天下統一と城
このページの目次
1. 中世の城と館1-1 花の御所と室町期社会1-2 山城の世紀へ1-3 城とまじない1-4 城の原像1-5 城郭調査の歴史
2. 城と戦い2-1 城を攻める・守る2-2 発掘が語る原城攻防
3. 安土と織豊系城郭3-1 安土城下町への道3-2 織豊系城郭の広がり3-3 近世城下町の完成3-4 佐倉城

1. 中世の城と館

1-1 花の御所と室町期社会

洛中洛外図屏風(部分)
歴博ギャラリーもご覧ください

南北朝争乱を越えて成立した室町幕府は、京に本拠をおく武家政権として列島の支配をすすめました。 将軍足利義満のきづいた「花の御所」を頂点とした室町の武家文化は、将軍の直臣衆などをはじめ各地の武士の館の規範となりました。 陶磁器などの唐物の珍重、連歌会、犬追物、館の庭園といった特色ある活動が各地で展開しました。 この時期は比較的安定した時代といわれてきました。 しかし、京では地方と比べて米価が高止まり、消費した陶磁器も南北朝期より少なくなっていました。

また市場に出された市場法も激減してしまうなど、従来の経済ネットワークが有効に機能せず、幕府はそれに対する改革を打ち出すことができませんでした。このため社会的な閉塞感や先行きの不安が高まった時代だったのです。

一方、京で消費された陶磁器を見ると、古代以来の生産地が没落し、信楽など新たな生産地が勃興してきていました。しだいに中央政権としての機能を果たせなくなっていった室町幕府に代わって、各地の守護大名や有力武士によって、新しい社会をめざした改革がはじまろうとしていました。

主な展示資料

  • 洛中洛外図屏風
  • 君台観左右帳記
  • 岐阜県尾崎城出土陶磁器
  • 岐阜県江馬館出土陶磁器
  • 畠山氏連歌会巻
  • 染田天神講連歌机(復原品)
  • 犬追物屏風

1-2 山城の世紀へ

越後国郡絵図 部分

16世紀の、天文年間を境に、各地の拠点的な城郭が、平地の館から山城へ一斉に変化していきました。それは各地の戦国大名による地域支配の変化の現れでした。

16世紀末にかけて、世界史的に見ても驚くべき速さの城の発達が列島の各地で進行しました。多様な山城の出現は、地域の政治や社会の様子を城のかたちが反映したからでした。

また城は武士だけでなく、村人たちが協力して防御施設を構え、寺院が堀や土塁をめぐらすなど、さまざまな社会の集団が築いたものでした。 武士の城も、地域の住民に支えられてはじめて成り立つものだったのです。

展示資料

  • 愛知県清須城出土室町期陶磁器
  • 滋賀県観音寺城出土陶磁器
  • 石川県末森城木型
  • 上井覚兼日記
  • 各地の山城絵図(同時展示5点程度)
  • 越後国郡絵図
  • 日向国絵図
  • 飫肥城絵図
  • 人吉城絵図
  • 色部氏年中行事(冊子)
  • 大藪環濠集落文書
  • 近江湖南村々起請文

1-3 城とまじない

中世の城は合理的に築かれた一方、現代人には理解しがたいさまざまな呪的な要素を強くもっていました。築城では地鎮を重要視し、城攻めでは城から立ち上る「気」である火色を観察することが不可欠でした。

そして城を守る・攻めるさまざまな状況に応じて精緻な呪法を構築しました。大将ともなると出陣の膳、甲冑を着る作法、城門からの出方、女性と会った場合の対処、首実検の作法など、災いを避ける秘伝のしきたりが伝えられていました。

そして城主は、地域の安寧のための、呪法を行う主催者となっていました。

主な展示資料

  • 島津氏兵術書
  • 岐阜県江馬館地鎮土師皿
  • 群馬県杣瀬山城地鎮土師皿
  • 茨城県鹿島城出土地鎮土師皿
  • 千葉県佐倉城地鎮土師皿
  • 北条氏勝故実条々
  • 高知県田村城出土大般若経転読木簡

1-4 城の原像

日本列島の戦争と防御施設の歴史は、弥生時代にまでさかのぼります。弥生時代には、人を殺傷することを目的とした武器がうまれ、集落を、堀や土塁による防御施設で囲い込みました。

朝日遺跡・吉野ヶ里遺跡からは、当時の最先端の防御施設を知ることができます。古墳時代になると、有力者は集落とは別に堀や土塁で防御した館を構えました。

群馬県原之城遺跡はもっとも大規模な豪族居館のひとつです。

平安時代になると列島の中央部では防御施設は見られなくなりましたが、境界領域の東北北部では日本国の東方拡大に伴う戦いで防御施設がつくられていました。

主な展示資料

  • 愛知県朝日遺跡囲郭逆茂木復原模型(弥生時代)
  • 佐賀県吉野ヶ里遺跡北郭復原模型(弥生時代)
  • 群馬県原之城遺跡復原模型(古墳時代)

1-5 城郭調査の歴史

城の調査・研究はまず兵学として行われました。 兵学は最初、呪術的な要素を色濃くもつものでしたが、しだいに実学として理論的なものに変化していきました。

それぞれの大名家には秘伝の兵術書が伝えられ、築城も城攻めも呪術的要素が加味されました。

江戸期には、築城・防御・攻城方法を修めることが軍学の重要な部分を占め、さまざまな流派が生まれました。

しかし実践の場を失った軍学は机上の理論となり、また封建的な秩序観を支えるものとなっていきました。明治以降には軍が城郭の調査を実施しましたが、これは近代の要塞を、防御施設の頂点と考え、近代要塞への発展の道筋を探る「築城史」の枠組みに縛られていました。

戦後、民間研究として再出発した城郭研究は、1980年代以降に歴史研究としての立脚点を明確にして今日に至っています。

主な展示資料

  • 愛知県清須城出土縄張りの縄
  • 御本陣図
  • 敬亭先生制守城之図
  • 城制問答
  • 城郭縄張教習図
  • 継政公御聞方并城築之図
  • 主図合結記
  • 古戦古城之図
  • 城郭縄張り図

2.城と戦い

2-1 城を攻める・守る


朝鮮軍陣図屏風 部分
(鍋島報效会所蔵)

1575年(天正3)長篠の戦いで城を落城の危機から救った鳥居強右衛門は逆さ磔となりました。そのすがたを描き出した旗指物は、リアルに、戦う人びとを実感させる迫力に満ちています。

1568年(永禄11)頃、長野城は、山城の周囲に、竪堀と土塁を築き、ならべた畝状空堀群をめぐらせて防御しました。これに対して城を攻めた大友氏は、城を完全に包囲する長城で対抗しました。

熊本県田中城でも、同様の包囲の長城を築いたことが、絵図からわかっています。

大友氏の文書からは、戦いで受けた怪我や、敵の首を手柄の印に切り取った様子が生々しく書かれています。

また戦国時代の馬は現在の馬と比べて小さく、重い鎧を身につけた武士を背負っていつでも全力疾走というわけにはいきませんでした。

朝鮮軍陣図屏風 (鍋島報效会所蔵)

大坂冬の陣屏風からは、詳細に防御のくふう、攻めるくふうを読みとることができます。

鉄砲は戦国時代には攻防のもっとも重要な武器となっていました。

大坂夏の陣図屏風では、落城する大坂城から逃げ落ちていく男女が描かれています。
凄惨な略奪の様子は、見る者の胸を打ちます。

主な展示資料

  • 落合左平次指物(鳥居強右衛門逆磔図)原品・複製
  • 朝鮮軍陣図屏風(鍋島報效会所蔵)(前近代の侵略戦争であった文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)の蔚山(うるさん)城攻防を描いている)
  • 肥前名護屋城図(屏風)
  • 室町期の鎧
  • 織豊期以降の鎧
  • 長野城復原模型
  • 辺春・和仁仕寄陣取図(田中城包囲図)
  • 火縄銃各種(6・7丁)
  • 火縄銃の玉の重さ体験(5~6点)
  • 戦国期の馬骨格標本
  • 大坂冬の陣図屏風
  • 大坂夏の陣図屏風
  • 雑兵絵巻
  • 天正期以降の変わり兜

2-2 発掘が語る原城攻防

長崎県原城では、本丸の発掘調査によっておびただしい人骨が発見され、多くの人びとが戦死したことがわかりました。

戦いの跡がそのまま残された特殊な原城跡は、悲惨な戦いの実像をうったえます。

十字架やメダイオンを身につけた男女や、石垣の下敷きになったままの女性など、老若男女が籠城した様子が発掘で明らかにされつつあります。

城内からは多数の弾丸や砲弾が発見されており、十字架などは弾丸を溶かした急づくりのものも含まれており、島原の乱を歴史的に考える新たな手がかりということができます。

主な展示資料

  • 原城絵図 長崎県原城出土弾丸・砲弾
  • 長崎県原城出土十字架
  • 長崎県原城出土メダイオン
  • 長崎県原城出土陶磁器・瓦

3.安土と織豊系城郭

3-1 安土城下町への道

安土城復原CG(天主は内藤昌氏の復元による)

中世から近世への城郭・城下の展開でもっとも画期的であった安土城下町の成立を、那古野・小牧・岐阜城下町に遡って系統的に明らかにしていきます。

城の発達は、とくに出入り口に注目して発達モデルを示します。

安土については、金箔瓦などによって壮麗な城郭を偲ぶだけでなく、幻であった全貌を大型モニターを使用したコンピュータグラフィックによって再現しています。

そしてその後の城に安土がもった政治的メッセージがどのように受け継がれ、あるいは受け継がれなかったのかを考えていきます。

主な展示資料

  • 出入り口発達モデル
  • 愛知県那古野城V堀はぎ取り断面
  • 愛知県那古野城出土陶磁器
  • 愛知県小牧城木型
  • 愛知県小牧城出土陶磁器
  • 岐阜兼岐阜城下加納新市場宛楽市制札
  • 滋賀県安土城出土金箔瓦
  • 滋賀県安土城大手道復原模型
  • 安土城復原CG(天主は、内藤昌氏の復元による)
  • 安土山下町中掟書

3-2 織豊系城郭の広がり

天下統一の進展とともに安土城の形を受けついだ、織豊系城郭が列島の各地に出現していきました。

織豊系城郭は、外枡形や、馬出しといった、高度に発達した出入り口を備え、石垣をめぐらしました。

高石垣や瓦は、織豊期以降に各地の城郭で本格的に取り入れられていきました。

金箔瓦は、安土桃山時代の華やかな雰囲気をよく伝えるとともに、新しい権力と社会のあり方を人びとにはっきりとしめすための装置でもあったのです。

また、伊達政宗が築いた仙台城本丸の出土陶磁器は、大名の豪壮なくらしぶりを伝えており、長浜城下の豪商宅から見つかった陶磁器群は、新しい時代に相応しい流通網ができていたことを示しています。

豊臣秀吉や徳川家康をはじめとして、今も人気の高い武将たちが活躍した時代を、城の変遷からみていきます。

主な展示資料

  • 大阪府大坂城出土金箔瓦
  • 大阪府大坂城出土陶磁器
  • 京都府伏見城出土金箔瓦
  • 愛知県清須城出土金箔瓦
  • 愛知県清須城出土信雄期陶磁器
  • 宮城県仙台城本丸出土瓦
  • 宮城県仙台城本丸出土陶磁器・ガラス
  • 福島県会津若松城出土金箔瓦
  • 山梨県甲府城出土金箔瓦
  • 岡山県岡山城出土金箔瓦
  • 高知県岡豊城出土文字瓦
  • 高知県浦戸城出土瓦
  • 福岡県小倉城出土金箔瓦
  • 熊本県佐敷花岡城出土瓦
  • 宮崎県都城出土桐紋瓦
  • 織田信長朱印状
  • 豊臣秀吉朱印状
  • 徳川家康黒印状
  • 聚楽之図
  • 丹波篠山城絵図
  • 愛知県清須城本丸石垣胴木(石垣復原展示)(一般図書室前ロビーに展示)

3-3 近世城下町の完成

江戸図屏風(部分)

文禄・慶長期を境に、各地に城を中心にした近世城下町が成立しました。

それは地域の都市的機能を一元的に集約した圧倒的な政治と、経済の中心地の成立でした。

さらに、そういった地域の城下町は、江戸と大坂を核として編成された列島規模の海路・陸路の交通ネットワークに結びついていました。

天下統一の大きな改革の動きが行き着いた江戸幕府のもとで、新しい列島の政治・経済・流通システムが完成したのです。

近世城下町こそは、新しい時代の象徴ということができます。

中世以来の城郭変化は急激なものでしたが、それは連続したひとつづきの変化であり、近世城郭こそが、中世城郭の発達の到達点だったのです。

現在の日本列島の主要な都市のほとんどが、近世の城下町を起源にすることを考えるとき、近世城下町の成立は、きわめて画期的な出来事としなければなりません。

幕府による城郭の統制、定型的な城郭プランの完成など、近世城郭が共通してもっていた特色を解き明かしていきます。

特に外枡形や馬出しなど、安土以降に出現した共通したモチーフを絵図の読み解きから示していきます。

建築模型からは、近世城郭のシンボルとして安土以降受け継がれた、天守の造形を、立体的に示します。

また、城といえば天守と短絡的に捉えられがちですが、今回は、兵庫県姫路城の詳細な大絵図パネル(博物館から完成品を提供)によって、近世城郭の本来の姿を天守と合わせて理解できるようにしていきます。

主な展示資料

  • 江戸図屏風
  • 正保城絵図(同時2点展示)
  • 佐倉城絵図
  • 牙城城郭実測図(岡山城の櫓や門の鳥瞰図)
  • 江戸城天守模型
  • 松本城天守分割模型
  • 姫路城天守群模型

3-4 佐倉城

佐倉城の礎石

国立歴史民俗博物館のある、佐倉城址公園内にある佐倉城は、すぐれた織豊系城郭としての特色を備えています。

展示室だけでなく実際の城跡のポイントにも解説版を設けて、展示で学んだ城郭知識を佐倉城を探訪して体感することができます。

展示室にはその助けとなるように、佐倉城の組み立て模型を設置しています。 またすぐ隣の酒々井町には、佐倉城下町の前身である本佐倉城があります。

こうした城下町の移転は、近世初頭に全国で行われたものです。

本佐倉から佐倉への都市移転は、全国的にも、もっとも明快な事例のひとつであり、そうした観点から全国的な城下町の動きと合わせて位置付けをしていきます。

主な展示資料

  • 北条家伝馬手形(もしもしコーナー)
  • 千葉県本佐倉城出土陶磁器
  • 千葉県佐倉城椎木曲輪出土陶磁器
  • 千葉県佐倉城組み立て模型

佐倉城址案内

佐倉城址航空写真

2000年1月撮影

絵図から城跡の見所をご紹介します。番号は絵図・空中写真の番号に対応しています。

  1. 土塁
    土塁と堀の外は、成田街道に沿った城下町の一部「田町」です。絵図では、道の突き当たり に高札場も描かれています。土塁の内側には足軽長屋がありました。
  2. 田町門
    現在の入り口は、連隊建設の際にまっすぐ出入りできるように変更されたものです。
  3. 愛宕坂
    田町門から、現在歴博のある椎木曲輪へ上がるこの坂は、愛宕神社の下にあるため、「愛宕坂」と呼ばれていました。
  4. 円勝寺(円正寺)と愛宕神社
    円勝寺は明治の廃仏毀釈で消滅しました。奥の愛宕神社は、今でも基壇があります。
  5. 侍屋敷(椎木曲輪)
    歴博があるのは「椎木曲輪」と呼ばれる侍屋敷地区で、連隊時代は兵舎がありました。
  6. 馬出し
    歴博のある椎木曲輪から本丸方面への防御された出入り口です。
  7. 椎木門
    馬出しから堀を越えた内側にある門。隣にあった米蔵には年貢米が集められました。
  8. 不明門
    二の丸の出入り口の一つ。連隊時代に破壊され、堀も埋められて病棟が作られました。
  9. 二の門と御対面所
    二の丸への通常の出入り口。城主は二の丸の「対面所」に居住していたと言われます。
  10. 一の門と本丸
    本丸の周囲は土塁と壁で囲まれ、一の門の他、銅櫓、天守、台所門などがありました。 本丸内部には御殿建築がありました。
  11. 天守
    外側は三層内側は四層になっていました。1813年(文化10)に失火で焼失しました。
  12. 出丸
    本丸の下には馬出し状の出丸が二つ設けられ、死角もないように工夫されています。
  13. 姥ヶ池からの道
    大きな侍屋敷と「空地」で両側を厳しく防御され、堀底状になっています。
  14. 空掘 (宿泊棟下)
    現在は通路ですが、本来は侍屋敷地区と城の中心部を区切る重要な空堀の一部です。
  15. 三の門
    現在広場や学校がある侍屋敷地区(連隊時は練兵場)と城の中心部を区切る門です。
  16. 大手門
    重臣の屋敷が並ぶ「広小路」(現在の桜並木)の突き当たりに、大手門がありました。堀がくい違って道を屈曲させ、さらに「枡形」と呼ばれる空間を設けた厳重な構造です。