企画展示をより楽しく、より深く鑑賞していただくため、本館の広報担当職員が企画展示の担当者から展示の見どころや作り手の気持ちを取材します。

今回は7月7日から開催する企画展示「ドイツと日本を結ぶもの-日独修好150年の歴史-」の保谷徹代表(東京大学史料編纂所・本館客員教授)にお話をうかがって来ました。
※画像掲載の資料はすべて出展されます。

展示案内「ドイツと日本を結ぶもの-日独修好150年の歴史-」

各回リンク
第1回「プロイセンがやって来た!」 第2回「貴重資料からみる日独外交」 第3回「深まる交流」 
第4回「第一次世界大戦~ワイマール共和国時代の日独関係」 第5回「第二次世界大戦以降の日独関係」

第4回 第一次世界大戦~ワイマール共和国時代の日独関係

保谷:展示の第3章の冒頭には日独通商航海条約を入れさせてもらいました。先述の青木周蔵が不平等条約の改正に取り組んだもので、この条約によって領事裁判権の撤廃など、法権上はドイツと平等な関係になっていくというものです。ただ、この条約締結とほとんど同時期には、中国をめぐって三国干渉(1895年)などの対立が日独の間で生じてきます。この辺りの国際関係は非常に複雑なのですが、展示では一通り説明しています。この黄禍論の絵は、ドイツの皇帝が画家を呼び寄せて描かせたもので、日本の台頭が脅威とみなされています。


Knackfuss画 「黄禍論」(当館蔵)

保谷:この東からやって来ているのは仏像なんですね(笑)。よく分かりませんが、当時はそういうイメージだったでしょうかね。

すごいイメージ・・・。いずれにせよ、19世紀末から日独関係は悪化していき、ついに第一次世界大戦において、日本とドイツは青島(チンタオ)で交戦することになるわけですね。


青島の戦闘(当館蔵)

保谷:そうですね。ただし、大きな死者は出していないし、戦場が限られていたということもあって、ほとんどの方が知らないのではないでしょうか。日本はシベリアにも出兵しているのですが、これもロシアに兵を出してドイツを食い止めるんだ、という議論が当時の日本でなされていたようです。

ドイツを防ぐためにロシアに出兵するということが、あまりピンときませんが・・・。

保谷:確かによく分からないところもあるのですが、三国干渉のショックが大きかったのかも知れません。三国干渉の時の青木周蔵の電報なども展示しますが、それを見ると「なぜドイツが出てくるのか」と愕然としているんですね。

青島交戦後のドイツ人捕虜については、歴博にも多く資料があるので、展示の目玉の一つとなっています。収容所の中で捕虜たちが演奏会であったり演劇であったりを行うので、そのパンフレットやポスター、絵葉書なんかも展示します。


絵はがき(俘虜製作品展覧会)(当館蔵)

展覧会を行ったり遠足に行っていたりと、捕虜たちは思っていた以上に自由な生活をしていたんですね。ちょっとイメージと違いました。

保谷:日露戦争でもそうなんですが、捕虜たちは比較的きちんと取り扱われています。逆に収容所で市民との交流が生まれて、洋菓子やビールやソーセージが伝わったのもその頃ですね。捕虜の中にはそのまま日本に住み着いてお店を出したりなんて人もいます。ただ、展示はどちらかというと収容所の中の生活に重点を置いていますが。ここは多くの資料を出しますので、見どころの一つですよ。

続いてワイマール共和国時代の交流はどういったものだったのでしょうか。

保谷:ワイマール時代は非常に自由な時代で、日本の研究者は憧れて多くの人が行くんですね。もともとドイツは学術の留学先として人気があったのですが、共和政になってさらに人気が高まります。

SF作家星新一の父親である星一(ほし はじめ)は実業家なのですが、彼は200万マルクをワイマール共和国の学会に寄付します。それをハーバーというノーベル賞学者が運用して基金にして、そのお礼に来日したりしています。アインシュタインも来日しています。

第一次世界大戦で交戦国となったわりには、あまり日独の関係が冷え込むことはなかったんですね。

保谷:交戦はしたけど、それほど多数の死者は出なかったし、捕虜の取扱いもよかったので、ひどく悪い感情が生まれるということはなかったという評価のようです。ワイマールのイメージもよかったので、日本からも多くの人が行くわけですが、すぐにナチスが台頭してきます。

第5回に続く