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中世の古文書(こもんじょ)-機能(きのう)と形-

2013年10月8日[火]~12月1日[日]

中世の古文書

(織田信長朱印状 1581年、国立歴史民俗博物館)

これは、織田信長が出した手紙です。日付の下に朱色(しゅいろ)の印(はんこ)を押(お)してあるので、朱印状(しゅいんじょう)といいます。
なぜ、自分の名前の代わりに、印を押したのでしょうか?また、1枚の紙の上半分にしか字が書いてありません。なぜ、こういう紙の使い方をするのでしょうか?
この企画展では、中世(鎌倉時代~戦国時代)の人たちが書いた手紙や書類などの文書(もんじょ)を展示し、文書の形、大きさ、書き方の決まり、使いみちなどを、さぐっていきます。なぜ今に伝わっているのかについても考えます。

読めなくてもだいじょうぶ

中世(鎌倉時代~戦国時代)の文書(もんじょ)の字は、今の本のように印刷した文字ではなく、勉強しないとすぐには読めません。
でもだいじょうぶ。文書は書き方にきまりがあります。日付け、自分の署名、相手の名前などの書き方を見ると、いろいろな意味がわかってきます。
入り口には、文書を書いた紙の折りたたみ方や花押(かおう:自分の署名をデザインしたマーク)を書く体験コーナーもあります。

源義経(みなもとのよしつね)が書いた手紙

源義経自筆書状

(源義経自筆書状 1185年、国立歴史民俗博物館)

源義経が全部自分で書いた手紙は、今では2通しか残っていません。そのうちの1通がこれです。
この手紙は、うすい字でたくさん文が書いてあります。なぜだと思いますか。
みなさんなら、読み終わった手紙は大切にとっておくか、ごみばこにすてるでしょう。でも、このころ、紙はきちょうなものだったので、すてずに字を書いていない裏側をまた使いました。義経のこの手紙は、いらなくなった後、寺にもちこまれて本をうつす紙として使われました。その寺では、経を写した後、ずっととっておきました。こうやって、義経の書いた手紙が残り、現代の私たちが見られることになったのです。

足利尊氏(あしかがたかうじ)が送った手紙

足利尊氏軍勢催促状

(足利尊氏軍勢催促状 1351年、越前島津家文書)

足利尊氏が、今の兵庫県の武士に戦争のために京都に来るように命じたものです。小さな紙に細かい字で書かれているので密書(みっしょ)だと考えられます。

村人たちが書いた手紙

近江南郡村々住民等起請文

(近江南郡村々住民等起請文 1572年、国立歴史民俗博物館)

滋賀(しが)県の村人たちに、織田信長が、信長の敵には協力しないと、ちかわせた手紙です。


名 称
「中世の古文書(こもんじょ)-機能(きのう)と形-」
会 期
2013年10月8日[火]~12月1日[日]
開館時間
9時30分~16時30分 (入館は16時00分まで)
休館日
10月15日[火]、21日[月]、28日[月]、11月5日[火]、11日[月]、18日[月]、25日[月]
主 催
国立歴史民俗博物館
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