時代を作った技-中世の生産革命-

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小田原物-地方ブランドの出現

小田原城出土の漆器椀 (小田原市教育委員会蔵)
葛西城出土の漆器椀 (葛飾区郷土と天文の博物館蔵)
手づくね成形かわらけ (小田原市教育委員会蔵)
本佐倉城出土のかわらけ (酒々井町教育委員会蔵)

村木:今までの話は今回の展示の第1~3章にあたり、企画展示室Aの内容になります。Aの方はどちらかというと量産の話で、庶民生活を変えた地味な技術でした。一方、第4~5章にあたる企画展示室Bは、Aでお腹いっぱいになっているでしょうから、ガラッと気分を変えて高級品を作る技術について取り上げています。

企画展示室Bでは南蛮漆器などのきらびやかなものが展示されていますね。

村木:そうですね。冒頭には小田原物(おだわらもの)のコーナーを作っています。小田原物は小田原北条氏が京都などから色々なものを集めている内に自分で作りたくなって、職人を集めて小田原ブランドを作っていったものです。小田原物という言葉自体はもうちょっと後にならないと出てこないのですが。現代も小田原漆器などが有名ですが、その先駆けが戦国時代にあったということですね。

なるほど。

村木:これまで「威信財」と呼ばれるちょっと自慢できるような良いものを戦国大名が各地から取り寄せている、という話はあったんですが、それを自分たちで作ろうというところまでいっているのが、ちょっと面白い話かなと。特に小田原漆器なんかは、葛西城から出ている漆器と並べると、ほとんど一緒なんですね。ですから、小田原で作った漆器が関東一円にブランドとして広まっていたというストーリーが描けます。

地方ブランドが出てくるということですね。

村木:そうです。まさしく地方ブランドですね。やっぱり関東の中では小田原は都ですから。今回、ご当地ネタも入れておこうということで、本佐倉(もとさくら)城からもかわらけを借りてきていて。当時、てづくねで作る京都系の小田原のかわらけがあって、それが南関東のいろんなところから出てくるんです。本佐倉城のかわらけもよく似ているんですが、裏っ返して見てみると、てづくねじゃなくロクロで作っているんです。つまり、小田原のかわらけをマネして作ろうとはしているけど、作り方は地元の技術で作っているんです。小田原のものを使いたいけど、結局はコピーにすぎないという…。

それは小田原物にブランド力があるからこその話ですね。

村木:そうですね。

最先端の技術(1)—鉄炮とガラス

展示場風景 (鉄砲コーナー)
ガラス玉 (大分県教育庁埋蔵文化財センター蔵)

輸入された技術としては鉄炮が有名ですよね。

村木:はい。鉄炮はあっという間に広まっていきますが、技術としては中世の間に出来上がっていた鍛冶屋の技術、刀鍛冶の技術に乗っかるわけです。でも刀を作るための鉄と鉄炮を作るための鉄では素材が違います。それを刀鍛冶の技術の中に取り込んで鉄炮を作れるようになる、というのはやっぱり技術力ですよね。

すごい技術力ですよね。短期間の内に取り入れて、さらに日本の中で発展していくという。

村木:本当にそうです。おそらくあの時期の鉄炮はヨーロッパのものと比べても遜色がないくらい、いいものを作りますね。

やっぱりもともとの技術力が非常に高かったということですよね。

村木:戦国時代になると、すごく鉄が多いですよね。昔は近世になってたたら製鉄によって大量の鉄が作れるようになる、という話だったんです。でも、今は中世の段階でたたら製鉄するのと同じ構造の炉が見つかってきているんです。ですから、中世にはすでに大量の鉄を作る技術が開発されていたと言えそうですね。

刀や鉄炮が大量に作られる背景には、製鉄技術の向上があったわけですね。

村木:他には、ガラスですか。今は吹きガラスじゃないですか?あれが出来なかったんですよ。なので、中世ではガラス玉ばっかりなんです。鉄の芯に溶かしたガラスを巻き付けて、パチっとやるという。同じガラスでも全然作り方が違うんです。

そうなんですね。

村木:実は吹きガラスは、12世紀の段階で一度博多のあたりに入ってきているんです。でもあんまり需要がなかったみたいで、定着しなかったんです。その後戦国時代になって、ヨーロッパからガラスの容器なんかがたくさん入ってくると、これを作りたいなということになって。

で、作っちゃうわけですね。鉄炮もそうですが、何でも自前で作ってみようという精神が強く感じられますね。

村木:そうですね。ただ鉄炮に関して言えば、ネジの部分だけはどうしても自前で作れなかったんです。当時の日本にネジはなくて釘だったんですね。でもネジがないと、バンと撃った時に後ろの部分がどうしても飛び出してしまうんですよ。それは釘ではダメで、向こうの技術者にネジだけは作り方を教わったわけです。

高い技術力があった日本でもネジだけは分からなかったんですね。

第4回に続く