はじめに
文化に固有のコンテキストや、偶然性・意志決定を重視した研究が多くなってきている。ここでは、ブリテンと日本という、大きく異なった文化のシステム的な比較を通じて、自然環境などの外的要因によって規定される部分と、偶然性や意志決定の働く部分とに注意し、それぞれの文化の個性が生まれた背景を検討したい。
1 自然環境の違い
ブリテン南部やアイルランドの地形を、DEM(デジタル標高モデル)に従って画像表示すると、日本との著しい違いが浮かび上がってくる。ブリテンは河川が不明瞭であるのに対し、ヨーロッパでは河川が明瞭で、日本は起伏が著しく、河川も明瞭である。ブリテンと日本の違いは、降水量の差によるところが多いと思われる。ドーバー海峡を隔てて、地形が大きく異なっている点については、理由がはっきりしない。
その他の特徴的な違いを列挙すると、
気温: ロンドンでは、月別の平均最高気温が16.5度で、最低は3.8度。最高気温は根室、最低気温は名古屋に相当する。
年間平均降雨量: ロンドンは約600mmで、大阪や福岡の40%前後にあたる。
標高と傾斜: ブリテン南東部の低地地帯では、標高はせいぜい300m以下であり、傾斜が緩やかである。
2 生業形態
ブリテンの鉄器時代の生業は、麦などの耕作と、羊や牛の牧畜が中心である。麦作は水稲耕作と違って水平面を必要としないので、景観は曲面的となった。また、麦を集約的に栽培するよりも、牛による耕起と羊による施肥に依存した耕作地の拡大が選択され、その結果、ブリテンの森林率は、今日では10%を大きく割るものとなっている。単位面積当たりの収穫高の低さと、牛や羊を飼育するための土地が必要なことから、ひとつの経営単位(大家族程度か)あたりの耕地面積は、鉄器時代でも1平方キロ以上となり、日本の数十倍から百倍を越える面積が必要となったと推定される。
3 集落のあり方
経営単位あたりの耕地面積が広いので、集落は散在し、都市が形成されにくい。また、地形的要因と、農業による徹底した森林伐開の結果、集落間の多方面に向かう自由な交通が可能となり、ネットワークは網状を呈することになった。これは、日本の河川を介在した樹木形のネットワークとは大きく異なっていた。また、ブリテンの社会を支える基本的な単位は、集落というよりも個別の経営単位であったと思われる。
4 権力の形成
ローマの支配以前のブリテンでは、それほど広域的な権力は形成されなかった。社会の基本的単位が個別の経営単位であることと、多方向への交流のネットワークが広がっていることは、日本に比べれば、権力の形成を抑制する方向の作用が働いたものと思われる。日本では、集落が基本的な単位となっていて集落のなかに階層分化が起こりやすく、閉鎖的なネットワークとも結びついて、むしろ促成に権力が形成されたと考えられる。技術や文化を総合的にみると、ブリテンの鉄器時代は多くのファクターのなかで、権力の形成が相対的に遅れたのではないかという印象をもつ。一方、日本の場合は、独立した手工業者や商人の発達が相対的に遅れたようである。権力の形成のレベルで社会全体の発展段階を評価するのは、適切ではないかもしれない。
5 二つの鉄器文化の比較から
ブリテンの鉄器時代の文化的な個性は、多くのファクターの相互関連のなかで形成された。これは、まさに文化的コンテキストと呼ばれるものであろう。そのなかでも、自然環境が大きな役割を果たしていることは、言うまでもない。しかし、仮に何らかの事情で羊がブリテンに伝わって来なかったと仮定すると、生業の形態は大きく異なり、景観や森林率をはじめ、文化の全体像は、まったく違うものになっていたのではないかと推定される。
それぞれの文化は、歴史のさまざまな曲面で、自然的な環境に規定されつつ、独自の選択を累積させながら、自らの個性を築いてきた。比較研究は、そうした個性を浮かび上がらせるとともに、いかなる選択が行われたのかという問題を検討する手がかりを与えるものと思われる。
文献 : 新納 泉 1999 :『鉄器時代のブリテン』岡山大学文学部研究叢書17

