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第1回 第2回第3回

関東大震災(1)-体験に寄り添う

鯰父子取押之図
「鯰父子取押之図」(本館蔵)

続いて第2章について伺いたいと思います。まず近代の地震として関東大震災が取り上げられていますね。

原山: 実は関東大震災に入る前に、江戸末期の震災について少し触れています。江戸末期は日本全国で災害が起こっていることに加え、開国や、いわゆる「不平等条約」の締結など、大きな出来事がいくつも重なっています。社会の激変と震災が同時に起こっているという点は、実は関東大震災に通じるものがあって、関東大震災の場合も大正デモクラシー・戦後恐慌の中で起こっているわけです。震災が社会にどういう影響を与えたのかは慎重に検討しなければいけない問題ですが、時代のうねりと震災との関わりを考えていただければと思います。

江戸時代と大正時代の震災で共通点が見えてくるのは興味深いですね。

原山: また関東大震災のポイントとして、一つは被害がかなり広い範囲にわたる広域災害であったことが挙げられます。東京だけではなくて、横浜、千葉、静岡、あるいは甲府なども被災しており、展示でもその点を意識しています。というのも、人文学ではどうしても社会的なインパクトが大きいものに目が行ってしまいがちで、関東大震災も「帝都」の被害を中心に考えてしまう傾向があります。そこで今回は、地震学などの自然科学分野とも共同して展示を構築していきました。自然科学から津波の高さなど被害の全体像をデータで示していただくことによって、それぞれの場所でどういう被害があったのかをあらためて冷静に見つめ直す視点を持つことができました。このように新たな視点・論点が浮かび上がってくるということが、自然科学と共同して研究する面白さだと思います。

大正震災図絵 本所方面(私家版)
「大正震災図絵 本所方面(私家版)」(個人蔵)

他にはどういったポイントがあるのでしょうか。

原山: 一つには「体験した」ということに寄り添う展示を意識して入れています。例えば、これは群馬県にお住まいの個人の方からお借りした絵です。

これは画家をされていた方が自分の被災した体験をそのまま絵日記のような形で描いたもので、なおかつ完全に私家版、つまり人には見せないものとして残されたものです。この資料を見ていくと震災の状況がよく分かります。まず地震があって、次に火災が広がって、火災から逃げていく人たちに押されて川に落ちる。ある程度鎮火したころに川から上がって、家族と合流し、群馬まで避難していくという流れになっています。

確かにプロの絵ですので、具体的な様子がよく分かりますね。

関東大震災(2)-大衆文化

日暮里駅に殺到した避難者たち(絵葉書)
「日暮里駅に殺到した避難者たち(絵葉書)」(本館蔵)
淋しきニコライ堂
「淋しきニコライ堂」(本館蔵)

原山: その他では、扱いとしてはあまり大きくありませんが、大衆文化にも触れています。大衆文化の例としては、関東大震災の絵はがきなどを出しています。

震災の絵はがきがあるのですか?

原山: 現代の感覚からすると驚くかもしれませんが、関東大震災では多種多様な絵はがきが発行されています。展示では現代と1923年当時との感覚・文化の違いを感じていただけることと思います。

さらに言えば、現代と当時とのメディアの違いもあると思います。現代ではテレビやインターネットで遠く離れた場所から現地の状況をある程度知ることができますが、1923年当時の情報伝達手段は当然限られています。その中で、絵はがきはクリアな写真を端的に人に見せることができる重要なメディアだったわけです。実際に絵はがきを使って今東京はこういう状況であると知らせているものも残っています。

文章だけですと伝えきれない部分も、絵はがきの写真だと明快に伝えることができますね。

原山: 変わった資料では、「借家人同盟」が発行した住居・相続・家計に関する冊子なども展示します。どういうことかと言うと、東京の下町は圧倒的に借家人が多く、そうした被災者にとっての問題を冊子にまとめたわけです。つまり、震災によって生じる問題というのは仮に同じ場所で被災したとしても階層や置かれていた状況によって当然異なります。この展示ではそうした「幅」のようなものを感じとっていただければと思っています。

関東大震災(3)-いかに忘れていたのか

関東大震災についていろいろとお話を伺ってきましたが、いま私たちが関東大震災を振り返ることは、どのような意味があるのでしょうか。

原山: 一つ言えるのは、私たちがいかに関東大震災のことを忘れていたのかを考えなければならないということです。後でお話しますが、1930~40年代にも犠牲者数が1,000人を超える大きな地震がありました。しかしながら戦時下・占領下では戦争や占領の記憶が大きく、情報統制などもあって地震が人々に強く認識されませんでした。同様の大規模な被害をもたらした次の震災は、実は1995年の阪神・淡路大震災です。つまり、日本は高度経済成長期を、震災へのおそれを強く意識しないまま走り抜けてきたわけです。そのため、大地震が自分たちの経験から途切れたものとなってしまった。東日本大震災を経た今、私たちはそのことをもう一度考え直す必要があると思います。

第3回に続く