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展示の文法<その2>展示視点の異相

西谷 大

郷土の災害施設の展示がわかりやすい理由

 今回は、防災関係の施設や展示として、気仙沼防災センター、唐桑津波体験館、久慈市防災センターを見学してきました。いずれも、規模は小さいのですが、地域の防災意識を高めるという、明確な意図で展示をしているため、見やすく理解しやすかったことに感心しました。
 そして、これら地域で災害を展示する有利な点は、当然のことですが三陸ですと、津波という災害が人々にとって身近な存在であり、関心度がすでにかなり高い点にあることです。それと博物館を一歩でれば、周囲はいわば野外博物館であることです。つまり、展示場で災害と密接に関係するリアス式海岸と湾や土地の雰囲気を、くわしく復元し展示しなくても、実物の景観が存在し、自然に土地勘が体得できるという最高の展示場が周囲にひろがっていることです。これは三陸に限ったことではなく、それぞれの土地で災害展示する最大の利点といえるでしょう。
 ところが、たとえば歴博で展示した場合、周囲に災害がおこった景観があるわけではありません。また津波という災害の関心度も格段に違います。おそらく、災害展示の場合、展示を理解してもらえるかどうかは、土地勘のない人々にも、災害と景観が密接にむすびついており、その雰囲気を限られた展示スペースでなんとか体感してもらうことが、ポイントになってくるかと思います。
 ビジターには展示場で、なるほど災害の原因はこうで、こういった地形だからこそ、このような災害がこのようにおこり、人々がこんなふうに対応したのか、と見てもらいたい。それには例えば、津波ならリアス式海岸と湾、善光寺地震なら、アルプスに取り囲まれた長野平野と犀川、飛越地震なら立山カルデラと狭隘な渓谷と富山平野の景観をそれぞれの災害をうまく組み合わせ、理解しやすいように展示できるかどうかが課題かと思います。

理系と歴史学を結ぶ視点

 さて、今回の展示のおもしろさの一つは、災害を通じて、理系と歴史学の研究者が災害展示を作りあげていく点です。実際の展示場で、二つの研究分野を結びつける場となりえるものの一つに、景観と災害復元が一つのベースになっていくるのではと思います。
 先日(2001年7月14〜15日)行われた第2回研究会(地震部会)では、具体的な展示イメージをつかむための第1案として、善光寺地震を取り上げ、理系と歴史学を結びつける一つの方法として「善光寺地震大絵図と現在の地図上復元案」を提示いたしました。津波についてはまだイメージが固まっていません。そこでここでは飛越地震の場合を例にとりあげてみたいと思います。この地震の場合、おそらく二次災害の原因になる立山カルデラと、土石流が下る狭隘な谷、その先に広がる富山平野を、立体的に展示場で展開しなくては、土地勘のないビジターにとっては非常に平板な展示になってしまい、いったいどこが大変なのという印象をもってしまうと思います。
 展示の一つのイメージとして、まず理系の災害研究側からの視点として展示場では、あの迫力のある立山カルデラをなんとか景観復元し(3Dを考えています)、災害の原因から展示を始め、観客は土石流になって狭隘な渓谷を富山平野に下る。富山平野では反対に社会からみた災害である、歴史資料を展開させるという展示方法です。10月の研究会で、具体的な案を提示したいと考えています。
 歴史学はえてして、人間の目から降りかかる災害を見ています。反対に、理系は災害側から人間社会を見ているように思えます。結局のところどちらも最終的には災害を通じて人間社会を研究しているわけですが、すこし視点が違う。この視点の異相を、無理に融合させるのではなく、素直に展示場でも、土地・景観を媒体として展示すれば、わかりやすい展示になるのではないかと考えています。


にしたに・まさる 「歴史資料と災害像」共同研究委員。国立歴史民俗博物館助手。東アジア考古学。歴博の企画展では「倭国乱る」「お金の玉手箱」に参画した。

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