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「展示を学習の素材(リソース)とするには」

(英語版の原文。写真は略) 2004年10月6日 ICOM / CECA 2004 SEOUL

 日本においては、博物館における教育活動は、これまで必ずしも盛んではありませんでした。しかし近年、他の多くの国々と同じように、生涯学習時代の到来と共に、また学校教育との関係の中で、博物館における教育の意味は、確実に重視されるようになってきました。
 私の所属する国立歴史民俗博物館も、この5年間ほど、教育活動のあり方を模索して、色々な教育活動の試みを行ってきました。本日はその中から、特に私の関わりましたワークシートの事例を中心に、皆様の御参考になりそうな点をご紹介したいと思います

 まず、簡単にこの博物館についてご紹介したいと思います。
 場所は、東京の近郊、成田空港に近い、佐倉という町にあります。17世紀に作られた城跡の中にありますが、展示はこの城や地域とは関係なく、日本の歴史と文化全体の研究と資料収集・展示が目的とされています。制度的には国立大学の一機関であり、約50名の研究スタッフがおりますが、エデュケーターはいないので、研究スタッフの有志がエデュケーターを兼ねています。
 開館は20年ほど前の1983年、唯一の国立の歴史系博物館です。この、国が作った国の歴史を扱う博物館である、という点が一つの特色です。

 常設展示では、原始・古代から近代までの歴史と民俗を扱っています。第二次大戦以後の現代史の展示も今後付け加えられる予定です。
 展示の内容は、「生活史」と言っておりますが、一種の社会史で、国家や権力の歴史は直接扱っておりません。個人の肖像は出さない、というのが展示の原則となっておりますので、天皇も将軍もまったく登場しません。
 観客の中にはこうした歴史の描き方に違和感をもたれる方もいらっしゃいますが、私たちは、やはり守るべき原則であると考えています。
 なぜなら、もし国家の政治の歴史を扱うとすると、その評価は政治的な立場によって異なりますから、さまざまな評価の一つを観客に押し付けてしまうことになります。
 日本は過去において、天皇を中心とする単一の歴史観による教育が行われ、それがアジアの国々を侵略することを正当化するために使われた、という大変苦い歴史を持っています。そして戦後の歴史学と歴史教育はその反省の上に立っていますので、日本では、国立の博物館において国家の政治史を扱うことはありえないわけです。
 そして、この歴史に対する単一の見方を強制しない、歴史像は自由であり、多様であるべきだ、という考え方は、博物館における教育の問題にも大きな意味を持っていると思います。

 さて、それでは実際の展示を少しご紹介しましょう。「国の歴史」という抽象的なものを展示で叙述するには、どのような手段があるでしょうか?
 当館の現在の手法は、資料と模型や環境復元を組み合わせたものです。
 すなわち、表現しようとするそれぞれのテーマを代表するものとして比較的大型の模型や実物大の再現をつくり、その周辺に、そのテーマに関係する資料をならべて、象徴的に展示を構成する、という方法です。

<写真>
 ・約5000年前ころの、縄文時代の土器です。そして、ある遺跡の復元模型によって、狩猟・採集の社会であることを示しています。
 ・約2000年前の米の倉庫で、これによって、アジア大陸から新しい農業文化が伝わったことを象徴しています。まわりには農機具が展示されています。
 ・8世紀、中国文明の影響を受けた統一国家の首都の門です。首都における都市生活の資料が紹介されています。
 ・10世紀ころの京都、貴族によって、日本独自の古典文化が形成されます。
 ・13世紀、中世の展示室、武士階級が登場します。その暮らしです。
 ・17世紀、武士が現在の東京を首都とします。この武士の服装は、実は武士社会の象徴として置かれています。
 ・伝統的な農業村落の象徴です。なぜか米の入った俵が空を飛んでいます。
 ・この大きな人形は、ある地方の村の境に置かれたもので、やはり農業村落の象徴です。
 ・19世紀、西洋の影響を受けた学校と伝統的な学校
 ・20世紀初めの東京の下町。これは比較的新しい展示室で、町を実物大で再現した新しい手法になっています。

 以上のように、テーマを選んで、それぞれについて象徴的な展示を作ることで、日本の歴史と文化の全体を伝えようとした展示です。
 同じような展示の例としては、私が見た中では、カナダ文明博物館(Canadian Museum of Civilization)が比較的似ていると思いましたが、政治や権力の問題を直接扱わないこのような方法は、国全体の歴史の展示として、考え得る一つの方法だと思います。

 しかし、特に教育の見地から見た場合、次のような問題があります。
 一つは、展示がテーマを象徴するという形で作られていることで、何を表した象徴なのかが理解できなければ、展示の意図が理解できない、ということです。
 もう一つは、特定の歴史観を強制していないとは言っても、テーマはやはり制作者の意図によって決定され、作られていますから、観客が展示から自らの歴史像を形作ることは、やはり困難です。
 最後に見たような、実物大の場面再現を多用すればある程度わかりやすくはなるでしょうが、しかし復元の度合いを増やすほど、それは作られた歴史像そのものになってきてしまう、という問題があります。
 このように、歴史の自由な見方、観客の創造性、という問題と、制作者の意図の理解、という問題は、博物館展示の根本的な問題でもあります。

 問題を少し図式的に整理してみましょう。
 一般的に、あるいは古典的には、展示は次のような資料を媒介にした展示者と観客のコミュニケーションとして理解されます。

学芸員展示(歴史像)観客

(意味の付与)
(意味の解読)

 展示は、通常は資料自体の価値を重視した形で構成されますから、観客の側は、学芸員の意図がわからなくても、資料そのものを楽しむことはかなり可能です。
 しかし、以上見たような歴史展示の場合は、資料自体は必ずしも重視されず、資料は模型や再現などと共に、そのテーマを伝えるために配置されます。
 何らかのテーマ、作る側の意図がなければ展示は作れない、しかし歴史像は観客が自由に作るべきであり、意図が伝わればよいわけではない。
 このジレンマの中で、私たちは悩み続けていますが、しかし、そこにこそ教育ないしは学習支援という行為の介在する大きな存在理由があるのだろうと思われます。
 すなわち、ハードとしての展示を、ソフトとしての教育プログラムによって、それをもっと別の形で利用することができる、展示を、単に作成者の意図をなぞるだけではなく、自ら歴史像を作っていくためのリソースとして利用する、ということです。
 歴史展示においては、展示は多かれ少なかれ一つの歴史像ですし、展示がある主観の産物であるということは、実はどのジャンルの展示においても異なるはずはありません。
 観客が相対している展示というものは、制作者によって作られた特定の像imageなのですから、観客をそこから自由にするには、そのイメージが作られた過程を観客自身が理解し、体験することが必要なのではないでしょうか。学芸員と同じ視線に立つことで、はじめて展示を相対化することが可能になるのではないかと思います。

┌─────────────────┐

└───  →


学芸員→  展示(歴史像)→  観客

(意味の付与
=資料からの歴史像形成)


 観客の学習過程だけではなく、学芸員が展示を作る、すなわち意味を付与して展示というイメージを作る過程に、もっと注目してよいのではないでしょうか。
 簡単に言えば、それは資料からイメージを作る、ということです。
 歴史像は、想像ではなく、必ず何らかの資料に基づいて、資料から得られた知識をもとに作られます。
 ですから、観客が自ら歴史像を創造していくために必要なことは、資料を理解することです。資料を詳細に観察し、理解し、そこから発見をすること。そしてそれを人に伝えること。こうした行為を観客が行うように励ますことを、私たちはプログラムの基本的な目的にしています。
 歴史の展示は、抽象的・象徴的なものになるため、理解が難しい面はありますが、逆に言えば、この「資料から歴史像へ」という過程は理解しやすいため、教育的な支援を行えば、観客が創造的な活動をしやすい、という面もあると思います。
 そのために私たちは常設展示の展示室を利用したプログラムを開発しつつありますが、特に、家族向けのワークシートを使ったプログラムについて、御紹介したいと思います。
 内容は、展示室にある資料をさがして、それを観察して答えるものです。
 特に変わった方法ではありませんが、
  さがす→観察する→考察する→記録する
 という手順を基本にしています。

<写真 板碑>
 一つの例を挙げて説明したいと思います。
 これは、「板碑」と呼ばれる墓石です。13〜14世紀頃、中世の東日本に流行した形式です。日本の文化は東日本と西日本で大きく異なりますが、展示では、この時代に京都の朝廷に対して新しく東日本で勃興した武士階級を象徴するものとして、使われています。
 確かに、それも資料の持つ性格の一つです。しかし、資料というものは、非常に多義的な性格を持っています。資料を観察すれば、展示のシナリオに使われた一面以外にも、多くの歴史的な情報を読み取ることができます。

<写真 梵字>
 たとえば、展示の解説では触れられていませんが、この墓石には大きな文字が彫ってあります。これは、古代インドのサンスクリット文字の一つで、「阿弥陀如来」という仏教の神の一つを表しています。

<写真 ワークシート問題>
 ワークシートの問題では、まずこの文字の欠けたところを補わせて注目させ、そして、この文字がどこの国の文字かを選択させます。日本人が使う漢字でもなく、韓国のハングルでもないですから、それ以外のインドの文字であることは推測可能です。
 そして、このことによって、仏教はインドで生まれたこと、そして中国や韓国を通して日本に伝わったのだという、宗教の歴史や、国際関係の歴史を学ぶことができます。

<写真 銘文>
 また、この墓石には詳しい銘文があります。この銘文についても、当初の展示の解説では触れられていなかったのですが、それを読むことによって、この墓石が作られた背景がわかります。夫婦のものであること、夫は武士で37年前に戦死したこと、その後残された妻が家を支え、子供達が両親の墓を作ったこと、などです。個別のストーリーとしても大変興味深いですが、このことからは、当時の女性の地位が大変高く、夫と同等だった、ということもわかります。

<写真 板碑>
 あるいはまた、石材の加工や運搬の技術の問題だとか、デザインの問題といった、さらに様々な意味を、この一つの資料から汲み取ることもできるでしょう。
 このように、資料の持つさまざまな意味を発見し、明らかにしていくことを、私は「資料の意味を開く」と読んでいます。それは、展示のシナリオに使われた意味以外にもさまざまな意味を発見できることを示し、観客が自分の力で歴史像を作っていくことを励ますことにつながる、と考えています。

<写真 親子クイズ(高学年版)>
 なお、このワークシートは、子供用の問題のシートと、大人用の答えと解説のシートの二つからなっています。それで「歴博親子クイズ」と呼んでいますが、この方法はイギリスのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館のワークシートのアイデアを参考にしたものです。家族での見学においては、親が子供のインストラクター役をつとめる習性がある、ということを利用したものですが、親も子供と学習しながら、資料の新しい側面について学ぶことができる、という利点があり、子供用だけの場合よりも、より詳しい解説を盛り込むことが可能になります。

 次に、このプログラムを実施した結果について、ご紹介しましょう。これは、どの分野の方にも関心を持っていただけるかもしれません。
 まず、対象年齢についてですが、最初に小学生(6歳〜11歳)を対象にしたワークシートを作りました。
 さきほどの墓石についての問題も、その一つです。
 それまで、どの年齢層がこのようなワークシートを利用するかについてのデータを持っていなかったのですが、利用者の結果を調べると、12〜13歳の中学生や、あるいは6歳以下の未就学児もかなり利用していることが分かりました。また、アンケートによると、年齢別の問題の要求がかなりあることがわかりましたので、順次整備してきました。

<写真 親子クイズ低学年版>
 低年齢向けは、このようなものです。動物や人物を対象に、さがしたり、補うスケッチをしたりするものです。

 どの年齢層がどちらの問題を選択したかを示すのが、このグラフです。分岐点は、8歳から9歳くらいで、それより低い年齢は、簡単な問題、それより高い層は、より知的な問題を好む傾向が見られます。
 低い年齢でむずかしい方の問題を選んだ子どももいますが、その結果は、悪くありませんでした。クロス集計によると、低年齢、たとえば6〜7歳の層の満足度は、他の層と比べて、同じかむしろ高くなっています。意欲があったことに加えて、親などの大人が十分な支援を行えば、比較的高度な問題も扱えることを示しています。
 またこのことは、親に限らず、展示室に支援の要員がいれば、高度な問題を扱うことが可能になることを示しています。

 何歳からワークシートを使えるか、という点についても、興味深い結果が得られています。4歳からは十分扱えます。3歳は、個人の能力や介助の仕方によっては可能、2歳では難しいようです。

<アンケートの絵>
 これはアンケート用紙から発見した絵で、参加した子ども、たぶんこの子のお姉さんがかいてくれたものです。「4歳の私でも楽しめた」とありますが、2歳の子は「ブー」と言っています。
 しかし、ワークシートを希望しているのは、実は子どもだけではありませんでした。アンケートによると、かなりの大人が自分もやりたがっていることが分かりました。
 小学生用のものでは、知識がバリアーになることを避けるために、歴史の知識を必要としない問題だけを出していたのですが、歴史の知識を持っている人は、展示と自分の知識を関連づけたい、あるいは自分の知識を試したい、という欲求を持っています。

<親子クイズ中学生以上用>
 そこで、学校で歴史を学びはじめる11歳以上を対象に、大人まで楽しめるような問題を作成しました。
 御覧のようなもので、やはりバリアーになることをおそれて子供用では対象としなかった「文字」をテーマにしています。

<御堂関白記 「雨下」>
 中には、古文書を読む問題も含まれており、これは約1000年前の有名な貴族の日記ですが、たとえば「雨」という文字は簡単に読むことができ、今と同じように日記に天気を書いていたことがわかります。古文書の展示は人気がありませんが、このように一部でも理解できれば、興味を持てるでしょう。

<マリア十五玄義図 ザビエル>
 この資料はキリスト教の伝来を象徴していますが、ここに描かれている人は、16世紀に日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルです。教科書にも出てきますから、学校で習った知識と結びつきます。ラテン語で書かれた名前も写してもらうことにしています。

 参加者の結果としては、歴史を学びはじめた11歳の小学生や、中学生が多く利用していますが、40代にもう一つのピークがあり、予想通り、大人もかなり利用しています。
 ワークシートという方法が、大人にとっても、自分の知識を元に、展示を新しい角度で見るための道具として有効に機能していると言えます。
 現在では、以上の3種類を用意して、子どもから大人までの幅広い年齢層に利用してもらっています。

<単眼鏡ワークシートと単眼鏡>
 また、主に学校用ですが、ワークシートを利用した別のプログラムに、単眼鏡を使ったものがあります。これは資料の細かいところまでよく観察してみよう、という主旨のもので、縮小模型や、細かい絵や文字が書いてある資料の観察に有効です。これによって、自分の関心で資料をよく見る態度を養うことができると考えています。

<写生会・講評風景>
 写生会も行いました。子どもに自由に資料を選ばせて、観察した絵を描かせ、名前を付けます。そして、集まって自分が描いたものについて発表し、学芸員と美術の教師がコメントします。
 このように、自分で主体的に展示を観察し、それを他人に説明するために名前を付ける、この「名付け」という行為が重要だと、同僚の久留島さんは言っています。ある資料について他人に説明する、というコミュニケーションを促すことで、資料の理解はさらに充実すると考えられます。

<私の歴博ガイドブック>
 その延長で作ったプログラムが、この「私の歴博ガイドブック」というものです。本物のガイドブックに似ていますが、こちらがワークシートで、中身はほとんど白紙です。自分の選んだテーマで、展示からいくつかの資料を選び、それぞれにスケッチを描いて、名前を付け、説明を書きます。
 自由に資料とテーマを選び、資料の理解から歴史像を作って、他人とコミュニケーションを図るというやや高度なプログラムで、少し時間がかかりますから、夏休みの課題(自由研究)の一つとして実施しています。

<要旨5 プログラムの意味>
 以上のプログラムの意味をまとめますと、観客が、自分で資料から歴史像を作っていく。具体的には、資料を観察して、意味を理解する。さらに、自分で資料を選んで、それについて説明する、ということですが、これはつまり、自分で資料から歴史を研究し、歴史像を作っていくトレーニングを行っていることになります。
 博物館の教育的役割とは、このように、観客自身が学ぶ力をつけるための、トレーニングをする場所、トレーニングセンターと理解できるのではないでしょうか。博物館の展示はトレーニングのための素材(リソース)になりますし、学習の力を付けた観客の研究素材ともなります。
 そしてさらに、学習の能力を身につければ、その対象は、博物館の外へとさらに広がっていくことができます。この意味では、博物館は、博物館の中にあるものを学ぶ場所と言うよりも、むしろ博物館の外にある世界への入り口、無限に広がっている歴史などの、それぞれの世界を探求するためのビジターセンターである、と言うことができると思います。

 これを展示を作る学芸員の側から言えば、学芸員が「教える」という立場に立つのではなく、観客を学芸員と同じ立場に招いて、「一緒に考える」という立場に立つことを意味しています。博物館は、結論を教えるのではなく、「一緒に考える」場である、「一緒に考えよう」と呼びかける場だ、というのが、最近の日本の博物館関係者の間でよく言われるようになっていますが、多様な歴史像を前提にしている私たちのような歴史博物館は、まさにそのような態度を取らない限り、成り立ち得ない博物館だと思います。
 これまで、そのために既存の展示をどのように活用できるかを考えてきましたが、現在展示全体のリニューアルを計画しています。最初から教育の素材(リソース)として計画された展示ならば、その効果は一層大きいはずです。
 そしてそれは象徴ではなく、資料の機能を中心にしたものになるはずですが、これについては、またいつの日か、次の機会に御報告できれば、と思います。

(世界博物館会議<ICOM>の2004ソウル大会の分科会であるCECA<教育と文化活動>国際委員会で、2004年10月6日に基調講演の一つとして報告。”ICOM 2004 Seoul CECA”に掲載。原文は英語で、原題は ”Developing Exhibitions as Resources of Learning - in Case of Worksheet and History Exhibition-“。グラフ以外の図は省略している。)



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