平成18年度特別企画 「佐倉連隊にみる戦争の時代」概要ページ

佐倉連隊跡説明板のご案内

佐倉城址公園内に佐倉連隊跡説明板を10ヶ所設置しました。

佐倉連隊跡案内図

明治7年、日本最初の軍隊歩兵第二連隊が佐倉に駐屯し、多くの部隊が編成・訓練され、西南戦争、日清・日露戦争にこの地から出征されました。明治42年には、第二連隊にかわって歩兵第五七連隊が移転し、昭和19年のフィリピン戦で多くの命が失われ、壊滅しました。

※この案内図は歴博ゲート(愛宕坂下)を入ってすぐの左手に設置しています。

佐倉連隊跡説明板配置図はこちら(PDFファイル・326KB)

1) 衛兵所跡
ここに常に衛兵が立ち、連隊に出入りする者を監視していました。
2) 兵営の便所跡
雨天休憩所近くに土台のみが残っています。江原新田では連隊と契約し、下肥・馬糞の払い下げを受け、汚物掃除を担当していました。
3) 佐倉陸軍病院跡
創設は明治7年です。佐倉屯営病室・佐倉営所病院・佐倉衛戍病院・佐倉陸軍病院と名称が変遷しました。昭和40年代までテラスを配した洋風病棟が残っていました。
4) 兵士が文字を彫り込んだモッコク
本丸跡にある県指定天然記念物です。幹に「昭和十八年十月」「砲隊」といった落書きが彫られています。
5) 車道の碑
大正9年建立です。兵営と大手門とを直通させる新道の完成記念碑です。連隊への物資搬入のため、佐倉城時代の不便を解消しました。
6) 佐倉兵営跡の碑
佐倉城址公園自由広場の南側にあります。昭和41年に建立、現在地に移ったのは歴博建設後です。題字は連隊長をつとめた今村均陸軍大将の書です。


7) 弾薬庫の跡

姥が池西側坂道を登った奥の窪地にありました。万一の爆発に備えた土手や建物に使われたコンクリートの一部が残されています。

下の写真は姥が池から弾薬庫の跡に至る階段です。雨の日などは足下にお気をつけください。

8) 訓練用の12階段
兵士が高所からの飛び下り訓練に使用したコンクリート製の階段です。木製の飛び下り台と違い、壊すのが大変なため、戦後も残ったと考えられます。


9) 軍犬・軍馬の墓
軍曹安藤能一が建てた軍犬房号之墓(昭和7年)、近衛歩兵第五連隊第二機関銃隊が建てた軍馬北盤之墓(昭和18年)が並んで立っています。連隊の敷地内には、犬舎・鳩舎・厩舎がありました。 説明板右下の円内が墓の位置です。