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紀州徳川家伝来の楽器-琵琶-『伝統の朝顔』-館蔵資料にみる朝顔文化-旗本 本多家資料の世界双六の小宇宙和宮ゆかりの雛かざり

館蔵資料を通して近世のようすにせまります。

  • 「紀州徳川家伝来の楽器-琵琶-」2010年4月27日(火) - 6月20日(日)
  • 「『伝統の朝顔』-館蔵資料にみる朝顔文化-」2010年8月3日(火) - 8月29日(日)
  • 「旗本 本多家資料の世界」2010年10月26日(火) - 12月5日(日)
  • 「双六の小宇宙」2010年12月21日(火) -2011年 1月30日(日)
  • 「和宮ゆかりの雛かざり」2011年2月8日(火) - 4月10日(日)

※内容は変更する場合があります。ご了承ください。

紀州徳川家伝来の楽器-琵琶-

開催概要

展示名称 「紀州徳川家伝来の楽器-琵琶-」
開催期間 2010年4月27日(火)~6月20日(日)
会場 国立歴史民俗博物館 第3展示室

趣旨

当館が所蔵する紀州徳川家伝来楽器コレクション(159件)は、主として紀州藩の第十代藩主徳川治宝(とくがわはるとみ・1771~1852)によって収集されたものと伝えられます。雅楽の楽器を中心に、吹きもの(管楽器)・弾きもの(弦楽器)・打ちもの(打楽器)など各種の楽器や、楽譜、調律具、収納袋や箱など附属品、さらに楽器にまつわる情報を記した附属文書から構成されており、楽器史や音楽史上きわめて重要な資料とみなされてきました。

今回の特集展示では、本コレクションの中から、琵琶をとりあげ、附属品や附属文書とともに展示します。コレクション中の琵琶は23面に及びますが、この中には、天武6年(677)の作と伝えられる琵琶を初めとする各時代の琵琶や、平家琵琶として用いられたもの、きわめて小型のもの、明清楽の流行を受けて収集されたと推測される中国の琵琶など貴重な遺例が含まれます。これらを展示することにより、一般にはあまり馴染みのない古楽器への理解をうながすとともに、高度な工芸技術や、江戸後期の大名家を中心とした文化の一端を紹介したいと思います。

みどころ

  • 藩主自身が収集した楽器です。
    このコレクションの特徴は、他の大名家の伝来品と異なり、藩主徳川治宝が一代で築きあげたという点にあります。楽器や附属文書を通じて、コレクター治宝が、どのように楽器を収集し、愛蔵したかがわかります。
  • 楽器および附属品の美術工芸品的魅力を堪能していただけます。
    楽器や附属品の美しさを鑑賞することは、収集の楽しみの一端でもあったのでしょう。箱・袋などの収納具をはじめとする附属品の多くは、治宝が楽器を入手した後に特別にあつらえたものです。今回の展示では、木工・染織・撥面の絵画など、江戸時代の美術工芸技術をご覧いただけます。

主な展示物(予定)

紀州徳川家伝来楽器コレクション(H-46)より

  • 琵琶(銘「白鳳(はくほう)」) 1面 天武6年(677)  銘 在田坊作
  • 琵琶(銘「箕面(みのお)」) 1面 江戸時代 保延4年(1138)銘 内記作
  • 琵琶(銘「美女(びじょ)」) 1面 江戸時代  文和2年(1842)銘 政尊・三井伊織作
  • 琵琶(銘「筑夫島(ちくぶじま)」) 1面 室町時代
  • 琵琶(銘「武蔵野(むさしの)」) 1面 慶長14年(1609)銘 雑賀新右衛門作
  • 琵琶(銘「小車(おぐるま)」)  1面
  • 琵琶(銘「花月(かげつ)」) 1面 江戸時代 一尾伊織作 徳川治宝画
  • 『琵琶譜(びわふ)』 1帖 寛政4年(1792)徳川治宝奥書
  • 『琵琶の譜(糸竹秘抄(しちわひしょう))』 1帖 天保5年(1834)
  • 『三五要録(さんごようろく)』 12冊
  • 琵琶撥

など約20点

 
琵琶 銘「花月(かげつ)」
江戸時代初期(当館蔵)
文政2(1819)年、江戸の琵琶職人から11両で古い琵琶を入手した藩主治宝は、撥面に自ら夜桜の図を揮毫しました。
 
琵琶 銘「白鳳(はくほう)」
天武6年(677)(当館蔵)
槽内に銘があり、天武6年(677)の作といわれます。嵯峨天皇(786-842)が兵庫の鶴林寺(かくりんじ)に寄進したとの伝承をもつ由緒正しい琵琶。

『伝統の朝顔』-館蔵資料にみる朝顔文化-

開催概要

展示名称 『伝統の朝顔』-館蔵資料にみる朝顔文化-
開催期間 2010年8月3日(火)~8月29日(日)
会場 国立歴史民俗博物館 第3展示室

展示構成

プロローグ

本展示では前半で、三度の変化朝顔ブームの際に出された"朝顔図譜"・番付・朝顔書などを、後半では、朝顔にちなむ作品を、館蔵資料から展示します。

まず文化・文政期(1804-30年)に朝顔の突然変異を起こしやすい性質を利用して、変化朝顔をつくり、競い合うことが大坂・京都・江戸で流行し、栽培のマニュアル本までもが出されています。嘉永・安政期(1848-60年)には、周辺の都市・町にまで広がるブームとなりました。変化朝顔の品評会がしばしば開かれて、愛好者たちがその技を競い、その結果は番付や朝顔図譜などで刊行されました。しかし、こうした変化朝顔の栽培には、手間・暇・場所と一定の知識が必要だったので、評判にはなっても庶民が自ら栽培できるようなものではありません。むしろ多くの庶民が「変わらず」に愛し続けた朝顔は、色・形に違いはあるものの、誰にでもそれとわかるような朝顔でした。

園芸のはじまりと朝顔

日本において特に園芸文化が発達したのは、江戸時代の巨大都市でした。多くの園芸植物は大名屋敷の庭園に地植えされていましたが、やがて鉢植えが生まれ、17世紀後半から刊行された「園芸書」や、草木を売り歩く商人たちを通じて、庶民の中にも園芸文化がひろがっていきました。こうした中で、薬として日本に入った朝顔は、しだいに季節に愛でる花となっていったのです。

主な展示物
  • 「江都勝景 虎之門外之図」
  • 「五代目市村竹之丞の若竹の亀、初代坂東しうかの大和屋おせん、八代目市川団十郎の瀧のぼりの吉」
  • 「増補地錦抄」

奇品の流行と変化朝顔

18世紀後半になると、都市の武士や富裕な町人、僧侶などの間で「奇品」(奇抜なもの)の育成がブームとなりました。こうした中で、文化・文政期、嘉永・安政期、そして明治・大正期には、突然変異で生じた奇花・奇葉を楽しむ、変化朝顔ブームが到来しました。

主な展示物
  • 「草木奇品家雅見」
  • 「松葉蘭譜」
  • 「あさかほ叢」
  • 「朝顔三十六花撰」
  • 「三都一朝」
  • 「両地秋」
  • 「都鄙秋興」
  • 「変化朝顔図」(近代の朝顔愛好会誌の挿絵原画)

意匠にみる朝顔

変化朝顔が流行する一方、普通の誰でもそれとわかるような朝顔も、庶民に愛され続けました。朝顔は、近世に入ると絵画・工芸のモティーフとして登場しますが、ここで描かれるのは普通の朝顔です。ひと夏を限りの命と蔓を伸ばす生命力あふれる姿は、新しい時代のモティーフとしてとりあげられました。また、画面を自在に埋めることのできる柔軟な形の蔓草は、デザイン性の高い近世の意匠にとって格好の素材でもありました。

主な展示物
  • 「花樹草花蒔絵螺鈿洋櫃」
  • 「紅縮緬地朝顔模様絞染小袖(屏風)」
  • 「一節切(銘「紫鸞」)袋」

芝居にみる朝顔

芝居のなかでも、「朝顔」を冠したキャラクターが登場します。しかし、朝顔をイメージした奇抜な舞台衣装やそれを描いた浮世絵のいずれも、変化朝顔ではありませんでした。ここでは、「助六由縁江戸桜」に登場する敵役「髭の意休(久)」の子分「朝顔仙(千)平」と、「生写朝顔話」を素材にした浮世絵などを展示いたします。

主な展示物
  • 「あさがお仙平(助六廓の花見時 当館蔵 部分)」
  • 「東海道五十三次之内 金谷 朝顔」
 
変化朝顔図
明治~大正時代 高橋其堂画 (当館蔵)
 
あさがお仙平
(三代目歌川豊国「助六色花王」部分 当館蔵)
 
花樹草花蒔絵螺鈿洋櫃(当館蔵)
 
一節切(銘「紫鸞」)袋 部分(当館蔵)

旗本 本多家資料の世界

開催概要

展示名称 旗本 本多家資料の世界
開催期間 2010年10月26日(火)~12月5日(日)
会場 国立歴史民俗博物館 第3展示室

趣旨

旗本というと、時代劇ではおなじみの存在ですが、その実態は一般には意外に知られていないことが多いようです。旗本とはどのような人たちで、その勤めとはどのようなものだったのか?どのような趣味を持ち、どのような生活をしていたのか?本館が所蔵する具体的な旗本家の資料から、こうした疑問にお答えします。

江戸時代、将軍直属の家臣のうち、知行高(領地)が一万石以下で、将軍にお目見えが許された者を一般には「旗本」と呼びます。戦場で将軍の本陣が置かれたところに立つ旗の下に参集し、本陣を守る役割を果たす直参の武士のことです。享保期までに200家を数え、戦時にはそれこそ将軍の直属軍として総勢「旗本八万騎」といわれた軍団を構成することが予定されていましたので、将軍権力の中核だということができます。一般には、3000石以下の旗本は、大番・書院番・小姓組番・新番・小十人組人など、江戸城や将軍の警護をする「番方」から、家柄や能力に応じて町奉行・勘定奉行など行政・司法関係の職である「役方」に昇進していくのですが、島原の乱以降、旗本たちが実際に動員されるような戦闘が無くなり、幕府の官僚制度が整う18世紀以降になると、「役方」の果たす役割の方が重要になっていきます。そのなかで、石高の多い上級の旗本たちは、どちらかというと「番方」としての勤めを果たし続けることが多いのですが、ここで紹介する旗本本多家は、知行高3200石、三河以来の旗本で、主に「番方」を勤める上級の家だということになります。そもそもこの本多家は、家康の信頼があつく、戦場での勇猛ぶりから「鬼作左」とも称された本多作左衛門重次の流れをくむ家ですが、越前丸岡に所領を与えられた大名家の分家として幕末まで続く「由緒」のある旗本の家でもあります。

本館は、この旗本 本多家の資料を約4000点所蔵しております。1994年に、この資料も使った企画展示「近世の武家社会」を開催したことはあるのですが、それ以降、同家資料については総合展示(第3展示室近世)でほんの数点お見せしている以外には、お目にかけておりません。

このたび、企画展示「武士とは何か」【10月26日(火)~12月26日(日)】を企画し、そのなかで江戸時代の武士とはどのような存在だったのか何かを考えていただくコーナーをもうけました。そのコーナーとも連動させながら、あらためて旗本の世界を描きたいと思います。企画展示と併せて是非ご覧ください。

展示構成

「鬼作左」と呼ばれた本多作左衛門重次を描いた画像資料は企画展示場でご覧いただくとして、「武門の家」本多家の由緒をたどることから始めましょう。そして、越前丸岡藩主の家から分かれ、本家が改易されたあとも、旗本の家として幕末まで継続する様子を越前の知行所や江戸に拝領した屋敷、あるいは親類たちの家、拝領物として代々伝えた由緒ある武具・壺などから想像していただきます。次に、旗本の家、とくに「番方」の家としてどのような勤めを果たしたのか、寛政期に拝命する「寄合肝煎」という「役職」でどのような仕事をしたのか、など「旗本としての勤め」に関する資料を展示します。 さらに、 旗本としてどのような生活を送ったのか、武士としてのたしなみや作法・趣味などがわかる資料を並べます。最後に、明治維新を迎えるとどうなるのか、について見ていただくことにします。

プロローグ 「武門の家」本多家

  1. 旗本 本多家の誕生
  2. 旗本の勤め
  3. 旗本のたしなみ

エピローグ 維新とその後

 
先祖由緒書(当館蔵)
 
ルソン壺(当館蔵)
 
唐冠形兜(当館蔵)
 
慶応4年「道中日記并京都日記」(当館蔵)

双六の小宇宙

開催概要

展示名称 双六の小宇宙
開催期間 2010年12月21日(火)~2011年1月30日(日)
会場 国立歴史民俗博物館 第3展示室

趣旨

サイコロを振り、出た目の数にしたがって「振り出し」から駒をすすめて「上がり」を目指す絵双六は、江戸時代、大衆的な出板を行う地本問屋の主要商品のひとつでした。絵双六の歴史は、仏教の十界の世界観にもとづく浄土双六が室町期に成立し、江戸時代に入り庶民層に普及、やがて道中双六や出世双六が生み出されたとされています。江戸後期になり錦絵に代表される木版多色刷りの技術が確立すると、絵双六は華やかさを加えるとともに、人気浮世絵師が筆を執って絵画性豊かなさまざまな主題のものが大量に生み出されました。

人生の栄達を主題とした出世双六、旅や行楽への関心の高まりとともに急増する道中双六や名所双六、あるいは百物語の流行による妖怪双六など、絵双六はそれぞれの時期の人々の関心の在処や世の中の流行を映し出す鏡でした。

本特集展示では当館が所蔵する絵双六を、その形式(廻り双六、飛び双六、飛び廻り双六)にも留意しつつ、おもにその主題に注目して、江戸後期の多彩な都市文化の一端と、江戸後期の世相について考えるものです。

主な展示資料

  • 東海道五十三駅双禄 (歌川芳藤・慶応3年)
  • 大名出世双六 (江戸時代)
  • 男女振分婚礼双六 (歌川貞景・江戸末期)
  • 川柳風狂句孝不孝振分双六 (緑亭川柳・江戸末期)
  • 新版御府内流行名物案内双六 (歌川芳艶・江戸末期)
  • 豪傑水滸伝双六 (歌川国芳・嘉永頃)

など、約30点

 
新版御府内流行名物案内双六(歌川芳艶 当館蔵)
日本橋を売出し(振出し)に、山谷の八百善、向島の大七など江戸の有名な料理茶屋や、鰻屋、蕎麦屋などを食べ歩き、山王祭礼を右上がりとする飛び双六。江戸後期の料理文化の発展を背景に生まれたもの。
 
春興手習出精双六(歌川広重 当館蔵)
寺子屋入門を振り出し、学問の神様である亀戸天神をあがりにした双六で歌川広重の画になる。当時の寺子屋の教科書である往来物の書名と関連する略画及び発句をあしらっている。
 
豪傑水滸伝双六(歌川国芳 当館蔵)
江戸末期の水滸伝ブームを背景につくられた双六で、絵師は水滸伝の豪傑を描いた錦絵で人気を博した国芳。水滸伝に登場する豪傑を各マスにひとりずつ描く廻り双六。上がりのマスは、梁山泊の首領宋江が、夢の中で九天玄女から、自分たちが百八の魔星の転生であることを告げられる場面。
 
岩井紫若のお乳人重の井と三代目岩井粂三郎のじねんじよの三吉(歌川国芳 当館蔵)
天保13年4月、江戸・河原崎座「恋女房染分手綱」の舞台を歌川国芳が描いた役者絵。水口の宿場で、東国の大名家に輿入れする幼い姫君の旅宿に呼び入れられた馬子の三吉は、姫君に道中双六の遊び方を教えて、褒美の菓子を貰う。
 

ギャラリートーク

日時 2011年1月15日(土)13時30分~(約30分)
解説 大久保 純一(情報資料研究系教授)

和宮ゆかりの雛かざり

開催概要

展示名称 和宮ゆかりの雛かざり
開催期間

2011年2月8日(火)~4月10日(日)

会場 国立歴史民俗博物館 第3展示室

趣旨

幕末の動乱期、波乱にとんだ生涯を送ったことで知られる和宮は、仁孝天皇(にんこうてんのう)の第8皇女として生まれ、「公武合体」の証しとして文久元年(1861)14代将軍徳川家茂(とくがわいえもち)に降嫁しました。

今回の特集展示で展示する雛人形・雛道具類(当館所蔵)は、和宮所用として伝来したもので、有職雛と呼ばれる種類の雛人形と、江戸七澤屋製の各種雛道具、御所人形および三ツ折人形などが含まれます。

上巳(三月三日節)にとりおこなわれる雛祭りの行事は、江戸時代に入ってから広まりをみせ、多くの女性たちの支持を集めました。儀式が定着するにつれ、その装飾は華麗なものとなり、時代時代の流行を取り入れながら、寛永雛、元禄雛、享保雛、次郎左衛門雛、有職雛、古今雛と俗称される多彩な雛人形や、精巧に作られたミニチュアの道具類が生みだされていきました。『和宮様御雛満留』(宮内庁書陵部蔵)や『静寛院宮御側日記』(同)、『和宮様おひゐな御道具』(内閣文庫蔵)などの記録によれば、和宮は、数多くの雛人形を手もとにおき、また上巳にはあちこちと雛人形を贈りあうなど、雛まつりを楽しんだようです。当館所蔵の雛人形・雛道具はその一部をなしていたと考えられ、江戸時代の文化や工芸技術を伝える資料として貴重です。

みどころ

  • 和宮所用と伝えられる雛人形は、有職雛(直衣雛)という貴族的な面立ちの上品な人形で、幕末期の上層階級における雛人形の典型的な作例です。
  • 婚礼調度をミニチュアとして作った雛道具は、約80点を数えますが、当時の流行を反映して、ガラス製の器なども含まれます。江戸上野池之端にあった有名な雛人形店、七澤屋製と推測されます。
  • 御所人形・三ツ折人形には、和宮が兄の孝明天皇(こうめいてんのう)の形見として譲渡された由緒のある人形も含まれます。

主な展示物(予定)

内裏雛及雛道具付御所人形より

  • 有職雛(直衣雛)
  • 御所人形 孝明天皇遺物など 13躯
  • 御所人形 孝明天皇遺物など 13躯
  • 須磨明石図屏風
  • 狗張子
  • 牡丹唐草文蒔絵雛道具

など約100点

 
有職雛(直衣雛)
 
唐机と文具
 
小倉百人一首(当館蔵)
 
御所人形(牛若と弁慶)(当館蔵)
 

図録のご案内

「和宮ゆかりの雛かざり」 価格:800円(税込)/ 送料:210円

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