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よみがえる十三湊(とさみなと)遺跡

 室町時代ころに成立した『御伽草紙』と呼ばれる物語の一つに、『御曹子(おんぞうし=源義経)島渡り』という作品がある。奥州平泉で義経をかくまっている藤原秀衡が、「ここより北に千島ともえぞが島ともいう国があり、その内裏にある兵法の巻物を見ることが必要」と義経に話す。そこで義経は、「北国又は高麗」の船も出入りする「とさのみなと」から出帆、様々な遍歴の後に目的を達して、また「日本とさのみなと」へ帰ってくる、という筋書である。

 この物語は、もちろんフィクションだが、しかし当時の人々の一般的な認識を伝えていると言うことはできる。日本よりもさらに北の世界へ旅立つべき場所は十三湊だというのが当時の常識だったのであり、十三湊こそは日本の北の境界に位置する、西の博多とも並ぶ国際ターミナルだったのである。「十三(とさ)」という地名自体が、トー・サム(湖・のほとり)というアイヌ語と思われることも、北へとつながるその性格をよく示している。
 そして、十三湊と中央は、鎌倉時代から「津軽船」と呼ばれる定期便で結ばれ、また最近紹介された史料によれば、14世紀には十三湊の僧侶が山口県での写経事業に参加している。この港は、決して地の果てに孤立した存在ではなく、中世も早くからの広範な交通・流通に支えられた、その一つの拠点だったのである。
 しかし、信頼すべき同時代の史料があまりにも少なく、この地と北の世界を支配していた「蝦夷管領」安藤(安東)氏の歴史と共に、その実態は謎に包まれていた。それが、「地震と津波で壊滅」などと記す偽書の跳梁を許す結果にもなっていた。

 国立歴史民俗博物館は、機会を得て、1991年から93年にかけて富山大学考古学研究室と共にこの遺跡の総合的な学術調査を行い、遺構の良好な残存を確認し、その基本的な構造を明らかにしたが、幸いその後も、地元市浦(しうら)村と青森県によって調査が継続され、中世の十三湊の姿はかなり明瞭なものになってきている。
 これまでの調査で、遺跡の年代と変遷はほぼ明らかとなった。安藤氏と推定される館の付近では、12世紀、つまり奥州藤原氏の時代には遺構が確実に存在し、その後鎌倉時代の13世紀後半には計画的な都市建設が行われ、14世紀末には町屋などが一気に拡大、しかし15世紀中頃にはそれまでの都市計画を否定する動きが見られ、全国的に戦国時代に突入するこのころから、十三湊は急速にその繁栄を失ってしまう。安藤氏も1432年には戦争に敗れて北海道へ退去しており、こうした歴史的背景との関係が注目される。
北側上空からみた十三湊(中央右の半島状の部分)。
右は日本海、左は十三湖(じゅうさんこ)、上方は岩木山。
中世には、三角の部分から船が出入りした。 (市浦村提供)

 遺構としては、規則正しく配置された道路や溝、大型の礎石建物を持つ館と家臣・職人の屋敷などその周辺の様相、メインストリートに沿って立ち並ぶ町屋などが発掘で明らかにされてきており、今後はさらに港湾施設や宗教施設など、都市内のさまざまな部分のあり方が解明されていくことになろう。
 遺物は、今の所、中国や朝鮮からの輸入陶磁、能登の珠洲焼き、古瀬戸などの陶磁器類が中心で、日本から中国への輸出商品でもあったラッコ皮など北方の産物については、木簡のような文字史料も含めて、今後の検出が待たれる。

 近年の中世遺跡の動向としては、城館や城下町の発掘調査が顕著だが、港町は、地方的な港である広島県の草戸千軒以外では、博多や堺などのように、その後の都市開発によって大きな面積が調査できない場合が多い。その点、いったん幻と化していた十三湊は、それだけに十分な調査を行いうる魅力があり、全国の、というより国の枠にはおさまらない港町の姿と流通のあり方の解明につながる可能性が秘められている。

十三湊の周辺には他にも遺跡が多い。特に、従来安藤氏の城とされていた巨大城郭福島城については、通説に反して、古代城柵にも似た構造を持つ、10世紀後半ころの築造である可能性が強くなった。青森県周辺では、最近も話題になった高屋敷館遺跡など、このころの城館ないし防御集落が多く発見されており、それらとの関係がにわかに注目されるに至っている。福島城はその後調査が留保されているが、いずれは再開されて、北日本の古代・中世史に新たな展望がもたらされることになろう。十三湊遺跡などと共に、調査・研究と保存・整備のための体制づくりも今後の課題である。

(『読売新聞』1996年4月8日夕刊「中世日本の北の玄関―ベール脱ぐ十三湊遺跡」)

*なお、国立歴史民俗博物館の行った調査については、報告書『国立歴史民俗博物館研究報告 第64集−青森県十三湊遺跡・福島城跡の研究−』、「歴博フォーラム」の記録『中世都市十三湊と安藤氏』を刊行、1998年には、歴博企画展示「幻の中世都市十三湊−海から見た北の中世−」を開催しました。(残念ながら報告書・記録・展示図録とも品切れですが、全国の主要大学・図書館で御覧になれます。)最近の関係図書としては、青森県市浦村編『中世十三湊の世界』(新人物往来社、2004年)があります。





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