄炮が数多く残されていますが、それらの形が千差万別であることから、いろいろな場所に様々な形状の鉄炮がほぼ同時期に伝来したものであり、「種子島」は、実はその中の一例に過ぎないと考えられます。豊富な資料を使って、このような諸説の見直しを行っていきます。
日本に到来する鉄炮がふえてくると、火薬の作り方や射撃法を教える炮術師が各地にあらわれ、諸国を遍歴しながら鉄炮を日本中に広めました。鉄炮が本格的に戦に投入されるようになった時期、これらの炮術師によって開発された多様な玉や、大鉄炮(おおでっぽう)、大筒(おおづつ)、石火矢(いしびや)といった大型砲も展示されます。

<第一部の主な展示物>

火縄銃(南蛮筒・異風筒)(16世紀 靖国神社・徳川美術館蔵) 
羽柴藤吉郎秀吉知行宛行状(ちぎょうあてがいじょう)(折紙(おりがみ))
(国友藤二郎(とうじろう)宛 1574年 個人蔵) 
石田三成判物(はんもつ)(折紙)(国友与作宛 1596年 個人蔵) 
弾痕のある三代将軍徳川家光の具足(ぐそく)
(重文 17世紀 久能山東照宮博物館蔵) 
島原一揆で使われた青銅製大鉄炮
(17世紀 福島県・板倉神社 蔵) 
佐伯藩祖毛利伊勢守高政(さえきはんそもうりいせのかみたかまさ)使用の大鉄炮4挺
(17世紀 個人蔵 佐伯市教育委員会 保管) 
「無聖(むしょう)」(全長281cm)、
「四海波(しかいなみ)」(全長282cm)、
「閻魔王(えんまおう)」(全長278cm)、
「あき風(かぜ)」(全長201cm)

第二部 銃砲技術の発達と鉄炮鍛冶(鉄炮鍛冶職人の技術と社会)

刀剣鍛冶は現在も日本に200人以上おり、それぞれの技術を伝えていますが、鉄炮鍛冶は現在ひとりも残っておらず、技術の伝承は途絶えてしまっています。ここでは、江戸時代の文献史料と科学分析によって、鉄炮鍛冶職人の製作技術と組織を明らかにします。
火縄銃の発射機構には、南蛮カラクリ、平(ひら)カラクリ、無双(むそう)カラクリ、ゼンマイ内(うち)カラクリ、蟹ノ目(かにのめ)なき内カラクリなど、いくつかの種類がありました。それらの構造と火縄による着火の仕組みを、分解した実物資料とCG(コンピューター・グラフィック)でお見せします。 
鉄炮鍛冶が使用した鍛冶道具は、日本で唯一ヶ所、近江の国友(くにとも)村にのみ残されています。その作業場(鍛冶工房)の様子を再現し、道具類を展示するとともに、文献史料と道具に基づいて鉄炮の製作技術を説明します。現在残されている鉄炮の製作法を記した史料は、「中嶋流炮術管録(なかじまりゅうほうじゅつかんきろく)」と「大小御鉄炮製作方之法(だいしょうおんてっぽうせいさくかたのほう)」の2編のみで、いずれも今回展示されます。
その国友村は戦国時代から鉄炮製作を始めますが、戦いの規模が大きくなる近世の初めには諸方からの注文が殺到し、これをさばくために「惣(そう)」あるいは「仲間(なかま)」とよばれる同業者組合が組織され、さらに鍛冶職人が全国に出稼ぎに行くようにもなり、そこの土地に居着くものも少なくありませんでした。これまでのところ、東北から九州までの33ヶ所で国友姓の銘文をもつ鉄炮が確認されています(展示は行われませんが、現在歴博のある佐倉でも「国友忠之(ただゆき)」「国友文八(ぶんぱち)」銘の鉄炮が製作されており、国友系鍛冶の子孫も残っています)。 
19世紀初頭になると、鉄炮鍛冶や技術者の中には独自の工夫を行う者があらわれるようになり、気炮(きほう)・風砲(ふうほう)(空気銃)、輪燧佩(りんすいはい)銃(ゼンマイと火打ち石を組み合わせて連続火花を起こす「鋼輪(こうりん)」を使用した銃)などが発明されました。ここでは近江の国友藤兵衛一貫斎(とうべえいっかんさい)、讃岐の久米通賢(くめつうけん)、尾張の医師吉雄常三(よしおつねみ)をとりあげます。
文献史料に記されている鉄炮銃身の製作法は大きくわけて「饂飩張(うどんばり)」(細長い鉄板を縦に丸める)と「巻張(まきばり)」(リボン状に斜めに巻いていく)の2種類がありますが、通常、外見では識別できません。表面の錆を磨いて金属部分を出し、内寸2メートルの大型試料室をつけた走査型電子顕微鏡を使うことによって、これらの製作法で作られた銃身を自然科学的に識別することができました。また同様の分析から、鉄炮は、炭素濃度0.1%以下という軟鉄が使用されていることや、その金属組織の中に含まれる介在物に、刀剣に通常含まれる、原料の砂鉄に由来する鉄-チタン酸化物の鉱物が含まれていないことから、刀剣とはまったく異なる鉄素材によって作られていることが明らかになりました。
世界前装銃(ぜんそうじゅう)射撃選手権大会の記録保持者である村上藤次郎(とうじろう)氏の協力のもと、江戸時代に作られた鉄炮を実射して弾速を測定するとともに、ヒノキ板、鉄板、竹束、鉄製の当世具足(江戸時代の鎧(よろい))を遮蔽物(しゃへいぶつ)として弾道(だんどう)ゼラチン(アメリカのFBIで威力測定に使用しているもの)に撃ち込んで威力を調べました。十匁玉(じゅうもんめだま)で火薬10グラムを使用した場合、これを止めるためには3ミリメートル厚の鉄板か9センチメートル厚のヒノキ板が必要でした。

<第二部の主な展示物>

徳川家康愛用の鉄炮と小道具
(野田繁慶(はんけい)作 重要文化財 1612~1613年 久能山(くのうざん)東照宮博物館蔵) 
関流一貫目大鉄炮(せきりゅういっかんめおおでっぽう)
(口径85mm、「国友丹波大掾(たんばだいじょう)」17世紀 本館蔵) 
中嶋流炮術管闚録(1843年 本館蔵) 
大小御鉄炮製作方之法
(国友藤兵衛家文書 1828年)、同写本 本館蔵) 
国友藤兵衛作の気炮と製作法を記した「気砲記(きほうき)」
(1819年 本館蔵)
久米栄左衛門通賢作の輪燧佩(りんすいはい)銃
(1814年 香川県歴史博物館寄託・個人蔵) 
各炮術流派の和製の鉄炮・大筒・石火矢など40挺
(第一部・第二部あわせて)

第三部 幕末の動乱と軍事技術の革新(幕末維新期における西洋軍事技術の習得)

わが国は、はじめ海防、後には国内戦に勝利するために欧米の軍事技術を学びますが、伝統的技術とそれら外来技術との間にある大きな落差に苦闘しなければなりませんでした。その経緯を、年代を追ってみていきます。第三部では幕末維新期に登場した様々な種類の銃砲類が展示されます。 
アヘン戦争での中国の敗北に衝撃を受けた幕府によって長崎から呼び寄せられた高島秋帆(たかしましゅうはん)は、「西洋式」の高島流炮術を開きます。これは18世紀ヨーロッパの火砲(かほう)を重視した集団による銃隊運用が特徴でした。前装燧石(ぜんそうすいせき)式マスケット(ゲベール銃)、大砲としてモルチール(臼砲(きゅうほう))、ホーイッスル(榴弾(りゅうだん)砲)、カノンを主体とする高島流炮術をはじめに紹介します。
外国船の接近に備え、日本沿岸にはおよそ1000ヶ所の台場が設けられ、そこに配備する大型砲の需要が増大したため、伝統的な和流炮術もこれに応えるための工夫を行いました。世界的にも珍しい、ネジ式尾栓(びせん)を備えた大砲(現存するのは切型(きりがた)(紙に原寸大の図面を描いて形に切り抜いたもの)のみ)は、このような中で考案されました。薩摩、佐賀、韮山などの関連史料から、大型砲製造の技術についても紹介します。 
1853年にペリー艦隊が来航し、翌年日本が開国すると、幕府も諸藩も高島流よりも進んだ西洋炮術を中核とする軍事改革に乗り出します。燧石(すいせき)銃に代わり雷汞(らいこう)を起爆剤に使用する前装滑腔(かっくう)式雷管銃(ゲベール)の製造が始まり、日本は19世紀初頭の西欧の技術に、急速に追いついていきます。これにあわせ、日本の火縄銃の機関部を雷管式に取り替える改造も各地で行われました。西洋の小銃は全体に大きく、銃床(じゅうしょう)を肩にあてる射法は小柄な日本人には使いにくかったのです(和銃は銃床が短く、肩付(かたづ)けではなく頬付(ほおづ)けで構える)。その改造銃も展示されています。雷管の発明はまた短銃(ピストル)の発達もうながしました。幕末当時の短銃の多様性と特徴について説明します。 
19世紀中ごろ、西欧ではそれまでの球形(きゅうけい)弾にかわり、椎実形鉛弾(しいのみがたえんだん)を発射する前装式施条(ぜんそうしきせじょう)銃が開発され(1846年、ミニエ銃)、射程距離、命中精度が飛躍的に改善されました。施条砲は大型砲にも採用され、これらの銃砲は薩英戦争(1863年)や下関戦争(1864年)で日本を圧倒します。幕府はライフル銃砲国産化をはかり、鉄炮方(てっぽうがた)江川太郎左衛門(えがわたろうざえもん)がこれに取り組みます。ここでは、滑腔(かっくう)銃と施条(せじょう)銃の違いや、輸入されたライフルと国産のライフル、また施条のために作られた木製の器械などが展示されます。欧米式の調練も導入されるようになりました。
戊辰(ぼしん)戦争は施条銃砲が大量に用いられる戦いになりました。国産の努力も続けられてはいましたが、世界のいろいろな新式銃砲が数多く流入した時期でもありました。この時期に輸入された多種多様な銃をみていきます。 
戊辰戦争では佐賀のアームストロング野戦砲(やせんほう)が有名ですが、実際に多く使用されていたのは四斤山砲(しきんさんぽう)で、西南戦争まで主力として活躍しました。これは分解して馬で運べる大きさの、取り扱いの簡便な野戦砲で、幕府のほか、薩摩藩なども製造していました。上野戦争の際、杉の木に突き刺さった状態のまま保存されている四斤山砲の弾が展示されます。

<第三部の主な展示物>

高嶋流砲術秘伝書(19世紀 本館蔵) 
安政四年鼠山(ねずみやま)大隊調練図
(1856年、1857年 東京大学史料編纂所蔵) 
ヒュゲニン鉄熕鋳鑑図(てっこうちゅうかんず)
(ヒュギュイニンHuguenin著・佐賀藩による翻訳 19世紀 個人蔵) 
木製施条器械(せじょうきかい)
(19世紀 静岡県・江川文庫(えがわぶんこ)蔵) 
外国産・国産洋式銃、改造銃など25挺 
燧石式ゲベール銃(1777年 本館蔵) 
雷管(らいかん)ゲベール(歩兵銃)
(1850年・1845年 江川文庫および本館蔵) 
火縄銃改造管打(ひなわじゅうかいぞうかんうち)(雷管式)銃
(19世紀 本館蔵) 
マンソー銃(スイス製 ケース付 19世紀 真田宝物館蔵) 
ウィンチェスター歩兵銃・騎兵銃(アメリカ製 19世紀 本館蔵) 
短銃13挺 
剣付前装管打(けんつきぜんそうかんうち)ピストル
(ベルギー製 19世紀 本館蔵) 
コルト・アーミー・リボルバーおよびネービー・リボルバー
(アメリカ製 19世紀 本館蔵) 
ル・フォッショウ軍用および騎兵用リボルバー
(フランス製 19世紀 本館蔵) 
レミントン二連デリンジャー
(アメリカ製 大久保利通所用 19世紀 本館蔵) 
スミス&ウェッソンNo.2
(アメリカ製 坂本龍馬所用と同型 19世紀 本館蔵)

関連の催し物

歴博フォーラム

第55回「歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-」宇田川武久 ほか

会場 入場無料、事前申込制(先着順)
定員 580名
日時 2006年10月21日(土) 13時~16時30分
会場 東商ホール(東京都千代田区 東京商工会議所4階)
申し込み 8月21日から
申込方法 「第55回歴博フォーラム参加希望」と明記の上、住所・氏名(葉書の場合は返信用にも記入)・電話番号を記入し、往復葉書またはE-mailでお申し込み下さい。
申し込み先 〒285-8502 千葉県佐倉市城内町117
国立歴史民俗博物館 広報サービス室 サービス・普及係 
Tel:043-486-0123(代)/ E-mail:forum@rekihaku.ac.jp

歴博講演会

各回13時30分~15時30分 歴博講堂にて開催、事前申し込み不要、先着順、定員260名

[1]第274回 「歴史のなかの鉄炮伝来 -種子島から戊辰戦争まで-」

日程 2006年10月14日(土)
備考 宇田川武久(本館情報資料研究系)

[2]第275回「幕末の軍制改革と銃砲の発達」

日程 2006年11月11日(土)
備考 保谷徹(東京大学史料編纂所)

火縄銃の演武 演武:国友鉄砲研究会

日程 2006年11月4日(土)11時~、15時30分~の2回(雨天中止)。
(雨天の場合は5日(日)11時~のみ開催。以降の順延はなし。)
場所 歴博休憩所前
備考 「国友鉄砲研究会」(会長:廣瀬一實(ひろせかずみ)氏)
昭和56年に結成。国友鉄炮鍛冶に関わる文献を中心に鉄炮の歴史や仕組みの研究を行うともに、15人のメンバーが「能當流(のうとうりゅう)」炮術の稽古と射撃の披露を行っている。

落語上演 出演:三遊亭圓橘(えんきつ)

『圓橘江戸ばなし』として岡本綺堂の作品半七捕物帳・怪談・読み物等二十編余りをこの会で口演し、将来翻案物として、ロアールド・ダール、サキの短編を口演する予定。


日時 2006年11月4日(土) 13時~15時
演目 「茶の湯」、「鰍沢(かじかざわ)」各話40分、休憩10分
会場 歴博講堂歴博講堂
出演

三遊亭圓橘(えんきつ)

※六代目三遊亭圓橘 プロフィール

昭和二十(一九四五)年
十一月二十一日
  東京生まれ
四十一(一九六六)年 三月 三代目三遊亭小圓朝に入門
四十八(一九七三)年 七月 小圓朝没後
十月 五代目三遊亭圓楽に入門
五十五(一九八〇)年 十月 六代目三遊亭圓橘襲名
六十一(一九八六)年 三月 深川江戸資料館にて「圓橘の会」旗揚げ

演目紹介

見て楽しむ噺

一、茶の湯

根岸の里に住む隠居。退屈のあまり小僧相手にお茶を始めたが・・・・。
茶の湯ごっこに振り回される人々の慌てぶりと困惑を描いた滑稽噺の名品。落ちの穿(うがち)が見事。

鉄炮に因んだ噺

一、鰍沢

過去にある男と女が隠れ住む山奥の荒家にある日、吹雪の為道に迷った旅人が一夜の宿を乞う。 旅人は女の前身を識っていた。 
落語中興の祖三遊亭圓朝の創作による三題噺の白眉。

ギャラリートーク

下記の日程で、14時から企画展示室で約1時間の解説を行います。
(鉄炮伝来展の観覧料が必要となります)

「歴史のなかの鉄炮伝来」ギャラリートーク開催日

10月 7日(土)、8日(日)、9日(月)、14日(土)、15日(日)、22日(日)、28日(土)、29日(日)
11月 3日(金)、4日(土)、5日(日)、11日(土)、12日(日)、18日(土)、19日(日)、23日(木)、25日(土)、26日(日)
(※日程が変更する場合があります。ご了承ください。)

図録のご案内

「歴史のなかの鉄炮伝来」 ※完売しました

その他の催し物(2006年10・11月)

重要文化財 洛中洛外図屏風甲本公開

京都の名所や四季の風物を描いた「洛中洛外図屏風」は、歴史資料としても価値が高く、多くの研究が生み出されています。 中でも当館の所蔵する「歴博甲本」(旧「三条家本」「町田家本」)は現存する最も古い作品で、16世紀前半の京都の様子がくわしく描かれていることで有名です。

会期 10月31日(火)~11月12日(日)
会場 第2展示室
料金 一般 420(350)円/高校・大学生 250(200)円/小・中学生 110(90)円
(企画展示のチケットでもご覧いただけます)
*( )内は20名以上の団体料金
左隻 右隻
左隻 右隻

歴博フォーラム

第56回「新しい歴史学と生業-なぜ生業概念が必要か-」井原今朝男 ほか

日時 2006年11月18日(土) 13時~16時30分
会場 歴博講堂にて開催
料金 入場無料、事前申込制(先着順)
定員 260名
備考 申込:9月18日から

日本の植物文化を語る

第10回 山田昌久「栗の文化・漆の文化-アジアの中の縄文文化-」

日時 2006年10月28日(土) 13時30分~15時30分
会場 歴博講堂にて開催
料金 入場無料
定員 260名
備考 当日先着順に受付

くらしの植物苑観察会

第94回 斎木健一「針葉樹のはなし」

日時 2006年11月25日(土) 13時30分~15時30分
会場 くらしの植物苑にて開催
料金 要入苑料

広報用素材の提供について

ご希望の写真(データ)を送付いたしますので、各プレスリリースの写真番号をご連絡ください。e-mailでも結構です。問い合わせ先は下記の「このリリースに関するお問い合わせ」をご覧ください。

ご注意

  • 本図版の使用は「企画展示 歴史のなかの鉄炮伝来」広報に関するものに限ります。
  • 掲載に際しては、最小限でも「催事名」「会場」「会期」「掲載図版のキャプション」を明記していただくようお願いします。「本館蔵」は「国立歴史民俗博物館蔵」となります。
    なお、銃砲の大きさについて、全長は単位をひと桁まで、口径は小数点第1位まで表記しています。
  • 情報確認のため、校正紙(ウェブ上の場合は掲載URL)をお送り下さい。ウェブ上での掲載の場合は、画像サイズを400ピクセル以下・72dpi以下のサイズにしてください。
  • ご掲載いただいた場合は、お手数ですが掲載物をご送付ください。

以上の点に留意いただけない場合に発生したトラブルについて、本展主催者として一切の責任を負いかねますのでご注意ください。

1) 様々な玉目の鉄炮

日本では、発射する弾の大きさを、洋式銃のように口径ではなく「玉目」すなわち重さであらわした。

1-1) 六匁玉筒(ろくもんめたまづつ)

江戸時代 本館蔵 
(全長148cm、口径1.6cm)
雨覆の下方に「大師堂(たいしどう)」の銘あり。

1-2) 十匁玉筒

江戸時代 本館蔵
(全長102cm、口径2.0cm)
「火焔 二重巻張(にじゅうまきばり) 於近江国野崎篠原国友甚五郎勝重 以唐鉄作之(おうみのくに のざきしのはらにおいて くにともじんごろうかつしげ からかねをもってこれをつくる)」銘

1-3) 三十匁玉筒

江戸時代 本館蔵
(全長88cm、口径2.7cm)
「江州(ごうしゅう)国友藤兵衛充(とうべえみつ)□」剣酢漿草(けんかたばみ)紋

2) カラクリの構造

火縄式の鉄炮は引金を引くと火縄鋏が落下して、火皿の口薬(導火薬)に火縄の火が着火し、銃腔内に装填された玉薬(発射用の黒色火薬)に引火して玉が発射される。火縄鋏を起動させる機関部の装置を「カラクリ」といい、板バネを使ったもの、内部にゼンマイを仕掛けたものなど流派ごとにさまざまな工夫を凝らしていた。

2-1) 平カラクリ

本館蔵  復元 
側板の外側に弾金(板バネ)があり、ロックは「蟹ノ目」という突起で行った。引金の軽いのが特徴で、古いタイプに多い。

2-2) ゼンマイ内カラクリ

本館蔵 復元
内部にゼンマイがあって火縄鋏の軸を回転させる方式。ロックは蟹ノ目で行う。

3)初期炮術秘伝書

初期炮術秘伝書

3)初期炮術秘伝書

16世紀末~17世紀末 本館蔵
慶長・元和(げんな)期に、秘伝書の数は急増した。体裁は折本(おりほん)、冊子本(さっしぼん)、巻物(まきもの)など流派によって様々であり、中には一流の書家や画家が腕を揮い、美術的価値の高いものも少なくない。

4) 稲富流秘伝書


4-1)

4) 稲富流秘伝書

1610年 本館蔵
稲富流の流祖・稲富伊賀守祐直(いなとみいがのかみすけなお)(一夢斎(いちむさい))は、慶長9(1604)年に、徳川家康に仕え、大坂の陣では命を受けて国友鉄炮鍛冶に大量の鉄炮を注文するなど徳川家の鉄炮製作に貢献した。徳川家康・秀忠父子をはじめ諸大名の門人が多い。これは最晩年の慶長15(1610)年10月に幕臣大久保藤三郎(とうさぶろう)に授けたもの。射手を裸体で描いているのは手足の位置をきちんと理解させるためである。


4-2)

4-3)

4-4)

5)五十目玉火矢筒(ごじゅうめだまひやづつ)と棒火矢(ぼうびや)

5)五十目玉火矢筒(ごじゅうめだまひやづつ)と棒火矢(ぼうびや)

江戸時代 本館蔵
青銅製 ((火矢筒) 全長65cm、口4.2cm)  
棒火矢専用の筒を火矢筒という。

6)関流の大鉄炮(おおでっぽう)(大筒(おおづつ)

6)関流の大鉄炮(おおでっぽう)(大筒(おおづつ)

17世紀 本館蔵
(全長140cm、銃身長92cm、口径8.5cm)
銘「国友丹波大掾(くにともたんばだいじょう)」。銃身上角に金象嵌で使用者「関軍兵衛昌信(せきぐんべえまさのぶ)」の名が入っている。玉の重さは一貫目で、江戸初期に上総の久留里(くるり)で実射した記録が残っている。

7)異風流(いふうりゅう)炮術絵馬

7)異風流(いふうりゅう)炮術絵馬

1791年 原品・京都 八坂神社 複製・本館蔵 
寛政3年2月16日、松前志摩守(まつまえしまのかみ)源道広(みなもとのみちひろ)の家臣木村百左衛門直秀(ひゃくざえもんなおひで)の門人竹田小三郎忠明(こさぶろうただあき)が京都の八坂神社に奉納した絵馬。「異風流壱貫目大筒放之(いふうりゅういっかんめおおづつこれをはなつ)、惣鉄砲重廿壱貫三百目(そうてっぽうおもさにじゅういっかんさんびゃくめ)」とあり、流派は異なるが上記の関流大筒と同じ大きさである。

8)国友藤兵衛作の気炮

8)国友藤兵衛作の気炮

1819年 本館蔵
(全長139cm。口径1.3cm)
銘「国友藤兵衛能当造之(くにともとうべえよしとうこれをつくる)」。国友藤兵衛一貫斎(いっかんさい)は、オランダが将軍に献上してきた空気銃の修理を依頼された。それは一発しか撃てない玩具(おもちゃ)であったが、これを参考に文政2(1819)年3月、威力のある軍用の空気銃、「気炮(きほう)」を発明した。

9)中嶋流炮術管闚録(かんきろく)

天保14(1843)年 本館蔵
周防徳山藩(すおうとくやまはん)中川篤(なかがわとく)の門人棟居長孝(むねいながたか)が、西洋流炮術の流行に対抗して、伝統的炮術中嶋流を集大成するために、天保14(1843)年に著述したもの。全21冊。

9-1)鉄炮の射撃手順を示した図 9-2)「中嶋流炮術管闚録」の中の「手前筒製作之事並図」にある鉄炮製作工程 9-3)「中嶋流炮術管闚録」の中の「手前筒製作之事並図」にある鉄炮製作工程
9-4)「中嶋流炮術管闚録」の中の「手前筒製作之事並図」にある鉄炮製作工程

10)銃調練(ちょうれん)之図(錦絵)歌川芳員(よしかず)画

慶応2(1866)年 本館蔵 (縦73cm、横97.5cm)
幕府・諸藩は西洋の三兵戦術(歩兵、騎兵、砲兵)によって調練を実施したが、集団による銃隊訓練をした経験のない日本人は非常に苦労した。こうした世相を反映し、調練を題材にした刷物や錦絵が数多く出版された。ただし、射撃姿勢や銃自体の描写には不自然な表現が少なくない。

10-1)

10-2)

11)短銃

銅管の裏に塗布し、それをハンマーで叩くことによって簡単に発火する「雷汞(らいこう)」の発明によって、さまざまな形式の短銃(ピストル)が欧米で作られ、幕末にはそのままわが国に輸入されたり、それをまねて国内で生産されたりした。

11-1)レミントン二連デリンジャー

明治初期、大久保利通関係資料 本館蔵
(全長8cm、口径1.0cm)
明治政府の要人・大久保利通所用。明治初期、護身用小形拳銃として日本に輸入されたもの。アメリカ製。後装(こうそう)縁打式、腔綫(こうせん)5条、2連発。銃把(じゅうは)はアコヤ貝製。

11-2)スミス&ウェッソンNo.2

明治初期、坂本龍馬所有と同型 本館蔵
(全長28cm、口径0.8cm)
アメリカで最初のリム・ファイヤー・カートリッジを使用した銃の一つである。銃身を上方に折り曲げ、シリンダーを取り外してカートリッジを装填する。土佐の坂本龍馬が所用した銃と同型で、当時の日本では最新式のピストルであった。アメリカ製。後装縁打式。腔綫7条、6連発。

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