Akira TSUNEKI
Institute of History and Anthropology, Univ. of Tsukuba, JAPAN
1 はじめに
西アジアは、農耕起源地の一つとして、狩猟採集社会から農耕牧畜社会への移行を研究する重要なフィールドである。第二次世界大戦直後から欧米諸国を中心に多数の調査隊が送り込まれ、農耕化のプロセスと原因解明のための考古学的・古動植物学的データや古環境復元に関わるデータなどが蓄積されてきた。また、農耕の始まりを説明するために、オアシス仮説や核地帯仮説といった近接モデル、人口圧仮説を代表とするストレスモデル、ネオダーヴィニズムに基づく進化論モデル、祝宴競争仮説に代表される社会要因モデルなど、様々な理論的モデルが提案されてきたが、その多くが西アジアを舞台に構築されたのである。ここでは、東アジアでの農耕出現とその展開を考察するための比較研究のために、現在考えられている西アジアでの農耕開始プロセスを検討し、農耕開始の要件をまとめるとともに、農耕社会成立の意味についても触れたい。
2 西アジアにおける農耕開始のプロセス
西アジアでの農耕の始まりを考えるとき、現在焦点となっている地域は、ヨルダン川渓谷からユーフラテス河中流域のレヴァント回廊と呼ばれている地域である(Fig.1)。それは、この地域で調査された遺跡から穀物利用に関する長い歴史と最も古い栽培植物の証拠が得られていること、及び農耕の開始に密接に関係する後氷期の自然環境変化の証拠がレヴァント回廊を含む東地中海沿岸部レヴァント地域で最も早く現れていることなどによる。
このレヴァント回廊でおこった農耕化について、現在西アジアの先史考古学者の間でほぼ合意されているプロセスは、以下のようなものである。
更新世末期の温暖湿潤化に伴って、まずレヴァント南部地中海沿岸地域を中心として常緑広葉樹を主体とする森林(地中海性植生)がステップの中に拡大する(Fig.2,3)。この森林ステップというバイオマスの高い自然環境の中で、紀元前11000年前後からナトゥーフ文化と呼ばれる広範囲生業に基づく定住的な社会が出現する(Fig.4)。
このナトゥーフ文化は、定住を背景に様々な技術的発展を遂げて、人口を集積、集落規模を拡大させ、社会の複合性を高める。そしてナトゥーフ後期には故地であるレヴァント南部沿岸地域を越えて、ネゲヴ砂漠やヨルダン川渓谷内、レヴァント中北部の内陸部にもナトゥーフ的集落が拡散する(Fig.4)。ところがこれらの地域はバイオマスの低いステップ主体の自然環境であったため、そこでの生業戦略は、伝統的なガゼル猟などを主体とした遊動的小集団を形成するか、ステップ環境の中で獲得できる草本性の植物資源に強く依存して定住集落を維持するかに分岐した。農耕の開始に深く関わるのは後者である。
農耕開始の直接の契機となったのは、紀元前9000年前後から数百年間継続したと思われるヤンガー・ドリアス期の気候悪化であると考えられる。考古学の時代区分ではこの時期はちょうどナトゥーフ文化の終末と重なる。環境資源の減少に直面して、もともと草本性の植物資源へ強く依存して定住集落を維持していたヨルダン川渓谷からユーフラテス河中流域のレヴァント回廊内では、収穫逓減を越えてしまうような資源ストレスが生じ、それに対処するためにコムギ・オオムギとマメ類の栽培が開始された。
確実な栽培植物の証拠はナトゥーフ後期に後続するPPNA期(紀元前8300〜7600/7300年)のレヴァント回廊内の遺跡から得られており、そこでは耕起具や収穫具といった農耕具やムギの粉化具などが既に重要な道具類となっている。また、集落規模や住居形式などにも大きな変化が生じており(Fig.5)、栽培植物とともに様々な新しい社会的要素が次のPPNB期(紀元前7600/7300〜6000年)に西アジア全域に広がっていく。ヤギ・ヒツジ、ウシ、ブタといった動物もPPNB後期までには確実に家畜化されており、現在の西アジアで見られる農耕社会の原型が形作られていった。
3 農耕開始の要件
西アジアでの農耕開始プロセスについては、多数の研究者が様々に論じており、もちろんここで紹介したシナリオが全てではない。しかしながら、現在の考古学的・環境科学的証拠を参照する限りにおいて、農耕の始まりの要件に関して、西アジアの事例では以下のことが確実に言えると思われる。
1) バイオマスの高い地中海性植生という生態環境の中で、広範囲生業に基づく定住的で複合的な狩猟採集民社会が、農耕の始まりに先立って存在していた。
2) 地中海性植生帯の周縁に、ステップ植生というバイオマスが相対的に低い均一な生態環境が広範囲に広がっていた。
3) 地中海性植生の隣縁とステップ植生に、コムギ・オオムギ、各種のマメ類という、貯蔵性に優れた一年生草本が存在しており、これらの野生種の利用が長期にわたり行なわれていて、収穫や調理技術の基盤も整備されていた。
後氷期の北半球中緯度地帯には、広範囲生業が可能な定住的社会が様々な地域に成立していたが、その中でなぜ西アジアで農耕が開始されたかを考えるときに、以上のような要件を考慮してみる必要があろう。それはまた、東アジアにおける稲作農耕や雑穀農耕開始のプロセスを考える際の検討事項となるであろうし、高いバイオマスを持つ森林の中で定住的で高度に複雑化した狩猟採集民社会を発達させながら農耕社会を形成しなかった日本の縄文時代を考える際のヒントともなるだろう。
4 農耕社会の成立
農耕の始まりは、単に食糧確保の方法が変化しただけではなく、人間社会に本質的で深刻な変化をもたらした。急激な人口増加や、貯蔵による貧富の差の顕在化、富をめぐる争議の激化、社会階層の分化といった社会的変化が、農耕の始まりを契機とした一連の現象として顕在化してくる。こうした社会的変化は、考古学的事象としては、住居や集落形態の変化や貯蔵施設の発達、防御的集落の出現、所有権や交換システムの複雑化に関連する印章や印影などの遺物の出現、生業に直接関連しない威信材を含む様々な工芸品の発達などとして表れているわけだが、その多くは、PPNB後期(紀元前6500〜6000年)までに認められるようになる。この時期には10haを越える大型の拠点集落が各地に出現し、こうした拠点集落からそのような社会的変化を示す遺構や遺物が特に集中して出土している。従って、西アジアでの農耕社会はPPNB後期にほぼ完成したと言うことができるとともに、来るべき都市社会の基盤が形成されていったと見ることができよう。
参考文献
Bar-Yosef, O. and R.H.Meadow 1995: The origins of agriculture in the Near East. in Price T. and A. Gebauer (eds.)
Last Hunters-First Farmers, pp. 39-94, School of American Research Press.
Van Zeist, W. and S.Bottema 1991: Late Quaternary Vegetation of the Near East. Ludwig Reichert Verlag, Wiesbaden .
常木 晃 1995:「西アジア型農耕文化の誕生」(梅原猛、安田喜憲編『農耕と文明』127ー142、朝倉書店).
常木 晃 1999:「農耕誕生」(常木晃編『食糧生産社会の考古学』1-21頁、朝倉書店)。

