

日本列島に人類があらわれた3万7千年前の旧石器時代から、日本という国ができ、奈良に都がつくられた時代までを、5つのテーマでしょうかいします。
縄文(じょうもん)土器、銅鐸(どうたく)、古墳(こふん)の模型や、埴輪(はにわ)、平城京(へいじょうきょう)などの展示をしています。

日本列島に人が住みはじめてから、土器を作り、かりや木の実取りをしながら生活していたころまでのくらしのうつりかわりをみてください。

およそ3500年から4500年前の日本列島に住んでいた人たちが作った土器です。なわでもようをつけたので、「縄文土器」といいます。

青森県でみつかった縄文(じょうもん)時代に約1500年間続いた大きな村の生活を再現しました。

土偶はほとんど女性の形です。母親が赤ちゃんを生むことから、さまざまなモノを生み出すことへのいのりがこめられていると思われます。

米作りは、朝鮮(ちょうせん)半島から伝わってきたものです。このころ日本列島に住んでいた人たちは中国の人たちから倭人(わじん)とよばれていました。

稲の穂(ほ)を保存しておく倉庫です。しめらないように、倉庫のゆかが地面からはなれた高いところにあります。

木製で漆(うるし)塗りのよろいを着て、石で作った武器を持っています。村のまわりがほりとさくでかこまれているので、戦いがあったことがわかります。

銅鐸は、弥生(やよい)時代の祭で使われていたと考えられているかねです。鳴らすことのできる銅鐸もあります。どんな音がするかな?

古墳(こふん)とよばれる小山のように大きな墓がたくさん残っています。そのころの力をもっていた人たちのお墓です。なぜ、古墳がこんな形をしているのか、どうしてこんなにたくさんの古墳をつくり続けたのか、展示から考えてみてください。

「前方(ぜんぽう)後円墳(こうえんふん)」という形の古墳のなかで、いちばん古いものです。卑弥呼(ひみこ)の墓という説があります。

埴輪は古墳に並べられました。人物・動物・家などの形をしたものもあります。

死んだ人を入れるためのお棺(かん)で、大きな石の板で作られています。古墳の中に入れられました。

沖ノ島(おきのしま)は、福岡県の沖(おき)にうかぶ小さな島です。このあたりは日本列島から中国や朝鮮(ちょうせん)半島へ船で行くときのルートになっていました。この島は、古代から「神の島」として人びとの信仰(しんこう)を集め、600年の間、神をまつる儀式(ぎしき)がおこなわれていました。

大きな岩の間にいわくらという神をまつる場所がありました。約20か所見つかっています。

たくさんの鏡や鉄の剣(けん)などの宝物がおかれていました。

神にささげたミニチュアの道具や、土器、金属製品などがたくさん発見されました。

7世紀に、中国を手本にした国の制度がつくられ、今の奈良県に都がつくられました。ここでは、8世紀のはじめにつくられた都の平城京(へいじょうきょう)に住んでいた人びとのくらしや村のくらしなどを展示しています。

平城京(へいじょうきょう)の入口の正門で、高さが24メートルほどありました。

病気になると、その原因やなおし方がわからないので、おまじないにたよりました。

これは東大寺で、経を書き写す仕事をしていた人たちの服装です。天皇や貴族(きぞく)も経を書き写して寺におさめました。
