展示案内「中世の古文書 -機能と形-」

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中世文書の源流——公式様文書

口宣案(1534年)本館蔵

それでは展示の中身についてお伺いしていきたいと思います。最初のコーナーは公式様文書(くしきようもんじょ)と武家様文書とありますが、こちらはどういった展示なのでしょうか?

小島: 様式というのは古文書学の基本的な考え方なので、それをご理解いただくことが文書を形として楽しんでいただくキーポイントになると思い、文書の基本的な様式を最初のコーナーで説明することにしました。

中世の古文書はいきなり出てきたわけではなく、前提にあるのは古代の文書です。律令の中に公式令(くしきりょう)というものがあり、文書は「こう作るんだ」という規定があるわけです。まずは公式様文書がどういうものか、という点をご理解いただくと、後がわかりやすいと思います。この律令に規定された様式は正倉院文書の中に見ることができます。

結局律令というのはお役所中心の発想なので、役所間で文書をやりとりする時にどうするか?という規定なわけです。このパターンは上から下、下から上、上下関係のない横の3つしかありません。上から下への文書を「符」、下から上への文書を「解(げ)」、上下関係のない横の文書を「移(い)」といいます。こういう文書のあり方及び様式が中世文書の源流となっています。

ところでみなさんはお手紙を書くときに名前をどこに書きますか?

一番下ですかね。日付を書いて、名前を書きますね。

小島: そう書きますよね。それって実は律令書式なんです。

そうなんですか!現代まで律令の様式が伝わっているんですね。

小島: で、なぜ日付の下に名前を書くかというと、複数の人間が署名するときに日付の下に一番官位の低い人間が署名するきまりがあるからなんです。つまり、日付の下に名前を書くことで「自分は一番地位の低い人間です」と相手に対してへりくだっているわけです。

そういう意味があるんですね。知らなかったです。

小島: この原理は中世文書でも使われることになりますが、出発点は古代の公式様文書になります。

平安時代になると律令の枠組みにはない―令外官(りょうげのかん)や蔵人(くろうど)といった者たちが重要になっていきます。そうすると文書のあり方も変わってきます。天皇の指示が蔵人から公卿に行き、そこから太政官のいろんな役所に命令がいく、というのが本来のパターンなのですが、蔵人から口宣(くぜん)という「天皇はこうおっしゃっていますよ」というメモが出されるようになり、このメモが実体化していきます。律令に従えば役所で公文書を作らなければいけないのですが、手続きが非常に面倒なので「天皇がいいと言っていますよ」というメモを出せば事実上決まりなわけです。口宣案は口宣の写しという意味ですが、この下書きのようなものが実質的に機能していくようになります。

律令の形式がどんどん崩れていってしまうわけですね。

小島: 中世は本当に人臭い時代で、人と人との間で物事がすべて決まるんですね。役所と役所、役所と人という関係は崩れてしまって、「実際に誰が権力を持っているのか」という点が重要になってきます。形式ではなくて、実態・実質で物事が動く時代が中世といえます。

武家文書の発達

源頼朝下文(1192年)神奈川県立博物館蔵

小島: そういった時代になると、個人と個人の間での様式で文書を出すしかなくなっていきます。それは何かというと、要するにお手紙なんですよ。これを書札様文書と言います。ところが、個人と個人の間のものですので、本当は上下関係がないんですが、公文書としての役割を持つようになるとどうしても上下関係を表現する必要が出てきます。そこで書状という形式の中でどのように上下関係を表現するのかが考えられ、多くの様式が出現します。

時代が変わると文書の様式もどんどん変化していくんですね。

小島: まさにそうで、文書の様式を考えることはその時代がどういう時代だったかを読み解くことにつながります。そのことが見えやすいのが武家文書です。武家こそはまさに親分——子分の関係ですから、武家文書はストレートに個人から個人へのものになります。では将軍が御家人へ文書を出すときはどうすればいいか。当然律令には何の規定もありません。そこで「下文(くだしぶみ)」という様式が用いられます。

関東下知状〈署名は北条泰時・時房〉(1235年)本館蔵

文書に「下」の文字がありますね。

小島: はい。この様式は、差出人が「誰それに下す。〜。」と非常にストレートな表現になっています。ここで先ほどの日付と名前の原理がうまく使われます。先にお話したように日付の下に名前を書けば相手に対しへりくだった表現となりますが、あえて日付の下ではなく一行ずらして書いたり、思いっきり外して書いたりします。

そうすることで威張っているということですか?

小島: そうなんです。文書の右端に署名することを「袖判(そではん)」と言いますが、袖判の下文は一番権威ある文書と言われています。例えば将軍が御家人に所領を与えるときに用いるのですが、これは一番威張っていいときですよね。もらう方もへりくだって所領を与えられても困るわけです。

(笑)。

小島: 頼朝は袖判下文を使って所領を与えていますが、その後の将軍も同じことをします。頼朝と同じ立場の人間として文書を出すということを、様式で表現するわけです。足利尊氏も所領を与える時には袖判下文の様式を用いています。

頼朝と尊氏の袖判下文は様式が全く同じですね。

小島: 様式が同じであれば、意味も同じになります。尊氏は意図的に頼朝と同じ様式を用いて、自分は頼朝の再来であることを表現しようとしています。そのことが文書の様式から読み解けるわけです。

様式から読み解く例として「関東下知状(かんとうげちじょう)」を見てみましょう。

小島: これは鎌倉幕府の執権である北条氏が出した文書です。ご承知のとおり鎌倉幕府の初期は将軍が力を持っていましたが、やがて実権は執権の北条氏に移っていきます。そうすると文書も実態に見合ったものをつくる必要が出てきます。そこで考えたのが下知状という様式です。将軍ではないので袖判をするほど威張れない。しかし他の御家人からは一線を画すという気持ちから、日付から一行ずらして署名をする形をとっています。いじましいでしょ?

執権という立場がよく分かる文書ですね。いまのお話を聞いて文書を見ると本当にいじましく思えてきます。

第3回に続く