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侯爵家のアルバム -孝允から幸一にいたる木戸家写真資料-

開催要項

侯爵家のアルバム

明治初年の木戸孝允 (当館蔵)

開催期間 2011年3月1日(火)~2011年5月5日(木・祝)
会場 国立歴史民俗博物館 企画展示室A
料金 一般:830(560)円
高校生・大学生:450(250)円
小・中学生:無料
()内は20名以上の団体 
※総合展示もあわせてご覧になれます。 
※毎週土曜日は高校生は入館無料です。
開館時間 9時30分~17時00分 (入館は16時30分まで)
休館日 3月7・14・22・28日、4月4・11・18・25日
主催 国立歴史民俗博物館

謹啓 時下益々ご清祥のことと、お慶び申し上げます。平素より、当館の運営等につきましては、格別のご配慮を賜り、厚くお礼申し上げます。

当館では3月1日より、平成22年度企画展示「侯爵家のアルバム ― 孝允から幸一にいたる木戸家写真資料 ―」を開催します。当館が所蔵する「旧侯爵木戸家資料」はきわめて膨大です。寄贈されて以来長らく未整理だった資料の整理作業が完了し、国立歴史民俗博物館資料目録10 『旧侯爵木戸家資料目録』としてその目録を刊行することになりました。そこで今回の企画展示では、その中から写真資料だけを取り上げます。幕末から戦後まもない時期までの写真は、木戸家4代にわたる一家族の足跡であると同時に、同家が占めた立場を反映し、日本の近現代の歩みそのものとしての一側面を有しています。とりわけ写真という視覚に訴える資料からは、各時代の生々しい息吹が感じられることでしょう。当館の研究成果についてご理解いただき、当館へのより一層のご支援をいただけたらと存じます。

つきましては、この展示開催を貴媒体にてぜひ多くの方々にご紹介くださいますようお願い申し上げます。

敬具

趣旨

当館所蔵の旧侯爵木戸家資料(孝允(たかよし)-正二郎(しょうじろう)-孝正(たかまさ)-幸一(こういち)4代にわたる資料群)は、1984年から1998年にかけて寄贈を受けたものですが、簡単な仮目録があるだけで、長らく本格的な整理がされないままになっていました。平成13年度から客員教授や資料調査プロジェクトのメンバーによって整理・目録作業を進め、今回ようやくそれが終了し目録「旧侯爵木戸家資料目録」刊行の見通しがつきました。そこで、目録による資料の全面公開に合わせ展示を行います。今回は、1万5千件に上る厖大な資料の中から最も視覚に訴える資料として、写真資料に絞って紹介します。幕末・明治初年から昭和戦後期まで長期にわたり撮影されたもので、主として木戸家の人々が被写体となったものです。総数は5,241件に達しますが、その中から特色ある写真をピックアップします。

柱となるのは、ガラス板写真や欧米で写された岩倉使節団関係のアルバムなど、木戸孝允に関わる幕末・明治初年の写真。海外留学の後、夭逝した木戸正二郎の写真。明治・大正期の華族の暮らしぶりを伝える孝正夫妻や少年時代の幸一らの家族写真。昭和戦前期は天皇の重臣として、また戦後は東京裁判の被告としての木戸幸一が写された写真などです。木戸家という、日本の近現代史の中で大きな位置を占めた一家族の公私にわたる足跡を画像でたどることで、歴史資料としての写真の有効性を提示できると考えています。

展示構成

孝允と彼をめぐる人々 -幕末~明治初期-

第1コーナー 木戸孝允と明治維新
維新の元勲となった木戸孝允の写真は、没後はスターのブロマイドのように市販され、世間に流布しましたが、元は本人が写真師に撮影させたものです。当館所蔵の木戸家資料の中には、維新前の孝允の写真はないようですが、明治初年の丁髷・帯刀姿は何種類かあります。散髪・洋服姿の多くは岩倉使節団で欧米に赴いた際に写したものです。

【主な展示資料】
明治初年の木戸孝允、明治3年の木戸松子、明治4年5月の木戸孝允、木戸松子と高杉晋作の遺児東一、サンフランシスコでの木戸孝允、京都の木戸孝允旧宅 など

第2コーナー 長州閥の人々 
木戸孝允が属した長州藩は明治維新の原動力となり、同藩出身者は明治政府の中で大きな勢力を占め、薩摩藩出身者とともに藩閥を形成しました。木戸家に残された写真には、孝允の主君である毛利家の人々、同志や後輩、部下、さらには親戚となった長州藩関係者の写真が少なくありません。

【主な展示資料】
伊藤博文、毛利(もうり)敬親(たかちか)・元徳(もとのり)父子、広沢真臣(さねおみ)、山尾庸三、桂太郎、井上省三、山県伊三郎、明治10年ベルリンでの桂太郎、ロンドンでの伊藤博文、青木周蔵 など

第3コーナー 明治の群像
維新後、木戸孝允は出身藩を離れ中央を活躍の場としました。孝允没後の木戸家も東京の人となり、中央を活動の場としました。そのため、木戸家資料の中の人物写真には、長州藩以外の人々の写真も数多く残ります。残された資料は関係を有した著名人たちが網羅されているわけではありませんが、アラカルト風に紹介してみます。

【主な展示資料】
三条実美、岩倉具視、大山巌、成島柳北、明治天皇、嘉仁親王(大正天皇)、有栖川宮熾仁親王 など

第4コーナー 岩倉使節団の面々
明治4年(1871)から6年(1873)にかけ派遣された岩倉使節団は、条約改正の準備交渉と欧米先進国の視察を目的としたものです。特命全権副使の任にあった木戸孝允は、訪問先の国々で自身の写真を撮り、日本の家族へ送りました。ポートレートは随員の間で交換されたほか、会見した外国人、現地で出会った留学生たちからも多数贈られました。

【主な展示資料】
大久保利通、伊藤博文、山田顕義、田中光顕、福地桜痴、新島襄、田辺太一、田中不二麿、由利公正、牧野伸顕、北白川宮能久親王、島地黙雷、大山巌、西洋各国君主の肖像アルバム など

正二郎から孝正へ -明治初期~大正中期-

第5コーナー 木戸彦太郎・正二郎兄弟の海外留学
木戸孝允の甥で、その養嗣子となった正二郎は、明治4年(1871)から8年(1875)までイギリスに留学しました。再留学したドイツからの帰途、17年(1884)船中で病死しました。一方、正二郎の兄、彦太郎は4年から7年(1874)までアメリカに留学、弟の死後、木戸家を継ぎ孝正と名乗ります。2人は留学時代に多くの写真を残しました。

【主な展示資料】
明治6年アメリカの木戸彦太郎、明治5年ロンドンでの木戸孝允・正二郎、明治5年ワシントンでの木戸孝允・来原彦太郎、明治17年ドイツ留学中の木戸正二郎 など

第6コーナー 木戸孝正とその時代
明治17年(1884)、弟の跡を受け木戸侯爵家を継いだ孝正は、農商務省を経て宮内省に入り、東宮侍従長兼式部官や皇孫養育掛といった要職をつとめました。妻寿栄子(すえこ)は同じ長州藩出身の子爵山尾庸三の娘でした。孝正は大正6年(1917)60歳で亡くなりますが、ここでは夫妻の写真を通して、明治・大正期における華族の生活の一端を示します。

【主な展示資料】
明治21年木戸孝正・寿栄子夫妻の結婚記念、明治25年1月宮内省式部職の人々、明治30年ビクトリア女王即位60周年記念祝典に参列した有栖川宮威仁親王・伊藤博文・木戸孝正ら、明治4年の木戸孝允と来原彦太郎、宮内省官吏らとの集合写真など

第7コーナー 木戸家とその親類
木戸孝允には男の実子がなく、妻松子の縁者である忠太郎が養子となって別家を立てた以外、分家が多く繁栄するといったことはありませんでした。しかし、孝正夫人の実家山尾庸三家、その親類広沢真臣家、幸一夫人の実家児玉源太郎家など、姻戚関係は広く華麗でした。それは長州(山口県)を同郷とする強固な閨閥(けいばつ)の形成を意味しています。

【主な展示資料】
鹿鳴館風の寿栄子、山尾庸三一家、明治36年鎌倉別荘での山尾庸三一家と木戸幸一ら、児玉源太郎と少女時代の鶴子(幸一夫人)、達磨コレクションを背にした木戸忠太郎と幸一 など

幸一のあしあと -明治中期~昭和-

第8コーナー 学習院と華族の仲間たち
華族となった木戸家では、孝正の子、幸一・小六(ころく)兄弟とその姉妹たちの代には宮内省直轄の官立学校である学習院・女子学習院で初等・中等教育を受けさせました。皇族、旧大名や公家の子弟、維新の功臣の子孫たちが集まった学習院での学校生活は、幸一たちのその後の人生に大きな影響を与えた人脈を育みました。

【主な展示資料】
初等科制服姿の幸一・小六兄弟、明治36年新年御裳捧持者(おんもほうじしゃ)をつとめた少年たち、明治37年学習院の陸上運動会、昭和10年秩父宮・高松宮と十一会の人々 など

第9コーナー 木戸幸一と昭和の激動
木戸幸一は大正4年(1915)農商務省に就職、昭和5年(1930)内大臣秘書官長に就任してからは政治の世界に足を踏み入れ、以後、文部大臣・厚生大臣・内務大臣を歴任しました。15年(1940)には内大臣に就任、昭和天皇の側近として戦時下の権力中枢で大きな役割を果たしました。敗戦後は東京裁判の被告とされ、有罪判決を受けました。

【主な展示資料】
川奈ゴルフ場にて、近衛文麿首相と閣僚たち、傷兵保護院関係者と厚生大臣木戸幸一、平沼騏一郎内閣の閣僚たち、昭和18年6月戦艦武蔵艦上の昭和天皇・木戸幸一ら、巣鴨プリズン内の木戸幸一、昭和27年巣鴨出所 など

第10コーナー 著名な写真師たちの作品
日本における写真師の嚆矢といえば、西の上野彦馬、東の下岡蓮杖(れんじょう)ですが、木戸家資料の中には長崎の上野彦馬写真館で撮影されたものがあります。上野の写真とともに古い時期のものが、横浜や東京で開業した内田九一が写したもので、孝允の日記にはしばしば内田の店で写真を撮ったことが記されています。

【主な展示資料】
上野彦馬の作品、内田九一の作品、清水東谷(とうこく)の作品、小川一真の作品、丸木利陽(りよう)の作品、木戸孝正の作品 など

展示についてのお問い合わせ電話番号

ハローダイヤル:03-5777-8600 (8時00分から22時00分まで)

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関連イベント

歴博講演会

歴博講堂にて開催、14時00分~16時00分、入場無料、当日先着順に受付、定員260名

第328回 「木戸侯爵家の成立と木戸家資料」
日時 4月9日(土)
講師 田中 正弘 (國學院大學栃木短期大学)

ギャラリートーク

会期中土曜日を中心に数回実施予定です。実施の際は、詳細が決まり次第当館HP上にてお知らせいたします。

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その他の催事ご案内

歴博講演会

歴博講堂にて開催、14時00分~16時00分、入場無料、当日先着順に受付、定員260名

第327回 「爆発した前方後円墳信仰」
日時 3月12日(土)
講師 杉山 晋作 (当館考古研究系)
第329回 「日本刀の素材と刀匠の技術」
日時 5月14日(土)
講師 齋藤 努 (当館情報資料研究系)

歴博映画の会

歴博講堂にて開催、13時30分~15時30分、入場無料、当日先着順に受付、定員260名

第12回 「船をめぐる信仰と習俗」

日程 5月7日(土)
講師 内田 順子 (当館民俗研究系)

くらしの植物苑観察会

くらしの植物苑にて開催、13時30分~15時30分、事前申込不要、要入苑料

第144回観察会「春を告げる華花」

講師 辻 誠一郎 (東京大学大学院)
日時 3月26日(土)

第145回観察会「桜草を育てよう」

講師 山村 聡 (当館職員)
日時 4月23日(土)

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その他の特集展示・くらしの植物苑特別企画

特集展示

アメリカに渡った日本人と戦争の時代

2010年3月16日(火)~2011年4月3日(日)

第3展示室特集展示 「もの」からみる近世

和宮ゆかりの雛かざり

2月8日(火)~4月3日(日)

くらしの植物苑特別企画

伝統の桜草

4月19日(火)~5月8日(日)

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広報用写真一覧

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侯爵家のアルバム -孝允から幸一にいたる木戸家写真資料 -

明治初年の木戸孝允   木戸孝允のアルバム

1) 明治初年の木戸孝允

(当館蔵)
帯刀の木戸孝允。「西京」で写したと裏面に墨書あり。別の同じ写真の裏面には、明治2年(1869)4月撮影との記載がある。孝允日記の4月22日条に「晴十一字木梨瀧二氏と寺町写真に至る」と記されたのが、この写真か。

 

2)-1 木戸孝允のアルバム

(当館蔵)
名刺判写真用の差し込み式アルバム。名刺判写真が多数差し込まれている、外国の君主たちの写真を収めたアルバム。岩倉使節団で渡欧した際に木戸孝允が入手したもの。セットで販売されていた既製品であろう。開いた箇所にはビスマルクの写真などがある。

木戸孝允のアルバム   木戸孝允のアルバム

2)-2 木戸孝允のアルバム

 

2)-3 木戸孝允のアルバム

和服帯刀男児と太刀を持ちしゃがむ青年武士   子供を含む帯刀武士4名・和服女性3名

3) 和服帯刀男児と太刀を持ちしゃがむ青年武士

(当館蔵)
男児は木戸正二郎。京都含春舎撮影のガラス板写真。

 

4) 子供を含む帯刀武士4名・和服女性3名

(当館蔵)
撮影者不明、ガラス板写真。中央の女性は木戸まつ、椅子の上の子どもは正二郎か。

斜め横を見る洋服姿木戸孝允半身像   木戸松子と高杉晋作の遺児東一

5) 斜め横を見る洋服姿木戸孝允半身像

(当館蔵)
アルバム面に「松菊公」と鉛筆書き。

 

6) 木戸松子と高杉晋作の遺児東一

(当館蔵)
明治4年(1871)9月29日、内田九一撮影。高杉晋作の遺児東一(梅之進・梅太郎、最初谷姓、1864~1913)は、明治4年5月4日、祖父高杉小忠太から東京へ連れて行くことを承諾され、木戸孝允が同行し山口から上京した。

鹿鳴館風の寿栄子   相州由比ヶ浜山尾家別荘ニ於テ之ヲ写ス

7) 鹿鳴館風の寿栄子

(当館蔵)
鹿鳴館風の衣裳を着た結婚前の寿栄子。明治20年(1887)撮影。寿栄子はその美貌から「鹿鳴館のクイーン」ともてはやされたという(『最後の内大臣木戸幸一』)。鹿鳴館での女性の洋装は、後にふくらみを付け腰部を強調するバッスル・スタイルだった。

 

8) 相州由比ヶ浜山尾家別荘ニ於テ之ヲ写ス

(当館蔵)
鎌倉由比ヶ浜の山尾庸三別荘に集まった人々 明治36年(1903)8月撮影。前列右から5人目山尾庸三、その右後木戸幸一。

木戸孝正・同寿栄子
  初等科制服姿の幸一・小六兄弟

9) 木戸孝正・同寿栄子

(当館蔵)
木戸孝正・寿栄子夫妻の結婚記念写真。明治21年(1888)5月18日撮影。寿栄子は山尾庸三の長女である。

 

10) 初等科制服姿の幸一・小六兄弟

(当館蔵)
小学生時代の木戸幸一・小六兄弟。明治32年(1899)11月5日撮影

新年御式の御裳捧持者たち
 

爵服を着た木戸孝正

11) 新年御式の御裳捧持者たち

(当館蔵)
明治36年(1903)1月2日撮影。御裳捧持者(おんもほうじしゃ)とは、新年の宮中儀式で皇后・皇族各宮妃の洋装大礼服の裾を持つ役目をした少年たちのこと。

 

12) 爵服を着た木戸孝正

(当館蔵)
明治39年(1906)6月13日撮影。撮影者K.Ogawa。

木戸幸一半身像   プロペラ機を背に2列に並んだ木戸幸一他陸海軍軍人たち

13) 木戸幸一半身像

(当館蔵)
開閉式台紙付。新宮館(東京・麻布・六本木)撮影。

 

14) プロペラ機を背に2列に並んだ木戸幸一他陸海軍軍人たち

(当館蔵)
昭和13年(1938)9月19日から翌日にかけて海軍大臣の招待で演習を視察した際か。前列左から4人目木戸。その右米内光政、木戸の左側2人目東條英機陸軍次官。

砲塔を背に甲板に並んだ木戸幸一他海軍軍人たち    

15) 砲塔を背に甲板に並んだ木戸幸一他海軍軍人たち

(当館蔵)
木戸幸一ら。昭和13年(1938)9月19日から翌日にかけ海軍大臣の招待で演習を視察した際か。

   

※内容は変更する場合があります。ご了承ください。

このリリースに関するお問い合せ
人間文化研究機構 国立歴史民俗博物館 博物館事業課
広報サービス室広報係 横尾・島田・三谷

〒285-8502千葉県佐倉市城内町117番地
TEL 043-486-0123(代)  FAX 043-486-4482
E-mail:koho@ml.rekihaku.ac.jp