企画展示「ドキュメント災害史 1703-2003〜地震・噴火・津波、そして復興〜」

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主語(研究)と述語(展示)展示視点の異相災害展示のメッセージ展示構想たたき台第一次案セブン-イレブンと博物館展示は劇的か−色川大吉先生のインタビューから−展示とあそび心

新しい展示の《文法》とは何か?災害展示を通じて考えます。

主語(研究)と述語(展示) 西谷 大

歴博企画展示の流れ

具体的な展示作業という視点から、いくつかの問題点を述べてみたいと思います。

まず展示について歴博での展示の流れを簡単に述べてみます。最初に内部の教員が企画し、外部の専門分野の研究者に声をかけ、展示プロジェクトを構成します。そして、展示プロジェクトといいながらも、実質は研究会をかさね、テーマの内容を深めていきます。それとともに、どのような資料を展示するか検討し、リストを作成していきます。歴博だけの資料で、展示を構成することもありますが、ほとんどの企画展示は、資料を借用します。

さて歴博のこれまでの企画展示の多くは、最終段階の展示構成案作成を、展示業者に任せてしまう場合がほとんどです。つまりテーマこれこれ、展示する資料はこれだけある、展示場での表現は業者におまかせというやり方です。例えば論文を書くのに、資料をあつめ研究したが、最後の文章は専門外のゴーストライターにおまかせといったやり方はあり得ないわけですが、なぜか展示ではまかり通っています。

当然の話ですが、展示業者は基本的には技術屋であり研究者ではありません。かれらのこれまでの経験で、それらしい展示方法を提示してきますが、研究内容や何が本当のポイントなのか、本当に理解して展示方法を提示しているわけではありませんから、どうしても小手先の展示技術でちょちょと処理してしまう場合がほとんどです。

私が関わった展示では、展示業者はあくまで最後の施工の担当と考える方針で、展示場での内容の構成、展示方法も、図面に実際に描く作業をしながら展示プロジェクトの中で検討をくりかえす方法をとってきました。私自身は災害は専門外ですが、なるべく早い段階で、展示構成の具体案を絵として示しつつ、さらによい展示表現がないか先生方と検討を加える方法がいいのではと考えています。

テーマ展示の難しさ

日本の博物館や美術館で必ずはいるテーマというものがあります。恐竜展・印象派の絵画展・国宝展示などの人気定番テーマで、背景にファンやマニアという応援団がいる分野です。歴博で入館者が多かった企画展示に、「小袖屏風(近世の小袖を屏風にしたもの)」、「貨幣(特に大判・小判が人気)」、「陶磁器」等があげられます。いずれのテーマも一般に根強い人気があり、しかも展示資料が美しい(私はこれを光りモノ展示と呼んでいます)いう特徴があります。人気を博す展示の別の側面は、キャッチフレーズによく現れると思うのですが「今回日本初公開」、「今世紀最後の公開」など、展示の内容とはかかわらず、見ておかなければ損とおもわせる方法です。または少しエログロ的な内容も人気があります。

このように、観客動員数が多い展示の要素は、残念ながら研究内容のレベルの高さというより、ファン層が厚いテーマや、希少性の高いモノがどれだけ多く見られるかなどに関心があつまる傾向があります。ですからそれだけに、研究レベルの高いテーマ性のある企画展示ががんばり、観客動員を高める理由があると思うのですが。

今回の企画展示

今回の企画展示の特徴は、研究面ではすでに非常にレベルの高い成果が存在するということと、災害というジャンルでくくられてはいますが、かなり多岐にわたるということです。ですから展示コンセプトとして、歴史災害研究で解明された分野を個別に展示するのか、それとも最終的には展示全体として一つのコンセプトでまとめた展示に(たとえば「防災」)するか、恐らく展示の方針として早急に決定する必要がでてくるのではと思います。

ただ、その場合コンセプトをあまり抽象的な方向に設定してしまうと、展示することは非常に難しくなります。 私が関わった歴博の企画展示「倭国乱る」の実例をあげてみましょう。この企画展示は、弥生時代の戦いの歴史をテーマとしてあつかいつつ、戦争について考え、平和を訴えるというコンセプトでした。ビジターがみた印象は、個々の戦争の事象、しかも考古学の展示ですから武器や戦争の痕跡や人が殺された証拠が並び、そして最後に平和を守りましょうという宣言が唐突に提示されるという印象をもったと思います。そこからなぜ平和を守らなくてはならないのかという抽象的な概念は、パネルで文字によって説明したとしても(そもそも観客はあまり展示場では文字パネルを読まない)非常にわかりにくくなってしまいます。

入館者目標???万人

さて最後に、観客動員という観点から見た場合、災害そのもののテーマについての関心は非常に高いと思いますが、展示としてはまだなじみが薄く、災害という文字だけで観客が押し寄せるとはおもえません。おそらく一般の観客にとって今回の企画展示名(まだ暫定ですが)「歴史資料と災害像−歴史災害から何を学ぶか−」をみて、「いったい何が展示してあるの」という印象をまずいだくのではないでしょうか。歴博では広告代理店を導入して宣伝につとめていますが、彼らの俗な業界用語でいえば、「露出度(宣伝効果)をたかめるための売りは何か」ということになります。決して宣伝のためにテーマや内容を考える必要があるといっているのではありません。しかし展示資料も含めて、災害という場合、何が人を展示場までわざわざ足を運ばせる動機づける要素となりうるか、展示という手法での公開がまだほとんど未知数なだけに、考えておく必要があろうかと思います。

初出 ニュースレター『歴史・災害・人間』1号、2001年5月

展示視点の異相 西谷 大

郷土の災害施設の展示がわかりやすい理由

今回は、防災関係の施設や展示として、気仙沼防災センター、唐桑津波体験館、久慈市防災センターを見学してきました。いずれも、規模は小さいのですが、地域の防災意識を高めるという、明確な意図で展示をしているため、見やすく理解しやすかったことに感心しました。

そして、これら地域で災害を展示する有利な点は、当然のことですが三陸ですと、津波という災害が人々にとって身近な存在であり、関心度がすでにかなり高い点にあることです。それと博物館を一歩でれば、周囲はいわば野外博物館であることです。つまり、展示場で災害と密接に関係するリアス式海岸と湾や土地の雰囲気を、くわしく復元し展示しなくても、実物の景観が存在し、自然に土地勘が体得できるという最高の展示場が周囲にひろがっていることです。これは三陸に限ったことではなく、それぞれの土地で災害展示する最大の利点といえるでしょう。

ところが、たとえば歴博で展示した場合、周囲に災害がおこった景観があるわけではありません。また津波という災害の関心度も格段に違います。おそらく、災害展示の場合、展示を理解してもらえるかどうかは、土地勘のない人々にも、災害と景観が密接にむすびついており、その雰囲気を限られた展示スペースでなんとか体感してもらうことが、ポイントになってくるかと思います。

ビジターには展示場で、なるほど災害の原因はこうで、こういった地形だからこそ、このような災害がこのようにおこり、人々がこんなふうに対応したのか、と見てもらいたい。それには例えば、津波ならリアス式海岸と湾、善光寺地震なら、アルプスに取り囲まれた長野平野と犀川、飛越地震なら立山カルデラと狭隘な渓谷と富山平野の景観をそれぞれの災害をうまく組み合わせ、理解しやすいように展示できるかどうかが課題かと思います。

理系と歴史学を結ぶ視点

さて、今回の展示のおもしろさの一つは、災害を通じて、理系と歴史学の研究者が災害展示を作りあげていく点です。実際の展示場で、二つの研究分野を結びつける場となりえるものの一つに、景観と災害復元が一つのベースになっていくるのではと思います。

先日(2001年7月14〜15日)行われた第2回研究会(地震部会)では、具体的な展示イメージをつかむための第一案として、善光寺地震を取り上げ、理系と歴史学を結びつける一つの方法として「善光寺地震大絵図と現在の地図上復元案」を提示いたしました。津波についてはまだイメージが固まっていません。そこでここでは飛越地震の場合を例にとりあげてみたいと思います。この地震の場合、おそらく二次災害の原因になる立山カルデラと、土石流が下る狭隘な谷、その先に広がる富山平野を、立体的に展示場で展開しなくては、土地勘のないビジターにとっては非常に平板な展示になってしまい、いったいどこが大変なのという印象をもってしまうと思います。

展示の一つのイメージとして、まず理系の災害研究側からの視点として展示場では、あの迫力のある立山カルデラをなんとか景観復元し(3Dを考えています)、災害の原因から展示を始め、観客は土石流になって狭隘な渓谷を富山平野に下る。富山平野では反対に社会からみた災害である、歴史資料を展開させるという展示方法です。10月の研究会で、具体的な案を提示したいと考えています。

歴史学はえてして、人間の目から降りかかる災害を見ています。反対に、理系は災害側から人間社会を見ているように思えます。結局のところどちらも最終的には災害を通じて人間社会を研究しているわけですが、すこし視点が違う。この視点の異相を、無理に融合させるのではなく、素直に展示場でも、土地・景観を媒体として展示すれば、わかりやすい展示になるのではないかと考えています。

初出 ニュースレター『歴史・災害・人間』2号、2001年7月

災害展示のメッセージ 西谷 大

今回の災害展示のメッセージはいったい何なのかということを、よりはっきりさせる段階にきたと思います。理系の場合と歴史学とでは、同じ歴史災害をあつかっても、かなり視点が違います。理系の展示に対する期待は、まず過去の歴史災害のメカニズムと被害状況、次にそこから導き出される防災のための具体的方法と、人々の防災意識を啓蒙することに関心が高いように思います。一方、北原さんが意図するのは、防災といった観点だけでなく、これまでの歴史災害において、人々がどう災害とむかいあったのか、そこには復興と一言で簡単にかたづけられない世界が広がっている、むしろそこに現在の私たちが学ぶべき姿あるといった視点だと思います。

さて前回東北大学で開かれた津波研究会で、災害を展示する意味はいったい何かという議論がでました。市民の防災意識の喚起を呼び起こさず、歴史災害を教訓的に扱わないような展示は意味がないという意見に対して、ゲストスピーカーである原田憲一さん(山形大学理学部地球環境学科)から、歴史災害を今までのように「防災」という視点だけで捉えるのでは不十分ではないかという意見がだされました。

原田さんは、災害も地球の歴史の一コマとして捉え直せば、自然活動の一つであり、例えば火山活動も地球の造山運動の帰結にすぎず、「人間の歴史の間に火山爆発があるのではなく、人間の歴史は火山爆発の歴史の間をぬって生きつづけてきた」としてとらえられるべきだと主張しています。そして、地球大の視点をもって人間と大地の関わりを文明史的観点から解明していく必要性を提唱し、それが「文理融合」の新たな学問の創出につながると強く主張されています(原田憲一「日本の進路と地学教育の役割」『二一世紀の地学教育を考える大阪フォーラム』報告書、2001年5月)。

今回の展示の意図より、はるかにスケールが大きい意見です。展示のメッセージはいったい何なのかという問題が、常に頭のすみに引っかかっている私のような災害研究の素人にとっては、なるほどこういう視点もあるのかと勉強になりました。

第3回研究会(地震部会)のおり、武村雅之さん(共同研究者,鹿島建設地震地盤研究部)が、「関東大震災に関係した講演をしても、ようするに聞きにくる方の最終的な問いは、結局のところ自分の住んでいるところが安全かどうかですよ」という言葉が印象に残っています。実は、私も自分が今住んでいるところが、関東大震災規模の地震が発生したとき、安全かどうかという質問をしました。

災害を防災という視点だけで、展示をおこなえば、地域の歴史とそこに今住んでいる自分自身の身の安全に、市民の関心が集まるのは当然だと思います。ですから、佐倉で展示を開催し、主として首都圏の人々の来館を対象とした場合、関東でおこった地震などの歴史災害だけに重点をおいたほうが、はるかに一般市民の興味を引くであろうことは容易に想像がつきます。また防災という視点だけですと、たとえば日本各地で展示をおこなったとしても、その地域に関係する災害についてだけ展示すればいいという発想にもつながります。

しかし、今回の展示の目的は、けっして地域の防災意識を高めることだけに限定したものではありません。災害というものを、さまざま側面からとらえるだけでなく普遍化しつつ、しかも具体的に展示を組み立て、広く市民にみてもらうための戦略をたてるには、「歴史災害から何を学ぶか」という、その「何(復興)」の部分をより強調する必要があるかと思います。

さて、少し話題をかえて、人々はなぜ博物館に足を運ぶのかという動機の一例を、最近の展示から考えてみたいと思います。歴博でこの夏、企画展示「異界万華鏡」を開催し、六万人近い入館者を記録しました。しかも、客層が今までとは異なり、若返ったことが大きな特徴だったと思います。一部に「お化け屋敷」だとか、「研究展示ではない」とか、「大衆に迎合している」などの批判があったとも聞きます。しかし展示内容は、妖怪・占い・あの世を研究課題としている研究者の、根拠のある学問的成果を展示した研究展示でした。展示室は熱気にあふれ、展示室内部でビジターが「またこようね」というやりとりをしているのを何度か聞きました。なぜ、ビジターの共感をよんだのでしょうか。

ただ資料を並べただけの展示が多い歴博の企画展示のなかで、展示場で妖怪に関係したさまざまな遊びをとり入れた参加型の展示や、ベストセラー作家の京極夏彦さんを交えたフォーラムを開催するなどの工夫も来館者の多さに結びついていると思います。それだけでなく、展示内容が自分たちの心の中にある、不可思議なもうひとつの世界がいったい何なのか、それを知りたいという気持ちを展示に投影した点にあったのではないでしょうか。見る側はおそらくそれほど明確に意識していないでしょうが、いったい人とは何か自分とは何かという疑問を無意識に感じており、それを展示から読みとろうとしたことが、人々を展示場に足を運ばせた動機の一つになっているのではと想像しています。

これまでの歴博の常設展示に欠けていたものはなにか。それは一言でいえば、おもしろいとおもわせる要素、つまり見る人に感動をよびおこす要素だと思います。情報は盛りだくさんです。でも、人を感動させる展示ではけっしてない。私にとって人を感動させる歴史展示とは、歴史のダイナミックな流れを感じさせ、人とはいったい何者なのかという問いを、見る側に感じさせる展示です。私には、かつて歴博の展示を変えてみたいという夢がありました。旧石器・縄文・弥生、そして古墳から奈良時代、さらに中世から近世への移り変わりを、時代ごとに個別に展示するのではなく、一つの空間でまるで螺旋階段のように歴史の流れが一望に体感できるという展示です。人の一生をたどるように歴史をたどれる。見る側は、展示の前に立つだけで、個別に切り取った時代の一側面や歴史的事実だけでなく、圧倒的な人の歴史の流れを感じ取れるという展示です。

インターネット上のデジタルミュージアムは、多くの情報を瞬時にえることができます。しかし、画面からは感動させるパワーは、私には感じられません。情報発信や、展示を教育に使うことも博物館の機能の一つとして必要でしょう。しかし、それだけではおそらく博物館が、人に感動をよびおこす存在にはならないと思います。感動のない場は、やがて見捨てられます。

市民の災害に対する関心は、本当は非常に高いと思います。しかし、一方、人には災害という現実を直視せず忌避し、すぎさってしまえばなるべくすぐに忘れようとする傾向があります。ですから大変な努力をして、ハザードマップを製作し、災害危険地域の住民に配布してもなかなか見てもらえないのが現実のようです。今回の展示が災害に対するさまざまな面を、一般の人に知ってもらいたい。さらに災害に対する意識を変える一つの足がかりにしようとするならば、日本人が災害に対してどう対処してきたかを強く主張する意図はよく理解できます。いいかえれば災害を通じた、日本人の人と自然との関係にまで足をふみこむ必要があるのでしょう。また災害を通じて人とは何かという側面から、見る側の心を動かすような展示を組み立てる努力をしない限り、災害に対する人々の意識も変わらないのではないでしょうか。今回の災害展示に、理系の災害研究と人を織り込んだ歴史性をあわせもたせる意味は、まさにこの点にあるように感じています。

初出 ニュースレター『歴史・災害・人間』4号、2001年12月

展示構想たたき台第一次案 西谷 大

この一年、展示構想にむけて、研究会を進めてきました。来年度以降は、展示プロジェクトとして、展示にむけてより具体的な作業にはいっていきます。そこで、今回は、この一年間のまとめとして、展示方法の考え方と問題点を提示しておきたいと思います。

コンセプトの方向性と展示方法

展示通信4号で述べましたように、今回の展示でビジターに伝えるメッセージはいったい何なのかということを問題にしました。そして、理科系の側面と歴史性を織り込んだ展示のおもしろさとを、いかに展開するかがポイントになり、人に感動を与える展示とは、やはり人間とはなにかといった、人そのものを中心にすえたコンセプトではないかと指摘しました。今回の展示で、北原さんは最後のコーナーで「災害と人の社会」をテーマにし、災害の後の人と社会が、どのように再生していくのかという姿を中心に展示を展開させようとしています。これまでの、研究会で教えていただいた内容を、いくつかのタームでくくり、それをおおまかな展示方法と関係させてまとめてみました。

  1. 導入 雲仙普賢岳平成噴火を現代遺物からその一端を体感する。
  2. 津波 津波のあとに人々が残したものは?過去の津波をリアルに再現しつつ、未来の地震・津波も予測する。
  3. 地震 地震の実態を絵図と文字資料から立体的に、時間の流れで読み解く。災害は、人々をどのように駆り立て、歴史はどう動いたのか?
  4. 火山 浅間−火山の歴史と人々の生きる力を三次元的に解き明かす/雲仙普賢岳−災害絵図はなぜ描かれたのか。その謎を手がかりに災害の実態と人々の思いを描く/富士山−信仰の山、富士山。描かれつづけた山の絵の歴史をたどりながら、宝永噴火に光をあて、その意味を探る。
  5. 再生 象潟−失われた景観の復興をめぐる人々の葛藤/稲荷山と阪神大震災−町並みの再建か らみた復興の意味/なまず絵−絵に託された人々の未来への夢と希望。

今回の展示の難しい点は、災害を読み解く視点が一つではないということです。例えば、地震や火山、それに津波、それに人間をもすべて、地球上の自然の所与の構成要素としてとらえ、自然がおりなす大地のドラマと、人を自然に生かされてきた姿として描く。つまり人間社会は、自然的世界の上にのっかかって存在していると読み解く。これとは反対に、火山・津波・地震といった地球の動きを、人間側からみて、社会を混乱させる「災い」であり「害」として捉える視点もあります。では、たとえばこの二つの方向性を、展示で同時に表現するにはどのような方法をとればいいのでしょう。具体的に善光寺地震の例をとってシミュレーションして、考えてみたいと思います。

善光寺地震とは、弘化4年3月24日(1847年)の午後9〜10時ごろに、長野県の善光寺平を震源として発生しました。規模はマグニチュード7.4と推定されています。ちょうど、善光寺御本尊の御開帳が始まり、全国から7、8千人の参拝者が善光寺周辺に集まっており、このことが被害を大きくします。さて、この地震の特徴は、時間の経過とともに、二次災害が発生することです。山崩れ4万か所余、虚空蔵山の山崩れの土砂は犀川をせき止め、現在の明科町にまで達する長さ30キロメートル以上の自然湖ができます。4月13日、この湖をふさいでいた土砂が決壊し、下流の長野盆地は大洪水にみまわれました。しかし、このとき真田藩では、すでに決壊を予期して対策をたてていたので、洪水による死者は約100人にすぎなかったといわれています。

地震は三つの段階に分かれます。地震発生→犀川のせき止めと自然湖の形成→自然湖の決壊と洪水です。この時間的な推移を展示室にも復元し、展示スペースをこの時間軸にそって三つに分割します。展示室のコーナーの入り口から出口までが、時間の経過そのものを表現しているわけです。

さて、善光寺地震では「善光寺地震大絵図」を、展示の中心にすえます。この絵図は、3つ時間の違う地震の発生と二次災害の様子がすべて一つの絵図上に描かれています。そこで、展示する場合は、反対に、絵図の中の時間ごとに災害の段階を抜き出す形で展示していきます(図参照)。「善光寺地震大絵図」は1枚しかありませんから、原図は、タッチパネルによる解説などで、じっくり本物をみる展示にする。時間軸にそって展示する絵図は、写真複製などを使います。

地震の実態、つまり何が起きたか、なぜ起きたかは、理系の守備範囲とすると、人々はがどのように行動し、そして歴史はどう動いたのかという分野は歴史学です。二つの分野の視点を、「善光寺地震大絵図」を中心として、対立する二つの軸として展示する。つまり、地震の発生と二次災害、そして洪水というダイナミックな流れは、あくまで自然側から描き、「災害」に対する人々の対応は、自然とは平行させる形で展開するわけです。

こうすることで、ビジターに同じ資料でありながら、視点が異なれば、コンセプトと引き出す情報もまったく違ったものになることに気づいてもらう。そしてこの視点をつなげる役目を絵図がはたし、それと同時に時間のながれと展示全体のインデックスにもなるという方法です。いわば、理科系と歴史系のそれぞれに学問が立脚する立場を主張する論争を展開します。この展示方法は、私たち展示する側が、統一した押しつけ的な結論を、ビジターに提示しないという、歴史系博物館ではあまり試みたことのない展示方法です。私はこれを「論争展示」と称しています。

こうすることで、北原さんが意図している同一の資料を使いながら、理学系・工学系と人文系の研究者がそれぞれの立場の研究成果を展示したいという意図にも、そうことができるのではと考えています。しかしすべてのコーナーで、このような展示方法をとる必要はなく、むしろ個々のテーマによって、もっともわかりやすい展示方法を提案するつもりです。

テーマ数と展示効果

ここで話題をかえて、テーマ数と展示効果について考えておきたいとおもいます。現在の提案は、5つの内容から構成されています。1)導入部、2)津波、3)地震、4)火山、5)再生です。実際に展示を図面上や立体図として構成してみて感じたことは、まずテーマが多いということです。津波・地震・火山・再生への道を仮に四大テーマとすると、その下に、さらに個々の中テーマがあります。

  • 津波(三陸、明治38年、昭和13、昭和33年チリ津波、元禄地震津波[千葉房総]、安政東南海津波、南海地震と津波)
  • 地震(飛越地震、善光寺地震、元禄地震、安政江戸地震、関東大震災)
  • 火山(富士山宝永噴火、天明浅間噴火、雲仙普賢岳寛政噴火)
  • 再生(象潟、善光寺地震稲荷山と阪神大震災、なまず絵)

テーマ多いだけでなく、問題は、各テーマが、時代も異なれば、発生した地域も違うということです。展示場では、ビジターに基本的な情報として、災害が発生した地域・時代・過程・メカニズム・人々の対応といった情報をすべて提示するとします。しかも単純に、従来の実物資料とパネルを使った説明とすると、ビジターは、いったい今目の前に何が展示してあるのか、情報量が多すぎで理解するだけで大変です。情報が豊富すぎると、かえって結局見終わって一言「色々あった」という印象の薄いものになるとも限りません。

これでは、こまるわけで、展示はビジターがみて心に残るお持ち帰りが必要です。印象の残る展示、感動を呼ぶ展示があってはじめて、たとえば災害に対するさまざまな面での意識の変化につながると考えているからです。またこのことが、入館者増のためにも重要なポイントになってくると思います。

観客動員には、宣伝や巡回展示的な方法も大事ですが、口コミは実は非常に大きな力になります。ある調査によると、来館する動機になったおよそ8割が、知り合いからの口コミだったという結果もあります。ですから、展示を見た人が周囲の人々に話題として語るとき、「色々展示してあったけれど・・・・」と表現されるのと、「バラエティーはあるし、どこそこがおもしろかった」とでは、口コミの威力は全然違います。やはり、内容のおもしろさとともに「展示のメリハリと売り」は必要です。口コミで広がってほしい言葉は、「え!まだあの展示をみていないの」です。

ですからテーマに関していえば、内容によっては、図録での説明を強調するなどの方法で、展示テーマをもう少し絞り込み、内容のボリュームを少なくするか、各テーマによって展示スペースにも強弱をつけたほうが効果的な展示になると思います。

資料のジャンルを広げる仕掛け

展示通信の1号で指摘たように、今回の展示は資料を展示するだけで人が呼べるといった、美術展示や国宝展示ではありません。展示資料は、絵図・古文書などの歴史資料や、それに火山灰などで埋まった村の発掘状況の写真、火山灰や熱泥流の痕跡をしめす土層とその剥ぎ取り、埋まった当時の生活用品(非常に少ない)などの考古資料です。災害の被害の実態や規模、それにメカニズムなどを示す資料も、コンピューターグラフィックや、明治以降であれば写真や映像、それにメカニズムや災害の過程をしめす図表類です。これに模型を加えることが可能です。

しかし、今回の展示でも、工夫によっては美術系の資料を展示し、客層の幅を広げて観客動員の材料にすることは可能ではないかと考えています。例えば、最後のテーマ「再生」では、象潟地震をあつかうことになっています。象潟は、1804年(文化1)6月4日の直下型地震で土地が2.5メートル隆起する以前は、東の松島ともよばれ、そのころの自然美は松尾芭蕉の『おくのほそ道』に「象潟や雨に西施が合歓の花」と詠んだように、当時から全国的に知られた景勝地でした。まさに「失われた景観」である象潟とは、当時いったいどのような姿だったのか。その姿を象潟図屏風と松尾芭蕉の目もかりて、より鮮明に浮かび上がらせられないかというのが一つの案です。つまり展示資料として、屏風とあわせて松尾芭蕉の直筆の書などを展示するという方法も考えられます。

また富士山の宝永噴火は、実際の噴火の実態や、それが当時の社会にあたえた影響などが展示の中心内容です。その導入として、日本人が信仰し続けた富士山としての側面を強調するため、描かれつづけた富士(平安〜現代)を時系列に並べ、その中で宝永噴火という時期を浮かび上がらせる展示方法を模索しています。そこで例えば、江戸時代の描かれた絵画資料として、葛飾北斎の冨嶽三十六景を展示してみてはどうでしょうか。

文学や俳句、それに書や浮世絵を愛好する方の層は非常に厚く、松尾芭蕉や葛飾北斎の作品を展示することで、いままでに歴史や災害などに興味をもっていなかった人々も、展示場に足を運ばせるきっかけになると思います。災害だけに関した歴史資料を展示するだけでなく、視点をかえ少し資料の裾野を広げる。そうすることで、様々な美術系の作品も、今までにない側面に光をあてることでき、展示にも活用できると思います。

展示開催まで、残すころあと600日をきりました。今現在寺田さんが、展示資料リストを作成しています。今後展示を具体的に展示の構成案を作り上げていくには、コンセプトと展示資料両者のキャッチボールをくりかえしつつ、それにあわせて常に完成した展示場の姿を具体的を描くという作業が必要です。今回提示した案は、ほんのごく一部の展示案です。四月からの展示プロジェクトが成功するかどうかは、いかにして共同研究員の方々に、気持ちよく学問的確かさと実現性をかねそなえた議論の渦をまきおこせるかにかかっていると思います。

「お楽しみはこれからだ」です。

セブン-イレブンと博物館 西谷 大

京都国立博物館と東京国立博物館で開催していた「雪舟」展が閉幕しました。観客動員数は京都会場が約22万人、東京が29万4,446人と入館者数では大成功に終わりました。週末の1日の入館者数が1万人を超えた日は、ほとんど「見る」という状況ではなく「流れていく」という様子でした。毎日新聞の連日一面を使った宣伝活動やテレビをはじめとするさまざまマスコミ媒体が記事としてとりあげたことも効果があったことはもちろんでしょう。この展示のキャッチコピーがすごい。「人は彼を画聖とよぶ」「見逃せば、次は50年後。それまであなたは待てますか」。さらに「50年ぶりの回顧展」「史上最大規模の展覧会」「国宝」といったコピーがならびます。

しかし、人々を展示場に足を運ばせた動機づけにつながったのは実はこのコピーの他にもう一つ存在したのではないかと考えています。雪舟の水墨画は、小学生の教科書にも掲載されているくらいに有名です。例えば水墨画の「秋冬山水図」は、その名前は知らなくても、見れば「ああ、切手にもなったあの絵か」と誰でもが一度はどこかでみたことがあると思います。また有名な涙でネズミの絵描いたという逸話など、私たちの脳裏に刷り込まれた「水墨画の巨人」というイメージと絵の認知度がすでに非常に高かったことがやはり一番の要因ではなかったかと思います。

大衆娯楽の神様ともいうべきウォルト・ディズニーが、自身の映画作品や事業が成功してきた理由をこのように説明しています。「よその連中は大衆を本当に理解していない。僕たちは何をするにしても、心理的なアプローチを工夫してきた。大衆の心の扉をとんとんとたたく、そのタイミングを心得ている。ほかの連中は知性に訴えようとするるが、僕たちは感性に訴えることができる。知性に訴えようとしたら、ほんの一握りの人たちしかアピールしない」(ディズニーランドは、新しく開館したディズニーシーを併せると、2001年の入場者数がおそそ2,200万人。歴博の約100倍)。

「雪舟」展の入場者数における成功は、まさに日本人の私たちの知性に訴えたというよりも、刷り込まれた水墨画=雪舟=国宝という、本物の絵を一度は見てみたいという気持ちと、見ておかないと何となく損したような気持ちになるという感性に訴えた宣伝が効果を発揮したといえます。ちょっと意地悪な見方をすれば、この方法は私たち日本人の感性にだけ通用する方法であり、もしこの展覧会を例えば韓国や中国で同じように展示したとしても、これほどの観客動員が可能だったかどうか疑問だと思います。

いずれにしても今回の「歴史災害展示」のように、研究レベルが高いが名宝展示ではない。しかし多くの人にみてもらうには、これまでも述べてきたように、やはり人々の知性だけでなく感性にも訴え、それが感動につながるような展示方法も考える必要があると思います。

さてこれだけ人々の価値観が多様化した社会で、研究展示に足を運ばせ、しかも一般の人にわかりやすくするにはどうしたらいいのかということを考えているときに、たまたま展示とはまったく関係のない本にであいました。本の題名は、『セブン−イレブン流心理学』(国友隆一、三笠書房)です。コンビニと博物館の展示を比較すると、まじめな先生方からおしかりを受けそうですが、「べたべたされたくはないが、無視されたくないがお客の心理」、「平均滞在時間は5分以内」、「商品がたくさんある時といろいろある時−売れるのはどちらか」など、いずれも言葉を少しおきかえれば、展示場でのビジターの気持ちを考えたり、この他にも博物館事業そのものを考えるのにヒントになるようなおもしろい内容が並んでいます。

主張の中心は、セブン−イレブン・ジャパンの鈴木敏文会長の「今、必要なものは経済学ではなく心理学である」という言葉に集約されています。いかにして消費者の心理を読み解くのか。このことがコンビニに人々を足を運ばせ、品物を買っていただく鍵になるというのです。事実セブン−イレブンは、コンビニ業界のなかではトップで、経常利益は二位のチェーン店の約四倍にものぼるそうです。

まず客の心理と品物の並べ方、展示にいいかえればディスプレーの方法の一例を紹介してみましょう。例えば、商品を取りそろえる方法としてよくないのは、あの狭い店内の面積に、少量のものを多品種にそろえることだそうです。この方法では結局売り上げは伸びない。むしろ、これぞという売れ筋のものを集中的に量を増やし目につくように並べ、お客の目を引くようにするというのです。前回「展示のメリハリと売り」で情報量が多すぎすると見る側の視点が散漫になり、かえって結局見終わってから「色々あった」という印象の薄いものになるとも限らないという話を書きました。コンビニの店内でも展示と同じで、まずお客の印象に残るディスプレーが重要で、それには明確な売れ筋の商品を把握することと、商品の並べ方に明確なコンセプトをもつこと。展示におきかえれば、「色々あったが、何を見せたいのかわからない」という、コンセプトの不明快さは極力避けなければならないということでしょう。

展示には明確なコンセプトが必要であるということで、参考になりそうな例をもう一つ挙げてみたいと思います。99年4月からセブン-イレブンでは、ご当地ラーメンというのを売っています。当時メーカーは新しい即席麺を次から次へと開発していましたが、そのコンセプトが曖昧なため売り上げが今ひとつ伸びなかったそうです。しかし、セブン-イレブンは、ラーメンには地域差があること、地域によっては広い範囲で人気を博し全国的に名前が知られているご当地ラーメンもあるということに注目しました。これで発売したのが、独自開発した札幌・和歌山・尾道ラーメンで人気を博しました。さらにこのコンセプトから一歩踏み込んで、有名ラーメン店の味を再現した即席麺を発売し、地域から店へと焦点を絞ったそうです。これが大当たりました。

横浜に「ラーメン博物館」という、日本各地の人気ラーメン店が出店しラーメンを食べさせつつ博物館の形をとっている人気スポットあります。年間の「入館者」は、およそ百万人です。一階は、ラーメンの歴史を展示しつつ、グッズの販売をおこなうコーナーも併設しています。地下では、昭和30年代の町並みを復元しつつ、そこに日本各地のラーメン店が出店しています。ラーメン販売促進と研究展示とは次元の異なる世界だと無視することも可能ですが、セブン−イレブンとラーメン博物館に共通しているのは、明確でわかりやすいコンセプトという戦略です。日本各地のラーメンがセブン−イレブンでは即席麺として簡単に手に入り、ラーメン博物館では、九州や北海道の遠隔地の有名ご当地ラーメンがわざわざそこまで出かけなくても「本物のラーメン」が身近に食べられるというコンセプトのわかりやすさです。そしてラーメン博物館の戦略の上手さは、本当のところはいくつかのラーメン店が集まっているだけなのですが、「博物館」という言葉を使うことで、ただのラーメン横丁ではないという、いわゆる「高級」なイメージを作り上げ、昭和30年代という「ノスタルジア」の世界とともに人々の感性にうまく訴えたところにあると思います。

今回のこの企画展示のコンセプトとして必要なことは「何が展示してあるのか」「災害のいったい何をみせるのか」「売りは何か」ということであり、これについての具体的内容はこれまでの研究会でかなりまとまってきました。つぎに考えなくてはならないのは、そのコンセプトをわかりやすいメッセージとしてどのように伝えるのかということです。今の作業として必要なことは展示場における具体的な展示方法について全体像を提示しつつ議論を重ねるとともに、展示コンセプトが一言で伝わる明快な展示名を考え出すということでしょう。展示名だけをみて「お、行ってみようかな」というものがやはり必要です。それは宣伝方法にもつながってきます。冒頭に紹介した「雪舟」展は、題名と内容が完全に一致してわかりやすいだけでなく、その宣伝方法も「見に行かないと損しますよ」というコンセプトであり、あまりに明快すぎて迷いようがありません。

さて、明快なコンセプトに加えて人々の知性だけでなく感性にも訴えることができる方法が、今回のような研究展示でも可能でしょうか。観客を黙っていても呼べるような有名資料を展示することや、展示技法ももちろん大切です。しかしもう一つ実は最も「売り」になるのは、今回の共同研究および展示プロジェクトメンバーそのものではないでしょうか。具体的方法を一言で言えば「展示の劇場化」です。これだけ多くの理科系と歴史系の研究者が、一緒に展示を構築していくというのは、歴博にとっては初めての試みです。毎回研究会での印象は、その研究発表の明快さとおもしろさです。発表資料は、地図、数字、図面などといった内容で、展示ではあまり見ばえしないか、おそらく見てもらえないものが多いのですが、いったんメンバーの研究者の口から説明されはじめると、それが立体的な情景となって生き生きとしていくる場面を何度も経験しました。美術展示などモノの展示ではなく、研究展示であればあるほど、その展示は研究者そのものを展示することに近づいてくると思っています。今回記名展示にしようとするのは、こういった考えに通じています。展示は、実際に展示した人物が語るのが一番わかりやすいのは当然ですし、実際展示場での展示解説は、観客に人気のある方法のひとつです。それだけなく、やはりその道のオーソリティーが展示を語るという手法は、モノ展示だけでは不可能な別の感動を人々に与える一つの有効な手段です。

展示場で1週間に1回度程度の展示解説ではなく、連日の連続展示解説にする。そして、それを告知広告にも上手に利用し、津波・地震・火山・再生と解説を変えていくことで、それぞれを聞きに来るリピーター効果を狙いつつ、今回の展示の一つの目玉にしていくということも一つの可能性として考えられるのではないかと思っています。

展示は劇的か −色川大吉先生のインタビューから− 西谷 大

色川先生と歴博常設展示

写真でみたことのある白髪ではなく、金髪に髪を染めた色川大吉先生に初めてお会いしました。歴博の常設展示に色川先生の歴史観が色濃く反映していることはあまりに有名です。歴博の展示は、日本の歴史の政治史的な一般概説展示をおこなわない、歴史上の英雄を扱い彼らが歴史を作ってきたような展示はおこなわない、民衆に焦点をあてる、歴史のなから重要なテーマを選び出しそれについて展示する、などが特徴です。

しかし今回お会いしてよくわかったのは、井上光貞初代館長が三顧の礼をもってむかえた色川先生に期待したのは、日本近代史学に新しい視野を開き続けてきた氏の学識の高さだけではなかったということでした。もうひとつの側面は、一般の人々にいかに歴史をわかりやすく理解してもらうか、展示技法そのものに対する豊かな発想力と構想力にも期待していたということです。では色川先生のもうひとつの側面である、歴史をわかりやすく展示する点は常設展示にどのように反映されようとしたのでしょうか。

私には常々、歴博の常設展示に関していくつかの疑問がありました。2年前、私はまだ展示委員会でリニューアル展示(当時は第二期展示計画)に関わり、概算要求のための展示基本計画案のたたき台を作る作業で頭をなやましていました。

歴博の現在の常設展示室は、企画展示室を除くと1〜5室まであります。それぞれの展示室を実際に歩くと、展示室は、テーマごとにかなり細かく壁で仕切ることで、空間を区切り、小部屋状の展示が連続しているかのような印象をうけます。

ところが、実際の建物の展示設計図をみてみると、各展示室は、中心に大きな展示部分があり、その周囲に併設された小さないくつかの展示空間の副室から構成されています。つまり、現在ある間仕切りをとっぱらうと、巨大な体育館のような空間が出現し、その体育館に体育道具をいれる小さな倉庫がいくつかくっついている構造、というイメージをもってもらえばいいと思います。

そこで、一つの案として、この大きな体育館のような部屋を主室として時代を概観できる展示にし、そこでは通時代的な展示をおこなう。その一方で、これに併設されている副室ではこれまでの歴博の蓄積である常設展示のテーマ展示の再利用や、企画展示でおこなった内容の一部を長期の企画展示として活用することで、個別テーマ性を生かすというコンセプトを提出しました。こうすることで、歴博のこれまでの常設展示を再利用しつつ、企画展示を常設展示に反映する道も開け、その結果常に変化する展示を実現できるのではないかという目論見でした。

この案の裏には、まず今後歴博の研究・展示の中長期計画を組み立てて行く上で、いかにして研究・展示を合体させ、しかも経費と人的資源を有効に使うかを解決する具体的方法を考える必要があるという背景がありました。実はもう一つは、ウォルトディズニーの「ディズニーランドは永遠に完成することのないもの、常に発展させ、プラス・アルファを加え続けていけるもの、要するに生き物なんだ。生きて呼吸するものだから、常に変化が必要だ」という言葉に刺激をうけ、「博物館は生き物だ」という、将来の歴博自身の「売り」をどうするかを考えてみたかったこともあるのですが、それをさておいてもです。

確かに井上構想ではそれまでのような教科書的な通史展示ではなく、テーマ展示を指向したのですが、その展示方法は、主室で歴史の全体像がみえる通史的なテーマ展示を、副室ではもっと個別の小テーマ展示をおこなうための設計がおりこまれていたのではないか。どうみても歴博の展示場の構造と設計理念は、当初は、もっと大胆な展示を志向していたのではないか。

色川先生にこの質問を投げかけますと、まさに井上初代館長と色川先生は、展示方法として、主室で日本の歴史を通観できるテーマ展をおこない、副室でもっと専門的な個別テーマを展示するということを構想としてもっていたということでした。このような発想には、色川先生ご自身の個人史の形成が大きく影響していることもご自身から聞くことができました。

歴史家と展示

色川先生は20代には、新劇の脚本、演出をめざしました。「新劇の劇団で演出研究生となっている間に、歴史というものをただ研究し言語で叙述することより、生きた肉体によって、舞台で再現し、直接感覚を通して観客に伝えるほうがおもしろいというそういった表現世界を知った」(『歴史の方法』岩波書店)。がしかし、肺結核のため入院、左肺を摘出手術、そのため医者に肉体的に非常に重労働である演劇の仕事を禁止され、演劇の道をあきらめます。

色川先生が一般読者を対象にして書くものは、難しい内容でもかならず理解してもらえる文章があるという主義が見事までに貫徹されていますが、ご自身が語るように演劇という世界に傾倒したことがその背景になっています。名著『近代国家の出発』(中央公論社)がどのような過程を経て一冊の本になっていったかを、『歴史の方法』で自ら解説していますが、登場人物の設定、ストーリーとそのなかでの山場をどこにもってくるか、そして緻密な展開図、といった本を書く筋道を考える上で、まさに劇の演出を考えるかのように「一般の人にもわかりやすい、イメージを通じての歴史、目に見えるような歴史叙述」として組み立てていったといいいます。

歴博の常設展示の導入部は、海の写真とトンネルという構成で、日本列島が海にかこまれていることをまずイメージしてもらう導入です。これは『近代国家の出発』の書き出し「シベリアの曠野を2台の馬車がよこぎっていた」にこめらた、「歴史叙述では、最初の切り込みというのが全体の構成に決定的な影響を与える」という考えが展示におきかわったものです。

ですから、常設展示の歴博展示の見せ方としての色川先生の目論見も、テーマ展示でありつつ、主室では歴史は劇的であるというストーリー性を重視し、副室は演劇でいうと主役を盛り上げる名脇役的存在という、明確な使い分けをイメージしわかりやすい展示にしたかったといいます。

色川先生は「読者は一般の人である。専門家でもない知識人でもない一般の人に自分のいいたことをわかってもらわなくてはならない。そういう歴史叙述がせまられいる。これは書くものの社会的責任である」ということをいっています(『歴史の方法』)。この「読者」を「ビジター」に、「書くもの」を「展示するもの」と置き換えれば、そのまま展示をおこなう責任者が、考えぬくべき方向性と抱くべき姿勢をみごとにいいあらしているといえるのではないでしょうか。

色川先生が考えていた、具体的な展示の方法から学ぶとするならば、歴史は劇的であり、それはストーリーをもった叙述が必要であるということになるかと思います。しかし、例えば常設展示のように旧石器から近現代までをあつかうような時間幅の長い歴史展示と違って、企画展示の場合、どうしてもある歴史的な期間をとりあげたり、テーマ展示が多いため時代の変化を扱う、劇的なストーリーになりにく側面があります。ところが今回の災害展示は、災害そのものが劇的です。展示場の構成を案を考え始めたころは、津波、地震、火山、再生とテーマが多いと感じましたが、むしろそれを逆手にとって、それぞれを一つの短い劇的な歴史と考え、起承転結で完結したストーリー性をもたせることができる、そして現在展示構成はそのように進みつつあります。

展示の歴史学と「展示通信」

さて歴博は開館してから20年を経過しました。常設展示、そしてこれまでおこなってきた企画展示を、いずれも一つの実験と考えれば、当然ながら成功した面もあれば失敗した部分もあります。しかし、過去の歴博の展示の歴史から学べることがあるとするならば、それは逆説的ですが過去の経験を生かすための展示に関する記録が、あまり十分ではなかったという点にあると思っています。つまり記録に残さないため、これまでの企画展示の経験を上手に生かし、次のステップにしていくことができない。色川先生が当初もくろんだ具体的な展示方法としての主室と副室のイメージも、今回の直接ご本人からきくまでは、実は歴博の記録だけでは窺い知ることは出来ませんでした。

今回のこの企画展示も成功する部分もあれば、やはり問題を残すところも多々出てくると思います。しかし、すくなくとも過去の歴博がおこなってきた企画展示とまったく異なることがあります。それは展示のコンセプト、展示方法だけでなく、展示を組み立てていく上での議論の過程や、展示プロジェクトメンバー個々人の考えを、記録しつつ公開し展示準備を進めていることです。すでにこの企画展示の過程そのものが「歴史化」「史料化」され、後の企画展示を構築するさいの、成功面も失敗面も含めて一つの参考例として使える。『展示通信』は小冊子ですが、実は博物館での展示研究からいえば、「展示の歴史学」ともいうべき新分野を開拓する可能性をひめており、それが発行しつづけることの最大の醍醐味になっているといえるのではないでしょうか。

展示とあそび心 西谷 大

あそび心とは

展示にあそび心は必要か、というのが今回の課題です。

教育カウンセリングが専門の國分康孝(東京成徳大学教授)さんは、あそび心について次のように語っています(『PHP』平成6年11月号より)。

氏によれば、「よく遊びよく学べ」と小学校でおしえられた人間は、勉強と遊びの二元論を持つことができるといいます。あそび心の乏しい人は、「人に認められなければならない」という考えが強い。その結果、目標達成志向になり「脇目もふらず式」になってしまう。例えば遊び心のないあまりにひたむきな学校の先生は、授業にしか頭がなく勉強一筋の人生しかしらない。ひたむきなところは好感がもてるが、生徒にとっては人生学が学べないという物足りなさがでてしまう。

またあそび心のない人が落ち込みやすいのは、燃え尽き現象だといいます。あるとき自分の人生に突然価値をみいだせなくなってしまう。

ではどうすればいいのか。國分さんはあそび心のエッセンスは、「人生には絶望するほどシリアスはことはないものだ」という人生観と、「人殺しと泥棒以外は何でもしてみようという心意気」だといいます。そして「歯を食いしばって目標を目指して一目散に走るのではなく、途中のプロセスを楽しむ。これなら燃え尽きを予防できる」と主張しています。つまりあそび心の効用は、「自分の人生哲学を検討すること」であり、人生の生き方にあそび心もった豊かな感性をもった教師は、生徒の立場を理解できる場合が多く、生徒を引きつける力があると主張しています。

私にはあそび心をもつということは、人に魅力を与えるだけでなく、展示にも豊かな感性を作りだし、展示を広く一般の人の興味を引きつける大事な要素に思えてならないのです。

指宿市考古博物館のあそび心

指宿市考古博物館を例にとってみたいと思います。この博物館の開館を手がけた学芸員の下山覚さんは、博物館を作る前にまず市民に博物館に対するイメージを知るためアンケート調査をおこなったそうです。すると博物館に対するイメージは、「堅い、暗い、気取っている、難しい、敷居が高い、まじめ過ぎる」と非常に否定的な反応でした。下山さんは、それとまったく正反対の「明るい、やさしい、おもしろい」博物館を作るという基本方針をたてました。

この号の「展示対談・リターンズ」で、指宿考古博物の概略はすでに紹介してあるので、詳しい展示の全体像には言及しません。展示はCGやジオラマを使い、展示資料はビジターが自由に触れることができるなど随所に工夫がなされています。しかしここの展示のおもしろさは、こういった最近の博物館では次第に当たり前になってきている展示技法だけではありません。

展示の入り口では、実物大の縄文人が観客をむかえます。握手をすると「ようこそ」としゃべってくれます。しかしこの縄文人には、もう一つの仕掛けがあります。縄文人は腰巻きを着ているのですが、それを下から覗くと男性の大事なものがしっかりと表現されています。いったいこれが展示にとってどういった意味があるのでしょうか。一見すると「ふざけている」ともとられかねない表現です。

一般のビジターは、少なくとも展示されている内容に興味がある人が自主的に訪れる場合がほとんどです。ところが小学校から課外授業や修学旅行などの目的で、団体で博物館を観覧する場合は自主的ではなくどちらかというと半強制的です。ですから小学校の団体に学芸員が展示解説をしても、つまらなそうにして聞こうとしない生徒が必ずでてきます。友達同士でしゃべり出す子どももいます。しかしなぐるわけにはいきません。

しかも今の小学校の六年生の社会科の教科書は、いきなり弥生時代からはじまり縄文時代や旧石器時代は省いてあります。副読本には、一応旧石器、縄文、弥生時代の解説があるのですが、興味のない生徒のなかには、基本的な知識さえない子もいます。

下山さんたちは、ふてくされ説明を聞こうとしない生徒を誘って「この博物館の秘密を教えてやろう」とこの縄文人の像を足下から上をのぞかせ例のものをさわらせるそうです。すると「え、博物館がこんなことやってていいの。」といっておどろき、博物館の秘密を共有するという、ちょっとしたあそび心で、いままでそっぽを向いていた生徒も下山さんの話を聞くようになるそうです。

これを私は博物館展示解説における「秘密の共有モード」と呼んでおり、私は歴博でも応用しています。歴博では教育プロジェクトの一環として、小中学校の先生に歴博を利用する方法を研究するだけでなく、希望があれば小学生に展示解説をしています。

私は小学生に展示解説をするときは、展示室から解説をするのではなく、まず歴博の地下室につれていくことにしています。資料を搬入するトラックヤードや収蔵庫の一部分や考古整理室での土器の復元や実測図をみせます。そして「ここは普通は公開されてへん。みんなに見せるのは初めてや。そやから内緒やで」。そして博物館が、展示だけでなく、研究や資料の整理や収蔵する側面をみせて、土器や動物の骨などさわっていいものはさわらせる。いきなり展示室で縄文時代とは、と大上段に構えて解説していたときよりも、はるかに博物館そのものに興味をもち、私のへたな解説も聞いてくれるようになります。

さてもう一つ子どもをひきつける方法に、「身近な生活モード」があります。指宿市考古博物館の展示に戻ってみましょう。ここでは古墳時代の橋牟礼川遺跡の集落を実物大で復元し、当時の生活を再現した部屋があります。住居のそばの地面には、馬糞を模型にして復元しています。馬糞がなくても展示テーマとは関係ありません。しかしちょとしたこの展示工夫が、展示解説をするときに過去の生活に想像をうながしリアリティーをあたえるきっかけになります。

例えば「まだまだ過去の生活にはわからないことがたくさんあります。ここでは、馬糞を展示していますが、じゃあ当時の人は馬糞をどうやって処理したのか。村のなかにそのまま放置していたのか。それとも肥料にしていたのか。本当のところ人々の生活の日常的なことはわかっていないことは実に多い。糞の話のついでに、じゃあ縄文人、弥生人、古墳時代の人はウンコをしたあと、おしりはどうやってふいていたのか。こんなごく日常的ことも本当のところはよくわかっていません」。

別に便所を話を永遠にするわけではありません。次には、では現在考古学的な方法でいろいろとわかってきたことは何かに話をもっていくわけです。

小学生に展示を解説した経験から学んだことは、いきなり研究の成果をまじめにていねいに解説しても、理解してもらえないし敬遠されあきられるのがおちだということです。彼らの日常経験を接点にして話を展開していく。するといままでそっぽを向いていた生意気なお子様も、ちょっとはこちらを振り向いてくれます。

おもしろいと思う側面は人によって異なります。全員がおもしろいと思う展示を作るのは、まず不可能に近い。研究展示のおもしろさを理解してもらうためには、展示の幅を広げておくことが大事なのではないでしょうか。知ることおもしろさのとっかかりを多様にしておくといってもいいと思います。

いずれにしても橋牟礼の展示のユニークさは、「博物館はこうあらねばならぬ」という固定観念や価値観を脱却したあそび心にあると思います。

「生命の星、地球博物館」の展示解説

指宿考古博物館のあそび心が成功しているもう一つの理由は、スタッフが展示解説を熱心におこなっていることです。この博物館の学芸員は、展示だけでなく市内でおこなわれる発掘作業も業務の一つです。現場で発掘作業をおこなっているときでも、もし博物館で展示解説の要望があれば現場からかけつけ展示解説を優先しているそうです。もしも展示解説をしてくれるスタッフがいなければ、この博物館のあそび心を生かした展示も効果が半減するでしょう。

あそび心を生かして作った展示を生かすも殺すも、所詮は展示解説をする人の展示に対する思い入れや情熱にかかってくるということだと思います。

最近は、展示場に展示会説専門のボランティアや展示解説員をおいて展示解説をする博物館が増えてきました。しかし多くは、マニュアルを読むような口調で一生懸命に解説し流ちょうだけれどもなにか訴えるものがない。ひきつけられない。ちょっと例えがわるいかもしれませんが、チェーン店化されたハンバーガー店やコンビニの店員の「心のこもったおもてなし」に似ているところがあります。丁寧な口調だけれどマニュアル化された「心のこもったおもてなし」はどこか白々しく感じることはないでしょうか。

反対に生身の人の解説ではなく、音声ガイドという機械による展示解説にもかかわらず、じつに感性ゆたかで引きつけられる解説をおこなっている博物館もあります。

神奈川県立生命の星・地球博物館は、1995年に開館しました。初代館長は、浜田隆士さんで、この博物館の特徴を次のように語っています。

「博物館にはさまざまなスタイルと規模があり、それぞれに特徴を競うのが好ましい在り方といえます。ふつう館には、これ、という“目玉”展示物があり、それを軸にPRが展開され、人気も出てくるわけです。しかし、ここ生命の星・地球博物館では、実はその目玉というものを選んでいません。来館された方の一人一人が、それぞれに「アッ、これはすごい!」とか、「ウワッ、びっくりした」など思い思いに強く印象づけられたもの、それこそが目玉だろうと解釈しているのです」。そして博物館には学習と娯楽両方の要素が期待されるとして、それをエデュテインメント(楽修)と表現しています。

この博物館には、視覚障害者のための携帯できる音声ガイドがあります。残念ながら、現在は数に限りがあり健常者には利用できないのですが、特別に聞かせてもらう機会がありました。普通こういった音声ガイドは、原稿を用意しそれをプロのアナウンサーが読んで吹き込んだものがほとんどです。ところがこの博物館の音声ガイドは、浜田さんが、女性のアナウンサー相手に展示場の展示を実際にみながら、その場でアドリブで吹き込んだものです。

展示の内容は、地球の誕生から始まり、恐竜時代の水中・陸上・大空に君臨した古生物の骨格標本があり、そして地球・生命の展示室から、神奈川の自然・自然との共生といった幅の広いものです。それを一人で解説する学問の守備範囲の広さには驚きます。しかしすごさはそれだけではないのです。

濱田さんの展示解説は、普通専門家があまりつかわない主観的な形容詞である「ドーン」「ガシャン」「ズズズ」などというあそび心満点の語り口調と擬声語までおりこんで進んでいきます。そして地球の「美しさ」にまで言及する。学問がおもしろくてたまらない。この地球のすべてが、不思議で楽しくて仕方がないというエネルギーが、そして学問が与えてくれる知的興奮が聞く側に伝わってきます。

「音楽にしても演劇にしても、ライブの強みは言うまでもないことです。実は、博物館もそうありたいと考えているのです。」という氏の主張そのままです。

研究者の解説はおもしろい。それは語り口が上手なのではなく、学問を楽しんでいる気持ちがひしひしと伝わってくるからです。これはプロのアナウンサーでは絶対にまねできないことです。そして氏の解説のもう一つのすごさは、研究者や教育者にありがちな、教えてやるという高みからビジターを見下ろすような態度がいっさい感じられないことです。

研究展示とあそび心

さて歴博がおこなう常設展示も企画展示も、すべて研究がもとになった「研究展示」です。しかし歴博の展示目的は、一般市民を広く対象にして研究成果とわかりやすく公開する、これが大前提です。ごく少数のプロの研究者仲間をあいてに国民の税金をつかって、お仲間どうして展示を楽しむといったマニアックな「おたく的」な展示であっていいはずがありません。ですから「研究展示だからわかりにくいのは仕方がない」とか、「研究展示だから人が入らなくてもしかたない」という理屈は成り立ちません。

蛇足ですが、紹介した二つの博物館は、けっしてふざけたり、娯楽に迎合した展示をしているわけではありません。当然ながらしっかりとした研究が展示の基礎になっています。

しかし展示を作る側が「研究モード」オンリーで、研究が命だという信念のもとで展示を考えれば考えるほど一般の人には理解しづらくなるのは事実です。また一般市民に教えてやるという「教育モード」で展示解説に邁進すればするほど、今度は価値観の押しつけによって聞く側はしんどくなります。

研究者は、価値観を打ち出して飯を食っているところがあります。でも全く価値観の違うビジターを相手にして展示するときは、研究展示は「こうあらばならない」とか、博物館教育は「こうあるべきだ」という価値観の押しつけを、一度すてたほうがいいときがあるように思います。指宿考古博物館の展示や神奈川県立生命の星・地球博物館の浜田さんの展示解説のビジターを引きつける魅力は、博物館の本来こうあらねばならぬという固定観念や価値観を脱却するあそび心にあるのではないでしょうか。

ほんのちょっとしたあそび心をもった展示や工夫でリアリティーがでて、興味の糸口につながる。それが展示のあそび心であり、研究展示と一般のビジターをつなげる重要なリンクになるのではないかと思うのです。そしてそれが、展示そのものの感性の幅を広げ、ビジターに心地よく、博物館の世界にひきずりこませる、いい意味での展示おける「感性の罠」になるのではと考えています。

私は展示内容によっては、すべての展示が町そのものを復元した巨大立体模型や、CGや最新の音響設備による方法でなくても、ビジターを感動させる展示は十分できると思っています。場合によっては展示はオーソドックスな、基本的な資料を並べて解説をつける方法でもかまわなと考えています。つまり魅力ある研究者による展示解説と、ちょっとしたあそび心をもった展示の工夫があればビジターをひきつけることは可能だと思います。

はじめに國分さんの主張を紹介したように、あそび心がある人間=教師が魅力があり生徒を引きつけるのと同じように、あそび心のある展示は「感性豊かな展示」となり、ビジターを引きつけるということでしょう。

研究展示の研究の本当のおもしろさを展示として伝えることができるのは、展示業者ではなく研究者自身だけです。また展示解説による学問の本当のおもしろさや情熱を、伝えることができるのもやはり「生」の研究者の展示解説だけだと思ってます。

今回の企画展示「災害史ドキュメント1703-2003」展は、展示プロジェクトメンバーの展示解説をいままで以上に充実させたいと考えています。研究者の生のライブ解説という強みをいかして、「感動をあたえる」展示に一歩でも近づければと願っています。